全てのカテゴリーで話題のキーワード
- 中山(580)
- 阪神大賞典(440)
- 中京(440)
- 河津桜(380)
- 愛知杯(330)
- 春分の日(290)
- お彼岸(270)
- 花粉症(260)
- 卒業式(250)
- お花見(230)
- トランプ大統領(230)
- すき家(220)
- 千葉(220)
- フラワーカップ(190)
- 阪神(183)
- ゴールデン(180)
- 台湾(180)
- 夏日(170)
- ヴェローチェ(170)
- フィッシング詐欺(150)
- 梅の花(150)
- 大谷翔平(150)
- 富士山(140)
- オープン戦(130)
- 不登校(120)
- 高知(120)
- 広島(120)
- 大阪(115)
- ディズニー(110)
- 岡山(110)
- 不正アクセス(110)
- 目視確認(110)
- 神戸(110)
- 石川(110)
- 乃木坂46(110)
- ガチャ(110)
- 大分(110)
- プロ野球(110)
- ドジャース(110)
- ファルコンステークス(110)
- ウクライナ(110)
- 兵庫(100)
- 大宮(100)
- フォード(100)
- 春本番(100)
- 江戸(100)
- 静岡(100)
- ソウル(100)
- 世界水の日(100)
- 自民党(100)
- 羽生結弦(100)
- 大谷(100)
- 春の訪れ(90)
- 日テレ(90)
- 鳥取(90)
- 中国株(90)
- 暑さ寒さも彼岸まで(90)
- 牛丼チェーン(90)
- 羽生(90)
- 浦和(90)
- 婚活(90)
- 渋谷(90)
- 上田(90)
- 新潟(90)
- 道の駅(90)
- 家庭菜園(90)
- 春が来た(90)
- 新宿(90)
- パワハラ(90)
- 開幕戦(90)
- ファルコン(90)
- 石破(90)
- モンハン(80)
- 新生活(80)
- パワースポット(80)
- 東大(80)
- タイヤ交換(80)
- ドナルド・トランプ(80)
- 仮想通貨(80)
- サンライズ(80)
- 卒園(80)
- 冬月(80)
- ポケモン(80)
- 馬単(80)
- カレー(64)
- 中国(64)
- 株主優待(60)
- 韓国(58)
- スイーツ(56)
- 中央競馬(54)
- 東京(53)
- 筋トレ(48)
- 京都(45)
- 札幌(45)
- セラピスト(44)
- いちご(40)
- コロナ禍(40)
- 横浜(39)
- 関西(33)
- 沖縄(33)
安全運転にまつわる話題の記事
カテゴリーを選択 解除
再読込
-
- お知らせ2024 「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き
- ごぶさたしました。 春になってまた読書を始めようと思い、ご案内します。 トルストイをやったんなら、次はドスト氏だろうと、カラマーゾフに向かうことにしました。 『カラマーゾフの兄弟』~その粗筋とつぶやき~ 4月10日からスタートします。 よかったら覗いてみて下さい。
「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き - お知らせ2024
-
- お知らせ2024 「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き
- ごぶさたしました。 春になってまた読書を始めようと思い、ご案内します。 トルストイをやったんなら、次はドスト氏だろうと、カラマーゾフに向かうことにしました。 『カラマーゾフの兄弟』~その粗筋とつぶやき~ 4月10日からスタートします。 よかったら覗いてみて下さい。
「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き - お知らせ2024
-
- お知らせ 2023 「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き
- ご無沙汰しました。 私のブログ第5段は、トルストイ作『戦争と平和』を読んでみることにしました。 タイトルは「『戦争と平和』を物語る~粗筋とつぶやき」です。 リンクになっていますので、お気が向いたら、覗いてみて下さい。
「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き - お知らせ 2023
-
- 余章 2 「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き
- 《ところで、さて、読み終わって、これは一体どういう物語だったのかと振り返って見ますと、人びとの出入りがあまりに激しく、舞台も日本中に及び、また途中に長々と中国の歴史もはさみ込まれていて、にわかにはストーリーも思い出せません。 『太平記』は三部に分けて考えるのが一般のようで、『読む…
「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き - 余章 2
-
- 余章 1 「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き
- 《およそ二年半懸かりましたが、全巻を読み終わって、さまざまな思いがあります。 まずは、『集成』が言っていたように、この作品はまだ草稿であって、これから書き改められて完成品になるべきものであったらしいことへの驚きです。年次や人物の誤りが随所にあり、読者の知りたい説明や考察がなかった…
「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き - 余章 1
-
- 六 細川右馬頭西国より上洛の事 「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き
- そんな時、細川右馬頭頼之が、その頃西国の統治に当たっていて、敵を滅ぼし人を心服させ、諸事の取り仕切りのやり方が、いくらか先代の貞永、貞応の昔のやり方に似ていると噂されたので、ただちに天下の管領職に据えて幼い若君を補佐するようにと、協議の意見が一致したので、右馬頭頼之を武蔵守に任…
「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き - 六 細川右馬頭西国より上洛の事
-
- 五 将軍薨逝の事 「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き
- こうしているところに、その年の九月下旬の頃から、征夷将軍義詮が心身ともに具合が悪くなり、寝食が優れなくなったので、和気と丹波の医家両家は言うに及ばず、医療にその名を知られたような者たちを呼んで様々の治療をしたけれども、あの大聖釈尊が沙羅の木の下で亡くなる時に耆婆の霊薬もその効き…
「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き - 五 将軍薨逝の事
-
- 四 最勝講の時闘諍に及ぶ事 「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き
- そうしているうちに、その年八月十八日、最勝講が行うようにということで、南都北嶺に命じて必要な人数が呼び集められた。興福寺から十人、東大寺から二人、延暦寺から八人だった。園城寺は、今回の訴訟に是非の裁定が成されていないので招集に応じないという考えを伝えたので、四ヶ寺の中の一ヶ寺は…
「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き - 四 最勝講の時闘諍に及ぶ事
-
- 三 南禅寺と三井寺と確執の事 「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き
- その年の六月十八日、園城寺の衆徒が蜂起して、朝廷と幕府に連れ立って訴えを興すということがあった。その原因を何事かと調べると、南禅寺の造営のためにこの頃建てられた新しい関所において、三井寺(園城寺)へ帰る稚児を関所にいた禅僧が殺害したのだった。これは希代の重大事だと三井寺の衆徒が…
「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き - 三 南禅寺と三井寺と確執の事
-
- 二 左馬頭基氏逝去の事 「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き
- このようでは天下もどうなることかと危ぶんでいるところに、今年の春の頃から鎌倉左馬頭基氏がちょっとした病になったと噂されたところ、貞治六年四月二十六日、生年二十八歳で急に逝去なさった。兄弟の愛情は強いものだけれども、この別れとなるとどうして悲しまずにいられようか。ましてこれはただ…
「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き - 二 左馬頭基氏逝去の事
-
- 一 中殿御会の事 ~2~ 「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き
- いよいよその日になると、寝殿の中央の廂の御簾を巻き揚げて階段の西の間から三間北に向かって、二間にそれぞれ菅の座布団を敷いて公家の座とする。長治元年には二列だったが、今回は関白殿がこのような座を設けられた。御帳の東西には九十㎝ほどの几帳を立てられ、昼の御座の上には御剣、御硯箱を置…
「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き - 一 中殿御会の事 ~2~
-
- 一 中殿御会の事 ~1~ 「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き
- 貞治六年(正平二十二年 一三六七)三月から同年十二月頃まで。 貞治六年三月十八日、長講堂へ行幸があった。この時は後白河法皇の御遠忌追善のために三日間ご逗留なさって、法華経をお誦みになった。安宮院の良憲法印と竹中僧正慈照が導師として参られた。めったにない法要なので、聴聞の僧俗の人…
「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き - 一 中殿御会の事 ~1~
-
- 十二 法皇御葬礼の事 「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き
- この時の新院光明院殿も、山門の貫首梶井宮も、ともに皆禅僧におなりになって、伏見殿にいらっしゃったので、急いでお亡くなりになった山中へお出かけになって、火葬のことなどをお取りしきりになり、後ろの山に葬り申し上げる。おいたわしくも、仙院や宮中での崩御であられたならば、多くの役人が涙…
「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き - 十二 法皇御葬礼の事
-
- 十一 光厳院禅定法皇行脚の事 ~3~ 「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き
- 御下向は大和路に入られたので、道の都合もよいと、南朝の主上のいらっしゃる吉野殿にお入りになった。この三、四年の前までは両統が南北に分かれてここで戦いあちらで敵対したので、呉と越が会稽山で策略を巡らし漢と楚が覇上で対立した以上だったけれども、今は世を捨てた修行者におなりになって、…
「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き - 十一 光厳院禅定法皇行脚の事 ~3~
-
- 十一 光厳院禅定法皇行脚の事 ~ 2~ 「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き
- さて御山にお着きになって大塔の扉を開かせて金剛界と胎蔵界の曼荼羅を拝見なさると、胎蔵界七百余尊、金剛界五百余尊は、入道太政大臣清盛公が手ずからお書きになったお姿である。あれほど悪を積んだ浄海がどのような宿縁に促されてこうした大善行をしたのだろうか。宇宙の六つの根本要素が妨げるも…
「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き - 十一 光厳院禅定法皇行脚の事 ~ 2~
-
- 十一 光厳院禅定法皇行脚の事 ~1~ 「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き
- 光厳院禅定法皇は、正平七年の頃に、南山賀名生の奥から楚の囚われ人のような身を許されなさって、都へ還御なさった後、世の中をますますつまらないものとお思いになったので、その御所を離れ都の華やかな暮らしを捨てて、さらに御身を楽な立場に置きたいとお思いになった。そのご希望が叶って、僧衣…
「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き - 十一 光厳院禅定法皇行脚の事 ~1~
-
- 十 神功皇后、新羅を攻めたまふ事 「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き
- 昔、仲哀天皇が天皇としての文武の徳によって高麗の三韓をお攻めになったが、戦いに利なくお帰りになったのを、神功皇后はこれは戦略と軍備が足らなかったためだと、唐国へ戦さを学ぶための謝礼として金三万両を送られて、履道翁の一巻の書物を求められた。これは黃石公が第五日の夜明けに渭水の土橋…
「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き - 十 神功皇后、新羅を攻めたまふ事
-
- 九 太元より日本を攻むる事 「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き
- つくづくと読書の合間に太古の記録を見ると、異国から我が国を攻めたことが、国の始まり以来これまでに七回に及んでいる。特に、文永、弘安の二回の戦いは太元国の皇帝が支那の四百州を討ちとってその勢いが天地を凌ぐ時だったので、小国の力で退治しがたかったけれども、簡単に太元の兵を滅ぼして我…
「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き - 九 太元より日本を攻むる事
-
- 八 高麗人来朝の事 「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き
- 四十数年の間、我が国は大いに乱れて外国も少しの間も穏やかでない。この動乱に乗じて、山道には山賊が現れて旅人は山野を通ることができず、海上には海賊が多く、舟人は海難を避けがたい。欲心に溢れた流れ者達が徒党を組んで集まったので、浦々島々は多く盗賊に占拠されて、街道には役所の長もおら…
「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き - 八 高麗人来朝の事
-
- 七 神木御帰座の事 「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き
- 大夫入道道朝が都を出て後、越前国河口の庄が南都に返されたので、神の訴えがたちまちに収まって、八月十二日に神木はお帰りになった。時刻は午前六時と定められたのだが、その夜明けから雨が暗くなるほどに降って風が荒かったので、天の怒りはなお何事か残っているのかと不思議だったが、その時刻に…
「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き - 七 神木御帰座の事
-
- 六 諸大名、道朝を讒する事 付けたり道誉大原野花の会の事 ~3~ 「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き
- 道朝はこのことを伝え聞いて、貞治四年八月四日の夕方、将軍の御前に参上して、 「ご不審を受けているということを内々知らせてくれる人がありますが、私には不忠不義のことはありませんので、知らせてくれた人の間違いでしょうと私の気持ちを言い遣りましたが、昨日、近江の軍勢たちが合戦の用意を…
「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き - 六 諸大名、道朝を讒する事 付けたり道誉大原野花の会の事 ~3~
-
- 六 諸大名、道朝を讒する事 付けたり道誉大原野花の会の事 ~2~ 「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き
- そうしているところに、将軍の屋敷の庭の花が紅紫の色を交えて、その美しさは類いがなかったので、道朝が種々の酒肴を用意して貞治五年三月四日を定めて将軍の御所で花の下での遊宴を行おうと計画された。とくに道誉に誘いを掛けた。道誉は、初めは参るだろうと承諾していたが、わざと取り違えて、京…
「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き - 六 諸大名、道朝を讒する事 付けたり道誉大原野花の会の事 ~2~
-
- 六 諸大名、道朝を讒する事 付けたり道誉大原野花の会の事 ~1~ 「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き
- そもそもこの管領職というのは、将軍家でも中心的な一族だったので、誰もその職を嫉む人もいなかった。また関東が勢いがあった時代をご覧になった人だから、礼儀や定めも今のようではなかっただろうから、これこそまことの武士の世を治めるべき人だと思われていたのだが、人びとの気持ちに逆らうこと…
「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き - 六 諸大名、道朝を讒する事 付けたり道誉大原野花の会の事 ~1~
-
- 五 神木入洛の事 付けたり洛中変異の事 「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き
- 尾張修理大夫入道道朝は、将軍御兄弟の合戦の時慧源禅門方について負けたので、不満を解消しないまま、しばらくは宮方に身を寄せていたが、若将軍義詮朝臣からさまざまに贈り物をし礼を尽くしてしきりにお招きなさったので、また将軍方になって、三男治部大輔義将を面に立てて執事の職に据え、幕府の…
「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き - 五 神木入洛の事 付けたり洛中変異の事
-
- 四 芳賀兵衛入道軍の事 ~4~ 「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き
- さて、芳賀の八百余騎の兵は、昨日は二日の道を一夜で駆けたので、馬が皆疲れていた。今日はまた入れ替わる軍勢もなく一日中戦い暮らしたので、兵は息を継ぐこともできない。思うにもはやこれまでと思ったのか、日がすでに夕暮れになったので、討たれずに残った兵わずかに三百余騎を助けて宇都宮へ帰…
「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き - 四 芳賀兵衛入道軍の事 ~4~
-
- 四 芳賀兵衛入道軍の事 ~3~ 「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き
- 芳賀伊賀守が味方の軍勢を見回して、 「八郎が見えないのは、討たれたのか」と親の身なので不安そうに言ったのを、馬の前にいた家来が、 「放れた馬が数百匹走って散っていった中に、毛色や馬の具足をよく見ましたところ、黒鴾毛で連弱の尻繋を懸けていた馬は、確かに八郎殿がお乗りの馬でした。す…
「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き - 四 芳賀兵衛入道軍の事 ~3~
-
- 四 芳賀兵衛入道軍の事 ~2~ 「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き
- 芳賀伊賀守は馬に乗って母衣を掛けて、 「平一揆、白旗一揆はかねて通じる事情があったので、戦況次第であるいは敵ともなり味方ともなるだろう。後ろに引いてたった今参上した軍勢は、たとえ何百万騎いてもものの役には立たないだろう。家の存廃、わが身の浮沈はこの一戦で決めよう」と大声で叫んで…
「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き - 四 芳賀兵衛入道軍の事 ~2~
-
- 四 芳賀兵衛入道軍の事 ~1~ 「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き
- このように近年は将軍の敵になっていた人びとはみな降参して、貞治元年の後から洛中や西国が静かだとは言っても、東国にまた思いがけない同士討ちの戦が始まって、村人は木を切ったり草を刈ったりという生活を楽しむことがない。 そのことの起こりを尋ねると、この三、四年前に、将軍兄弟の御仲が悪…
「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き - 四 芳賀兵衛入道軍の事 ~1~
-
- 三 仁木京兆、降参の事 「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き
- 仁木左京大夫義長は、それほどの不忠義はなかったのだが、行いがあまりに身勝手だということで多くの人に憎まれたことによって、心ならずも将軍の敵となって伊勢国に逃げ下って、長野の城に立て籠もっていたのを、佐々木六角判官入道崇永と土岐大膳大夫入道善忠の二人が討手を承ってこれを攻めたが、…
「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き - 三 仁木京兆、降参の事
-
- 二 山名京兆、御方に参らるる事 「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き
- 山名左京大夫時氏と息子の右衛門佐師氏は、近年将軍の御敵となって、南朝方と計って、二度も京都を占領したので、将軍にとってはこの上ない敵であったけれども、内々に縁故を通じて、「二回の不忠義はまったく将軍の御代を危険にさらそうと致したことではない。ただ、道誉のあまりに面白くない振る舞…
「太平記」読み〜その現実を探りながら〜現代語訳付き - 二 山名京兆、御方に参らるる事
読み込み中 …