戦争が起こしにくくなったらテロ、テロが嘘くさく見えてくると大地震に津波。DSは人類を困らせることが大好きだ。そして人類は滅亡予言や滅亡映画が大好きだ。バレンケのつぼみは、そんな人たちを大いに満足させてくれる。水と炎の壁なのだ。
(続く)
《夏の予言、バレンケのつぼみ…東と西は捻じれ終わる250101 NO6》
小松左京が書いた日本沈没は、彼の日本人論を展開させるための舞台装置としてあったのだ。そのため日本列島が沈没するという驚愕の災害は、あくまでそこに留めている。本当にそれが起きれば隣の半島国や大陸国もただでは済まない。
私が書き上げようとしていた《予言の書》とはそこが決定的に違うところだった。小学生だった私が夏休みに、書いていた日本沈没は、それをきっかけにして地球の東半球と西半球が捻れ始めるのだ。それによって最終的に人類の三分の一が滅亡する。そして死んでしまった三分の二の人類は別の惑星…別の地球で生きている。
それが私が思い描いていた大まかな筋書きだった…あれは予言の書だったのだろうか?私の中では今もそれが続いている。というより私はその予言の書の中で生きてきたのだ。これから東洋と西洋の歪は極限に達し人類は滅亡する。
しかし読書感想文すら書けなかった、学校で一番出来の悪い小学生の私にそこまで書き上げる力はなかった。だがその構想、あるいは予言?は、今に至っても絶えることなくその続編が生まれている。日本沈没は宇宙連合が発信しているチャネリング情報だったのだ。
小松と私は同じ時にそれを受け取った数少ない人間だった。しかし他にも何人もいたはずだ。あなたもそれを受信した一人かもしれない。人類滅亡が決して終わりではなく、始まりなのだということもその当時から継続されている。あの頃になかったのはアセンションという言葉だ。
私がこのブログに書き続けていることは、その当時から既に始まっていたのだ。スピリチュアルを思いっきり見下しながらも、インスタントスピリチュアリストに収まっている高名な科学者さんや、笑スピさんや、《私が見た未来》の作者さんとはそこが違う。
私の中では半世紀以上前から予言が始まっているのだ。あの時代の量子力学は今以上に生き生きと並行世界を描き出していた。保守的な長老たちが支配する学会も、並行世界を提唱する超天才的な新人たちのパワーの前に、防戦することさえできないという印象だった。
ロジャー・ペンローズはまだ30歳代で、刺激的で過激な説を書きまくっていた。今頃になってノーベル賞を取ったのは、この人にとってはきっと屈辱的なことだったろう。私は毎年のように落第することに脅かされていた劣等生だったが、それでも曲がりなりにも熱烈な科学少年ではあったのだ。
1963年に刊行された講談社のブルーバックスによって、日本中の科学少年はめくるめく量子力学の世界の虜となり、ペンローズやアインシュタインやオッペンハイマーは私にとっても最高のヒーローだった。私はパラレルワールドにすっかりはまっていた。
(続く)
マサト