↑のつづき。

さて、
前回から引き続き徳島市応神町を散策。


立派な大鳥居。  

この色合いは珍しいのでは❓️


別宮八幡神社の一之鳥居。

鳥居の向こうに見える境内の入り口。

もともとは広大な境内だったのだろう。

大きな木が見えてきた。




徳島市指定天然記念物の大クスノキ。

推定樹齢800年とのこと。



画像では伝わりにくいが、
素晴らしいクスノキだった。

巨木って素敵です。


二之鳥居。






狛犬もいい顔。



「狛犬の見る景色」。



拝殿。

『別宮八幡(べっくはちまん)神社』

鎮座地 徳島県徳島市応神町中原字宮ノ東
創健 西暦1025年
祭神 品陀和気命(第15代 応神天皇)


社伝によると、万寿2年(1025年)に
山城国の石清水八幡宮を勧請した。
別宮の名は石清水八幡の別宮から
とったのだそうな。

元地である別宮浦から、
文禄年間に吉野川の洪水を契機に
現在地に遷座したと言われているが、
実はもっと奥深い事情がある。

鬼瓦に高度な彫り物。



拝殿の天井は賑やか。

とっても賑やかな干支たち。







七福神と宝船。

単なる伝承ではなさそうである。
なんとなく。



『別宮八幡宮』の扁額。



境内社『八坂神社』。



ご存知、『地神塚』。



横から本殿。


前回の高良神社を含め、
この応神町は歴史を覆してしまう可能性に
満ち溢れている。

高木隆弘氏の
『記・紀の説話は阿波に実在した』より↓
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明治二十二年、応神天皇ゆかりの地として
古川村から分かれて応神村となり、
昭和四十一年、
板野郡から徳島市応神町となった。

隣町の川内町から応神町にかけては、
応神天皇を祭る八幡神社、
仁徳天皇を祭る若宮神社、
武内宿禰を祭る高良神社、
神功皇后ゆかりの住吉神社が鎮座する。

応神天皇町吉成にある別宮八幡神社は、
中世の細川氏、三好氏、
藩政時代の蜂須賀氏が寄進し、
なかでも蜂須賀氏は特に崇敬が厚く、
多くの寄進をしていた。

私見では、この神社が
古事記に書かれている「軽島の明宮」の
跡地に建てられたものであると推察している。

書紀・応神天皇二十二年三月条に、
「天皇、難波に幸して、大隅宮に居します」
とある。
難波とは大阪ではなく、
『和名抄』にある讃岐国難波郷である。

鳴門海峡からさぬき市津田町までが
難波(浪速)の海である。

筆者が大隅宮跡であると考察しているのは
さぬき市津田町にある
雨滝山(天滝山)(標高二五三メートル)である。

書紀の応神天皇二十二年四月条に、
天皇が高どのに居て、
妃(みめ)、兄媛(えひめ)が
故郷に帰る船を見てうたった歌が
記されている。
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淡路島 いや二並び 小豆嶋
いや二並び 寄ろしき嶋嶋
誰かた去れ放ちし
吉備なる妹を 相見るもの
ーーーーーーーーーーーーーーー
すなわち、淡路島と小豆島が
並んで見える場所がこの雨滝山である。

また、さぬき市津田町に隣接している
東かがわ市には、応神天皇の諱にちなんだ
誉田山、誉田神社、誉田川がある。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


さらに応神天皇関連で言えば、
応神天皇の娘
八田若郎女(やたのわきいらつめ)は
同じく徳島市の八多町に地名が残る。





境内社たち。

どこぞの神様が祀られているのだろうか。


ここにも五角形の地神塚。



二之鳥居の向こうに
大クスノキと一之鳥居が見える。



『狐の帰る國』より↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
粟国は国造本記に、
応神天皇の朝、千波足尼を国造と定める
とある事が示されるように、
それまでは別々の二大集団(粟と長)を
なしていたと思われるのである。

この千波足尼(ちばすくね)千波もまた、
積羽(つみは)八重事代主積羽と同意であり、
積羽(せば)(千波)を示しているのである。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
かつて、
阿波国は粟国と長国に分かれていた。

積羽八重事代主は長国の大王だった。

そんな事代主千波足尼との関係は、
深掘りすると驚くべき着地点を見出だす。

阿波忌部を率いて千葉県の房総半島に
たどり着き、開拓していった。

その後、、
国造本紀によると、応神天皇の御世に
高皇産霊尊の9世孫の千波足尼
粟国造(あわのくにのみやつこ)に
定められたとされている。

そんな千波足尼は、実は房総半島から
粟国(阿波)にやってきたのだという。

千葉県の由来が千波足尼という説さえある。

そして、実はこの千波足尼

元々のルーツは阿波国にあるらしいのだ。。

それも、
阿波忌部の末裔である可能性が高い。

つまり、千波足尼は時を得て
遠い故郷である
阿波国の造(みやつこ)に任命された。


千葉県の天女伝説は、
千葉氏に深く関連する。

天女と言えば、丹後国の豊受姫(トヨウケ)

同一神とされる存在こそが、
阿波の女神『大宜都比売(オオゲツヒメ)』。


積羽八重事代主神の后である❗



つづく。

ではまた❗