成田山新勝寺(なりたさんしんしょうじ)

 

所在地    千葉県成田市成田1番地の1
山   号    成田山
院   号    金剛王院
宗   旨    新義真言宗
宗   派    真言宗智山派
寺   格    大本山
本   尊    不動明王(大聖不動明王)
創建年    940年(天慶3年)
開   基    寛朝僧正
正式名    成田山金剛王院神護新勝寺
別   称    成田不動・成田山
文化財    光明堂、釈迦堂、三重塔、仁王門、額堂
             鐘楼、一切経蔵他


公式ホームページ

 

地図         

 

成田駅(JR在来線)徒歩13分
京成成田駅(京成電鉄)徒歩14分
成田湯川駅(京成電鉄)徒歩46分

 

成田山新勝寺の縁起

平安時代中期、東国で起こった平将門の乱に始まる。

朝廷は追討軍を差し向けると同時に将門調伏の祈願を大寺社や密教僧に命じた

天慶2年(939年)、寛朝僧正も朱雀天皇の密勅を受けた。寛朝は、京の高雄山(神護寺)護摩堂に安置されていた空海作の不動明王像を奉じて総国へ下ることとし、明くる天慶3年(940年)、難波津から海路で上総国に至り尾垂浜に上陸。陸路で下総国公津ヶ原(現成田地区)へ入り、この地にて朝敵調伏を旨とする不動護摩供を奉修したややあって将門は戦死。最期は諸説あるが、寒の戻りの風に乗った一本の流れ矢が将門の額に命中したと伝えられる。これを朱雀天皇は、不動明王の霊験と歓喜した。さらに、寛朝が帰京しようとしても不動明王像が動こうとしないとの報せを聞き、公津ヶ原にて東国鎮護の霊場を拓くべきとの考えのもと、寛朝に開山せしめ、神護新勝寺の寺号を下賜したという。この時、朱雀天皇から「天国宝剣」を下賜されたとされる。(wiki)

 

御朱印:有 5か所でいただけます。

 

駐車場:

 

カメラあしあとカメラあしあとカメラあしあとカメラあしあとカメラあしあとカメラあしあとカメラ

     ご 案 内

あしあとカメラあしあとカメラあしあとカメラあしあとカメラあしあとカメラあしあとカメラあしあと

 

 

新勝寺境内入口

 

正式名です。

 

総門前 一之狛犬

 

 

総門

 

続いて仁王門

 

 

 

 

仁王像 よく見えません

 

 

 

二之狛犬

 

 

手水舎

 

三之狛犬

 

 

橋があります。

 

少し長めの階段です。

 

四之狛犬 最後の出迎えです。

 

 

手水舎

 

境内に入りました。

 

常香炉 煙が立ち込めています。

 

お正月はここが一杯になります。

 

 

一周してみます。

 

 

 

 

 

三重の塔 ここも1周します。

 

 

 

 

鐘楼

 

 

一切経蔵

 

 

 

大師堂

 

 

聖徳太子堂

 

 

 

光輪閣入口

 

光輪閣

 

燈明塔

 

パノラマ風境内全景

 

 

    一期一会、ご覧いただきありがとうございます。  

 

 

千葉県成田市の神社・仏閣 記事一覧