【鶯塚古墳】なぜこんな山頂に? 被葬者は誰? | 邪馬台国と日本書紀の界隈

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邪馬台国・魏志倭人伝の周辺と、まったく新しい紀年復元法による日本書紀研究についてぼちぼちと綴っています。

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 若草山は奈良公園の西にある山焼きで有名な山です。三笠山ともいわれていて、山自体が三重になっています。

 その三重目、頂上(標高342メートル)に大きな前方後円墳があるのをご存じでしょうか?

 

 

 3月15日の開山まもない天気の良い日に、頂上の古墳まで登ってきました。

 入山ゲートで入山料150円を支払って入ります。

 

 

 石段はけっこう急こう配ですが、休み休み登ればそれほど大変ではないと思います。

 

 

 中腹の二重目からは奈良盆地も一望できて、癒されるとともに古代に思いを馳せることができます。

 

 

 頂上の前方後円墳は「鶯塚(うぐいすづか)古墳」と命名されています。墳丘長104メートルの古墳です。

 

 

 清少納言の『枕草子』に「みささぎは、鶯のみささぎ……」と記された陵墓であるとして、頂上には「鶯陵」と彫られた石碑が立っています。

 

 

 また、石碑の裏面には「延喜式曰平城坂上墓〈延喜式のいう平城坂上墓(ならのさかのうえのはか)〉」とも彫られていて、仁徳天皇の皇后磐之媛命の陵墓とも考えられていたようです。

 古墳全体に葺石がされていたようですから、大規模な土木工事であったことが想像できますが、いったい誰が、何のためにこんな山頂に大きな古墳を築いたのでしょうか? そして、被葬者は誰なのでしょうか?

 後円部の頂上でそのようなことに思いをめぐらせました。

 

 当日は天候もよく快適に登ることができましたが、日陰がないので登るなら暑くなる前がおすすめです。

 

 

【鶯塚古墳について考えたYouTube動画はこちらです】

 

 

 

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『古代天皇たちの真実』目次

第一章 「紀年論」のこれまで

第二章 『原日本紀』仮説による無事績年削除短縮法

第三章 『日本書紀』の編纂過程を考える

第四章 『原日本紀』編纂の論拠

第五章 『原日本紀』の年代観

第六章 天武天皇の意向と謎の第二期無事績年

第七章 継体天皇朝と仁賢・武烈天皇朝並立の根拠と歴史の真実

第八章 二王朝並立を復元するとみえてくるもの

    ◎真の「武烈天皇陵」◎「磐井の乱」新解釈 ◎「仏教公伝年」新説

 

 

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