第二次世界大戦終戦から今年で80年、アメリカ人がこの戦争で鮮明に記憶しているワードは、「パール・ハーバー」「ヒロシマ・ナガサキ」そして「トウキョー・ローズ」だという。この中で日本人の多くが知らないのが「トウキョウ・ローズ」というワードだろう。第二次世界大戦中、日本軍はアメリカ側の兵士の「戦意」を喪失させるために、音楽とともに捕虜となった兵士から家族に宛てた手紙などを紹介するラジオ放送を流していた。故郷の恋人を懐かしませるような艶のある英語で話しかける女性アナウンサーに、戦場のアメリカ軍兵士達は夢中になり、「トーキョー・ローズ」という愛称で呼んだのだ。そして終戦、日本に上陸したアメリカのメディアは、「東京ローズ」を、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の制止を振り切って捜し回った。実は「東京ローズ」は、10数名からなるバイリンガルの女性パーソナリティだったが、自分がその1人だったと名乗り出たのは、アイバ戸栗⬆️という日系2世の女性だけだった。彼女はロサンゼルスで日系2世として生まれ日米開戦の年に日本の親戚を尋ねて来日し開戦のため帰国できなくなり、日本軍の対外宣伝ラジオ番組(プロパガンダ)のアナウンサー(トウキョウ・ローズ)となったのだ。 終戦後、米国への帰国が実現した彼女だったが、「国家反逆罪」に問われ、禁錮10年と罰金1万ドル、アメリカ市民権剥奪などの処罰を受けた。釈放後も苦しい生活を強いられたが、1977年、フォード大統領による特赦により、無事にアメリカの国籍を回復した。