東北地方を中心に甚大な被害をもたらした東日本大震災から今日で14年。
東日本大震災後も2016年の熊本地震をはじめ、昨年の能登半島地震など日本は何度かの大地震に見舞われています。すべて夢だったら良いのに…という気持ちや、復興のために何か力になれることがあれば…など3.11は色々な思いが複雑に絡み合う日でもあります。
私は宮城出身で、親類縁者が東北地方に集中しています。家が津波に流されたり、逃げようと車に乗ったら津波にのまれ、九死に一生を得た親戚もいましたが、14年の月日が流れそれぞれ別の理由で亡くなった人もいます。諸行無常を感じます。
毎年3.11は東日本大震災に関する記事を書いているのですが(昨年に関しては深川不動堂の「東日本大震災追悼法要並復興大護摩供」について書いています)、今年はちょっと不思議な話をご紹介したいと思います。
東日本大震災の後、被災地では思い込みや勘違いとは思えない、実に多くの不思議体験談が報告されています。
この震災怪談ともいえるお話は、民俗学者「柳田國男」氏の『遠野物語』にも収録されているんです。遠野物語は柳田さんが岩手県の遠野の「佐々木鏡石」という人から聞いた話を口述筆記しまとめたもので、112話のうち第99話に明治三陸地震(1896)での不思議話が書かれており、地名や人名はすべて実在します。
岩手県船越村田ノ浜(現在の山田町)に暮らす北川福二さんは、明治29年の明治三陸地震の大津波で妻と子を失いました。
〈原文〉
「夏の初めの月夜に…遠く離れたる…渚の…霧の中より、男女二人の者の、近寄るを見れば、女はまさしく、亡くなりしわが妻なり。
思わずその後をつけて・・・追い行き、名を呼びたるに、振り返りて、にこと笑いたり。
男は、とみれば、これも同じ里の者にて、
津波の難に死せし者なり。
自分が、婿に入りし以前に、互いに深く心を通わせたりと聞きし男なり。
今は、この人と夫婦になりてありというに、
子どもは可愛くはないのか、といえば、
女は少しく顔の色を変えて泣きたり。
死したる人と、もの言うとは思われずして、
悲しく情けなくなりたれば、
足元を見てありし間に、
男女は、再び足早に、そこを立ち退きて…見えずなりたり」
夏の初めの霧の月夜。福二は夜中に用足しのために起き、小屋から離れた場所にある便所に行くため、波の寄せる渚にある道を歩いていると、途中立っていると、霧の中から男女二人が現れるのを見た。
よく見ると、女は昨年の津波で亡くなった自分の妻ではないか。思わず二人の後をつけていく福二。はるばると船越村の方へ行く岬の洞穴の前まで追っていき、そこで妻の名を呼んだ。すると妻は振り返りニコッと笑った。
もう一方の男の方を見ると、やはり田の浜出身で、津波に呑まれて死んだ者である。福二が婿入りする前に、妻と互いに心を深く通わせていたという男だった。
妻は「今はこの人と夫婦になっています」と言った。福二が「子供は可愛くないのか」と訊くと、妻は少し顔の色を変えて泣いた。福二は死んだ人と話しているということを忘れ、まるで現実のように切なくなり、うなだれて足元を見た。
その間に妻と男は足早に立ち去り、山の陰に隠れて見えなくなった。福二は追いかけようとしたが、二人は死んだのだと気づいて思い止まった。それから福二は夜明けまで道でずっと考え込み、朝になって家に帰った。その後、福二は長い間悩み苦しんだという。
女性と母性、どちらをとるのか?
福二や妻、子どもなどそれぞれの視点に立つと実に色々な解釈が出来ますが、良い悪いではなく、この世で叶わなかったことがあの世で叶えられている、ということはいえると思います。
福二は何か不思議な力に導かれた感じもしますよね。
私は何度か経験があるのですが、あの世とこの世の波長が重なる、その瞬間にこういった出来事が起こります。たくさんの人々があちらの世界に旅立った被災地では、亡くなった方々の想い、そして残された方々の想いがお互いに強く交錯し、不思議な現象が多発したのだと思われます。それは決して怖いものではなく魂の繋がり、そして深い愛情なのではないでしょうか。
〈追記〉
調べてみたところ、山田町に福二さんの四代後のご子孫がいらして、東日本大震災の大津波で家とともにお母様が流されご遺体は見つかっていないそうです。福二さんの奥様のご遺体は見つかっていたのかいないのか、とても気になります。
東日本大震災で犠牲になられた方々の
ご冥福を心よりお祈り申し上げます
ー合掌ー
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