「復旧から復興に向かうために」能登半島地震発生から1年1か月(第10回) | KARA好き...そしてこれからも

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2月に入りまとまった雪が積り少し混乱した能登地方

少し落ち着いた時期の朝、奥能登に向かう道

道路の状況は圧雪でツルツル(>_<)

両脇には150cmほどの除雪した雪の山がずっと続いています。

 

町野に入ると空き地の雪は30cmくらいでした。

 

昨年まで家があったところも今は更地になってて

除雪してない場所が多く心も寒くなりました。

 

 

 

いつもお世話になっているシナリオライターさんの連載(第10回)

 

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「復旧から復興に向かうために」能登半島地震発生から1年1か月 石川県輪島市町野町出身のシナリオライターが見つめる“ふるさと”の今

 

石川県輪島市町野町出身で東京在住のシナリオライター、藤本透さんは、現地ならではの情報や行政の情報をまとめ、ご自身の実家も被災しながら、発災から一日も休むことなく、X(旧・Twitter)で発信を続けています。

能登半島地震発生から1年1ヶ月を迎えました。能登半島地震発災から、二度目の冬が訪れた能登は、厳しい寒さのなかにあります。

ふるさとの今を見つめる藤本さんによる連載記事、第10回目です。

輪島市町野町出身のシナリオライター、藤本透です。

 
私のふるさと、輪島市町野町は、輪島市の東側にあり、今回の地震の震源地・珠洲市と隣り合っています。町野町は、1956年に輪島市に編入されるまで、単独の町として存在していました。集落を中心として地域の人たちが助け合って暮らしている姿は、昔も今も変わりありません。私は、2歳から高校卒業まで、町野町で過ごしました。
 
 

復旧から復興へ向かうために

2024/12/14、文化財レスキューのみなさまと地元有志のみなさまのお力を借りて、町野町粟蔵にある町野神社の社殿から、御神輿が救出されました。

8/22の粟蔵地区のキリコの救出直後から計画されていた御神輿の救出は、9/21の奥能登豪雨の被害を受けて延期されていましたが、それでも可能な限り早くということで、能登半島地震発災から11ヶ月、年を越す前にとようやく救出されたのです。

 
町野町の御神輿救出の様子(2024/12/14)提供:町野町の有志の方
 

能登の人々にとって「祭り」は特別なものです。町野町では、2024/8/12にふるさと5000人の祭典が、2024/8/17には曽々木大祭が執り行われました。

祭りに欠かせないキリコと御神輿のレスキューは、町野町以外の地区でも地元の方々に寄り添いながら行われています。

町野神社の御神輿の救出から遡ること1ヶ月前の2024/11/17、かねてから計画され、奥能登豪雨により延期となっていた輪島市大屋地区のBさんの祖父の形見のキリコが、倒壊した2階建の車庫の1階部分から救出されました。

 

倒壊に巻き込まれたキリコ 提供:Bさん
 

キリコの救出には、粟蔵地区のキリコ救出でもご尽力いただいた町野町の工務店さんと運送会社の方が駆けつけてくださり、頼もしく作業を進めてくださいました。

当日は、冷たい雨が降る中の作業でしたが、町野町の工務店さんが事前に支保工を実施してくださったおかげで、安全にキリコを運び出せました。

また、いつも輪島大祭で一緒にキリコを担ぐBさんの同級生のみなさまが集まってくれたことで、和気あいあいと作業を進めることができました。

救出されたキリコは、屋根部位にある龍の装飾や漆が塗ってある部分が剥がれ、キリコの一番目立つ文字が書いてある部分の「中籠」が一番被害が大きく、ぐちゃぐちゃになっている状況でした。

 

救出されたキリコ 提供:Bさん
 

幸い、電球は無事で、かたね棒などの骨組みも母屋の縁側の上に保管していたことで被害を免れました。

これらのキリコの部品は、文化財レスキューさんがひとつひとつ記録を取り、丁寧に保護梱包してくださり、町野運輸さんのトラックに積み込んで保管先の能登町に預けることが出来ました。

Bさんは、当日のことをこのように振り返ります。

「じいちゃんの形見のキリコですが、我が子を預けるような気持ちでした。やっと肩の荷がおりて、居宅の公費解体に進めると思ったのを今でも覚えてます。公費解体は年越しで実施して1月中頃に完了しました。

今年は、なんとかキリコを修理して、今年は無理でも来年の輪島大祭には、復興の象徴として同級生達でこのキリコを担ぎたいと思ってます」

キリコの修繕や新たな保管先の確保など、やらなければならないことはありますが、祭りに意識を向けられるようになったこと自体が、能登の復旧が復興へと向かう最中にあるということなのだと思います。

 

公費解体が進む

2月上旬の大雪の影響もあり、2月と3月の解体予定に遅れはあるものの、町野町では解体が進み、更地となる土地が増えてきました。

雪の重みで更なる倒壊が起こる可能性もあるなかで、懸命な作業が進められています。

 

公費解体の様子(1/19) 提供:町野町の有志の方
 

直近では、まちの保育園さんの園舎、1階部分が押しつぶされるようにして倒壊していた旧石川サンケン(株)町野工場や、石川県輪島水泳プールとの解体がはじまりました。

まちの保育園の園児さんは、卒園式を思い出のある場所で迎えることが出来ないのです。

公費解体が進むスピードが上がることは、復旧・復興のためにも必要なことですが、町野町の象徴的な建物が消え、更地が増えていくことを寂しく思う人も多くいらっしゃることを、知っていただければと思います。

 

冬期も続けられる復旧作業

能登の冬は風が強く、天気の急変が本当に目まぐるしい季節です。今年は大雪の予報も出たりと、昨年に比べて厳しい寒さとなっています。

そんななかでも、復旧作業は日々着実に行われています。

1/15には、緊急車両と地元車両に限りという条件つきではありますが、長い間通行止めになっていた、町野町金蔵に続く県道278号金蔵川西線の迂回路が完成し、通行できるようになりました。当初は1/20頃開通予定でしたが、1日も早く開通させたいとの思いで、前倒して開通してくださいました。

 

町野町金蔵の道路開通(1/15) 提供:町野町の有志の方 
 

大規模な土砂崩れのため、従来の道路の復旧ではなく、田んぼを大きく迂回する道路となりましたが、迂回路の完成により、ほとんど孤立していた金蔵との行き来ができるようになり、町野町に一体感が戻ってきたように思います。

また、本格的な降雪の前にと、道路の応急的な修繕も行われました。大きな穴が空いていて、タイヤがパンクするなどの被害が報告されていましたが、ひとつひとつ優先順位をつけて対処いただき、本当に感謝しております。

 
北円山地区の補修箇所(1/17)提供:町野町の有志の方 
 
真久方面の土砂崩れがあった現場には、山の斜面がセメントで覆われるなど、少しでも安全に通れるようにとの工夫が見られます。 
 
法面工事の様子(2/3) 提供:町野町の有志の方 
 
2/6の大雪があった日も、9/21の奥能登豪雨で氾濫した鈴屋川のそばに積み上げられている瓦礫や流木を重機やトラックが朝早くから黙々と片付けて運び出している姿や、町野川に流れ込んだ土砂を片付けている重機の姿が見られました。
 
町野川復旧工事の様子(2/6) 提供:町野町の有志の方
 
河川の様子を映すライブカメラの端にもその様子が確認でき、日々有り難く拝見させていただいております。 
 
鈴屋川復旧工事の様子(2/11) 提供:町野町の有志の方 
 
雪や雨、霰など目まぐるしく変わる冬の寒さ厳しい能登では、毎日の復旧作業が懸命に進められて居ます。
 
 

町野復興プロジェクト実行委員会の取り組み

町野復興プロジェクト実行委員会は、まちなじボラセンがお休みに入った後も歩みを止めずに進み続けています。

重機の免許を取得したメンバーが、甚大な浸水被害を受けた町野町粟蔵地区での田畑の復旧や流木の撤去など、引き続きボランティアで活躍しています。

1/27には、公共交通機関やタクシーに代わり、移動支援の実証実験としてのライドシェア「町プロ交通」の取り組みも始めました。

 

町プロ交通 提供:町野復興プロジェクト実行委員会
 

町野―輪島便と、町野地区内を自由に移動することができる移動支援は、開始18日目で依頼40件、乗車人数138名の方が利用くださり、当初の想定よりも移動支援を利用される方が多いことがわかりました。

町野町では、平日の利用や複数人での利用が多く、複数人で乗り合せることで会話が弾み、移動中の車内がよいコミュニティとなっているようです。

今後も、みなさまのお話を聞きながら柔軟に対応してくださるとのことですので、町野町のみなさまは積極的に利用して頂ければと思います。

 

「我が事」として考えること

まちなじボラセンがお休みに入り、町野町では1月からボランティアさんの姿を見かける機会が減りました。

そんななかで、「何かをしたい、何かをしなければ、何かできることはないか」、と考える人たちが増えています。

例えば、午後のお散歩。

もともと冬期は出歩いている人が少なかったのですが、運動をしたり身体を動かす場が減ったこともあり、仮設住宅などでは、声をかけあって、散歩する人が増えてきました。

支援物資の受取や、配布に関しても大きな動きがありました。

これまで、石川県や輪島市の担当の方に届けていただいたり、町野町の一部の有志の方が引き取り、各地区へお届けしていた支援物資について、積極的に自分たちで動こう、という人たちの流れが出来てきたのです。

ニーズをまとめるだけに留まらず、受取りから配布までを担う人が増えてきたことで、町野町とお隣の南志見地区では、2月初旬の大寒波の前に、多くの世帯に着る毛布や毛布、あたたかな冬物衣類をお届けすることができ、『あたたかい毛布で安心して眠れました』、『とても有り難いです。ありがとうございます』という感謝のお声もいただきました。

 
石川県支援物資の毛布と着る毛布 提供:南志見地区子ども会
 

また、昨年の経験を活かして、子供たちが町野復興プロジェクト実行委員会さん主催・共催のイベントや、日曜日に町野小学校前バス停でオープンしているバス停カフェなどでお手伝いをしてくれるようになりました。

「子供たちも参加するイベントは、大人も楽しそうでいい笑顔が見られていましたが、自分たちも手伝おう・盛り上げようという意欲を持って取り組んでくれることになったことで、より一体感が生まれたように感じます」

町野復興プロジェクト実行委員会のメンバーの方が、とても嬉しそうに語ってくださいました。

 

心の復興のために

能登半島地震の発災から1年が経ち、現地への支援についても、変化が訪れています。

1月の記事でご紹介させていただきました「能登に舞い降りたたくさんのサンタさんたち」に続き、これからは支援物資ではなく「応援ギフト」を贈ろうという取組みをはじめました。

Amazonほしいものリストより、もらったらちょっと嬉しくなるプレゼントを募り、全国のみなさまの応援の気持ちをみなさんに伝えるという取り組みです。

今回も、私が一次受け取りを担当させていただき、ひとつひとつラッピングして、みなさまにお届けさせていただくべく、準備を進めております。

 

写真:ラッピングの様子 提供:藤本透さん
 
2/12には、第一弾として南志見地区子ども会さんに向けてラッピングしたプレゼントをお届けいたしました。
 
南志見地区へ届けられた応援ギフト 提供:南志見地区子ども会
 

「お子様の用品店も閉店し、本屋さんやゲームセンターもなくなりました。買い物をする場所が減り、さらに不便になった。」という声をたくさん聞きます。

壊れた家を見るのも思い出の場所が更地になっていくのも、隆起して様変わりした景色を毎日見るのも、大変つらいと思います。

現地で頑張っているお子様も、仕事や家事育児で時間に追われて炊き出しや物資の配布になかなか行けない親御さんも、笑顔になるようなホッと一息できるようなギフトをお楽しみいただければと思っています。

『沢山の方が応援してるよ』っていうお気持ちもギフトと共にお届けできればと思います」

みなさまと連携して、ニーズの把握やお渡しの計画を立ててくださっているKさんは、今日も地元のみなさまに寄り添いながら、新たに広域避難で孤独な日々を過ごされているみなさまとの連携をはじめています。

また、「お菓子のクリスマスツリー」に続いて、町野町ご出身の方が「節分のお菓子」をまちの保育園さんと、南志見地区子ども会さんに届けてくださいました。

 

節分のお菓子たち 提供:町野町の有志の方
 

これからも能登のみなさまにあたたかなお心を寄せて頂けますと、本当に心強いです。

さらに、奥能登豪雨で床上浸水の甚大な被害を受けた、町野町の東陽中学校への本の寄贈の取り組みもはじまっています。

生徒のみなさまの読みたい本や、お勧めの本を選び、東陽中学校の先生方と連携してAmazonほしいものリストから寄贈を募り、取りまとめて現地に届けています。

 

東陽中学校へ寄贈された新品の本 提供:藤本透さん 
 

本だけでなく、図書館の本には必須の透明フィルムのご支援もいただき、これまでに24冊の本をお送りすることが出来ました。

浸水被害により、使えなくなってしまった蔵書は約2000冊ほど。

個人の方などから80冊以上の御本が寄贈されたとお伺いしておりますが、今後も息の長い支援が必要です。

 

トイレトレーラーの交代

1/21、町野町の東陽中学校(まちなじボラセン前)に設置されていた、福岡県須恵町のトイレトレーラーが交代となり、福岡県須恵町へ戻られました。

発災直後の簡易トイレは、ご高齢の方には使い方が難しく、2時間も経つと床や壁が激しく汚れてしまうほどでしたので、トイレトレーラーが来てくださってからは衛生面においても本当に助けられました。

 

大阪府交野市のトイレトレーラー 提供:町野復興プロジェクト実行委員会 
 

新しく大阪府交野市からトイレトレーラーが到着しております。

トイレトレーラーが設置されている東陽中学校もそのお隣の町野小学校も、奥能登豪雨で床上浸水の被害を受け、校舎での授業を再開出来ないままでいます。

自治体の貴重なトイレトレーラーを町野町に設置くださったことを本当に有り難く思うと同時に、まだまだ復旧・復興の最中にあることを改めて感じます。

 

 

MRO北陸放送では、被災地の声を集め続ける藤本さんが見つめる被災地の現状をNEWS DIGで、毎月掲載します。

 

 

藤本透
シナリオライター。アプリゲーム『ノラネコと恋の錬金術』メインシナリオライター。『ラブライブ!スクールアイドルフェスティバル』、『ラブライブ!スクールアイドルフェスティバル2』のシナリオ執筆に携わるほか、様々なジャンルでの執筆を手がける。石川県輪島市町野町出身で、石川県を舞台に描かれたアニメ「花咲くいろは」の小説版を執筆。2024年1月1日の能登半島地震発生以降、SNSを通じてふるさとの情報を日々きめ細かく発信している。

 

 

 

 

「2025年は復旧から復興へのフェーズへ」

発災から1年が経ちそういう時期なのかもしれない

 

けど9月の豪雨災害にあった地域はそうでもない

復旧が進んでいたけど、また振り出しに戻り。。。

いや、地震の時より被害は深刻だ。

 

地震だけならまだやる気はあった。

しかし1年に2度も災害にあった人は。。。

豪雨からは半年近く経つが未だに無気力状態が続いていて

どう言葉をかけていいのか?

聞いてあげることしかできず寄り添うことしかできず。

 

がむしゃらに前進する人もいれば立ち止まったままの人もいる。

心の強い人もいれば弱い人もいる。

その人にあった向き合い方がわからずモヤモヤしています。

 

支援する側もされる側も

焦らず自分のペースで歩くことが大事ですね。

 

 

 

地震関連の過去記事はこちらから >>

 

 

(お借りしました)