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- タイトル
仏教法話 空飛ぶ坐禅草
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- カテゴリ
- 仏教 (2位/58人中)
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- 紹介文
- このブログでは、私がお寺での生活を通して気が付いた事、学んだ事、坐禅を通して見い出した事等を、私なりの解釈でご紹介して参ります。
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- ありとあらゆる生きとし生けるものの幸せを願う事、それは、自分自身の幸せを願う事。
- 衆生(しゅじょう)を利益(りやく)すというは四枚(しまい)の般若(はんにゃ)あり一者(ひとつには)布施(ふせ)、二者(ふたつには)愛語(あいご)、三者(みつには)利行(りぎょう)、四者(よつには)同事(どうじ)是(こ)れ即(すなわ)ち薩埵(さった)の行願(ぎょうがん)なり(修証…
仏教法話 空飛ぶ坐禅草 -
- 原始仏教から現代仏教に至るまで、代々実践され、受け継がれてきた、心を整える「止観(しかん)」。
- 諸行無常(しょぎょうむじょう)、諸法無我(しょほうむが)、一切皆苦(いっさいかいく)、涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)前述の言葉は、お釈迦様が説かれた仏教の教えの中でも、特に重要な4つの基本理念として、「四法印(しほういん)」と言われています。仏教においては、特に大切にされている…
仏教法話 空飛ぶ坐禅草 -
- 為せば成る、為さねば成らぬ、何事も、成らぬは、己が為さぬなりけり。
- 一心欲見仏(いっしんよっけんぶつ)、不自惜身命(ふじしゃくしんみょう)、自我及衆僧(じがぎゅうしゅそう)、倶出霊鷲山(ぐしゅつりょうじゅせん) (妙法蓮華経如来寿量品偈、みょうほうれんげきょうにょらいじゅりょうほんげ) ただ一心に、仏を見たいと願い、真実を見定めたいと強く念じな…
仏教法話 空飛ぶ坐禅草 -
- 欲の少ない人は、多くを求める心が無く、名誉や利益にも執着せず、悩み、苦しみが生じない、仏の世界を生きる人。
- 多欲(たよく)の人(ひと)は利(り)を求(もと)むること多(おお)きがゆえに、苦悩(くのう)もまた多(おお)し。 少欲(しょうよく)の人(ひと)は無求無欲(むくむよく)なればすなわちこの患(うれい)なし。 ただちに少欲(しょうよく)すらなおまさに修習(しゅじゅう)すべし。 (仏…
仏教法話 空飛ぶ坐禅草 -
- 一人の人が、ほんの一時でも坐禅をする広大な功徳は、全宇宙の諸仏が共に力を合わせても、推し量る事はできない。
- それ、修証(しゅしょう)はひとつにあらずとおもへる、すなはち外道(げどう)の見(けん)なり。 仏法(ぶっぽう)には、修証(しゅしょう)これ一等(いっとう)なり。 いまも証上(しょうじょう)の修(しゅ)なるゆゑに、初心(しょしん)の辨道(べんどう)すなはち本証(ほんしょう)の全体…
仏教法話 空飛ぶ坐禅草 -
- 欲の少ない人は、多くを求める心が無く、名誉や利益にも執着せず、悩み、苦しみが生じない、仏の世界を生きる人。
- 多欲(たよく)の人(ひと)は利(り)を求(もと)むること多(おお)きがゆえに、苦悩(くのう)もまた多(おお)し。 少欲(しょうよく)の人(ひと)は無求無欲(むくむよく)なればすなわちこの患(うれい)なし。 ただちに少欲(しょうよく)すらなおまさに修習(しゅじゅう)すべし。 (仏…
仏教法話 空飛ぶ坐禅草 -
- いついかなる時も、目の前に現れた、ありとあらゆる出来事は、自分を磨く為の修行であり、本当の宝に気付く為の因縁。
- 從門入者不是家珍。 門(もん)より入(い)る者(もの)是(こ)れ家珍(かちん)に非(あら)ず。 (碧巌録、へきがんろく 雪竇重顕禅師、せっちょうじゅうけんぜんじ) この言葉は、唐(中国)の時代を生きた雪峰義存(せっぽうぎぞん)禅師が、巌頭全奯(がんとうぜんかつ)禅師と共に、行脚…
仏教法話 空飛ぶ坐禅草 -
- 自分に与えられた仕事は、今、できる時に、精一杯の力で取り組む。それが禅の教えであり、仏の生き方。
- 他不是吾、更待何時。 他(た)は是(こ)れ吾(わ)れにあらず、更(さら)に何(いず)れの時(とき)にか待(ま)たん。 (典座教訓、てんぞきょうくん 道元禅師) これは、道元禅師様が、禅の本場である宋(中国)に渡り、修行生活を送られていた頃のお話しです。 それは、ある夏の暑い日の…
仏教法話 空飛ぶ坐禅草 -
- たった一人の少しの坐禅でも、その行いの功徳、因縁は、 全世界、全空間へ伝播し、それが人類を救う事になる。
- 仏道(ぶつどう)をならふといふは、自己(じこ)をならふなり。 自己(じこ)をならふといふは、自己(じこ)をわするるなり。 自己(じこ)をわするるといふは、万法(ばんぽう)に証(しょう)せらるるなり。 万法(ばんぽう)に証(しょう)せらるるといふは、自己(じこ)の身心(しんじん)…
仏教法話 空飛ぶ坐禅草 -
- 愛語こそ、財が無くとも誰もができる布施であり、縁ある人々、周囲の人々を幸せにして、 自分も幸せになる方法。
- 愛語(あいご)というは、衆生(しゅじょう)を見(み)るに、先(ま)ず慈愛(じあい)の心(こころ)を発(おこ)し、顧愛(こあい)の言語(ごんご)を施(ほどこ)すなり。 慈念衆生(じねんしゅじょう)、猶如赤子(ゆうにょしゃくし)の懐(おも)いを貯(たくわ)えて、言語(ごんご)するは…
仏教法話 空飛ぶ坐禅草 -
- 周囲を支える人は、周囲から支えられ、周囲を喜ばせる人は、周囲から喜ばれ、周囲を愛する人は、周囲から愛される。
- 紀元前の古代中国では、秦の始皇帝によって中国全土が統一される以前の時代を、春秋戦国時代と呼び、斉、楚、秦、燕、韓、魏、趙という7つの国が存在し、激しい争いを繰り広げていました。そのうちの斉の国の君主である威王と、魏の国の君主である惠王とが、相互親善を目的に、狩猟をしていました。…
仏教法話 空飛ぶ坐禅草 -
- 男女のご縁、因縁においても、身口意(行動、言葉、心)の行いが原因となり、それに応じた結果を引き寄せる。
- このお話しは、唐の時代の中国で、元和12年、第14代憲宗皇帝の時で、今からおよそ1,200年前の出来事として、言い伝えられている昔話です。唐(中国)のとある町に、信仰心が薄く、神仏を一切信じない人達ばかりが住んでいる町がありました。 その町に、毎朝、一人の美しい女性がたくさんの魚…
仏教法話 空飛ぶ坐禅草 -
- 食事の偏りが多くある人程、偏った心身が形成され、心身の不健康、不調、ひいては病気を招く。
- 五観の偈(ごかんのげ) 一(ひと)つには功(こう)の多少(たしょう)を計(はか)り彼(か)の来処(らいしょ)を量(はか)る。 二(ふた)つには己(おの)れが徳行(とくぎょう)の全欠(ぜっけつ)を計(はか)って供(く)に応(おう)ず。 三(み)つには心(しん)を防(ふせ)ぎ過(とが…
仏教法話 空飛ぶ坐禅草 -
- 真の安心、安楽という心の平安、幸福は、手に入れるものではなく、心からそのように感じる事。
- 同じ寺院で長い間修行を積んだ二人の僧侶がいて、二人は親友でした。 二人は、二、三ヶ月のうちに相次いでこの世を去りましたが、一方は極楽浄土に生まれ変わり、もう一方は虫となって糞の中に生まれました。極楽浄土に生まれた方は、ありとあらゆる無上の喜びを味わい、至福の時間を過ごしていました…
仏教法話 空飛ぶ坐禅草 -
- 人間として生まれる事は、一億円の宝くじに百万回連続して当たる確率と同様の、天文学的な奇跡の確率。
- ある時、お釈迦様が、阿難陀(あなんだ)という弟子に、 「そなたは人間に生まれた事を、どのように思っているか。」と尋ねられました。 「大変喜んでおります。」 阿難陀様がそう答えると、お釈迦様が、重ねて尋ねられました。 「では、どれくらい喜んでいるか。」 阿難陀様は答えに窮します。す…
仏教法話 空飛ぶ坐禅草 -
- 今日という一日、今という一瞬は、二度と、永久に返ってこないからこそ、一生懸命に、存分に生きるべき。
- 光陰(こういん)は矢(や)よりも迅(すみや)かなり、 身命(しんめい)は露(つゆ)よりも脆(もろ)し 何(いず)れの善巧方便(ぜんぎょうほうべん)ありてか、過(す)ぎにし一日(いちにち)を復(ふたた)び還(かえ)し得(え)たる (修証義 道元禅師) 「光陰矢の如し(こういんやのご…
仏教法話 空飛ぶ坐禅草 -
- 坐禅の実行こそが、この宇宙に自分自身の全てを捧げ尽くす、最高、最上の善行。
- 大凡(おおよそ)因果(いんが)の道理(どうり)、歴然(れきねん)として私(わたくし)なし 造悪(ぞうあく)の者(もの)は堕(お)ち、修善(しゅぜん)の者(もの)は陞(のぼ)る 毫釐(ごうり)も忒(たが)わざるなり (修証義 道元禅師) 「修証義」とは、曹洞宗の開祖、道元禅師様が、…
仏教法話 空飛ぶ坐禅草 -
- 成功とは、親のご恩、徳分、ご加護があって初めて成し得るもので、自分一人だけの力では無い。
- 「箸とらば、親と先祖の恩を知れ、我一力で、食ふと思ふな」 (家運とお墓 運の直る話 大阪聖徳風会) お墓と言えば、 「なんだか怖い。」「幽霊がいそう。」「恐ろしい。」 といったマイナスのイメージがあるかもしれませんが、中には、「ほっとする。」「安心する。」「落ち着く。」 といった…
仏教法話 空飛ぶ坐禅草 -
- たとえ無茶苦茶な坐禅でも、コツコツ継続すれば、自分自身の人生観、宇宙観、哲学が出来上がる。
- 正しい坐禅の実行によって、深く深く集中力を練り上げ、真実の命、今ここ、に成り切っていくには、坐禅の正しい作法、姿勢が大変重要になってきます。それでも、発心寺27世住職 原田祖岳老大師様は、「たとえ無茶苦茶な坐禅であっても、熱心な坐禅の実行をコツコツと継続すれば、自分自身の人生観、…
仏教法話 空飛ぶ坐禅草 -
- 掃除は心が清められ、良い運動にもなり、身も心もすっきり気分爽快にもなる、とてもありがたい修行。
- 威儀即仏法(いいぎそくぶっぽう)、作法是宗旨(さほうこれしゅうし) (正法眼蔵、しょうぼうげんぞう 道元禅師) 威儀(身なり、姿、恰好、姿勢)を整え、正す事が、仏道を行じる事であり、修行であり、仏様のお教えそのものであり、歩むべき道である。 作法(立ち振る舞い、所作、礼儀、態度)…
仏教法話 空飛ぶ坐禅草 -
- 煩悩への執着を手放せば、この世界のあらゆる悩みや苦しみから解放される。
- 色即是空(しきそくぜくう)、空即是色(くうそくぜしき) (摩訶般若波羅蜜多心経、まかはんにゃはらみったしんぎょう)この世界の全ての色(物質的なもの、存在)は、全てが空である。 この世界の全ての色(物質的なもの、存在)には、本性、本質、実体、永劫不変に変化しない、終わらない、普遍的…
仏教法話 空飛ぶ坐禅草 -
- 不幸、災難、悲劇、困難な状況、ショッキングな事も、美しく大きな花を咲かせる必要不可欠な事。
- 死ねば浮かぶ。 逆境に立って、全ての欲(欲望)とこだわり(執着)を捨てた時、人は思わぬ力を発揮できる。 (インスタントラーメン発明王 安藤百福著) この言葉は、日清食品の創業者であり、「チキンラーメン」「カップヌードル」といったインスタントラーメンの開発者、安藤百福さんのお言葉で…
仏教法話 空飛ぶ坐禅草 -
- 父と母のご恩程、海より深く、山より高く、広大無辺で、果てしないご恩は無い。
- 父に慈恩あり、母に悲恩あり (父母恩重経) 父は、我が子の喜びを自分自身の事として共に喜び、母は、我が子の悲しみ、苦しみを、自分自身の事として共に悲しみ、苦しみます。父母の両親は、そんな海のように広く深い、優しい心、思いやりの心、慈しみの心を持って、我が子を産み育てています。私達…
仏教法話 空飛ぶ坐禅草 -
- あるがままを受け止めて行く事ができれば、海の如く広大無辺の福が集まる。
- 具一切功徳 慈眼視衆生 福聚海無量 是故応頂礼 (妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈) 観音様(観世音菩薩様)は、一切の功徳を具えておられ、衆生(私達を含む、あらゆる生きとし生けるもの)に対して、常に常に、とても優しく思いやりの深い、慈悲の眼を向けておられます。その福徳は、どこまでも広…
仏教法話 空飛ぶ坐禅草 -
- 今までとは違う見方や考え方が得られると、もっと自由に、楽しく、幸せに、生きやすくなる。
- 好雪片片不落別處 好雪(こうせつ)片々(へんぺん)、別処(べっしょ)に落(お)ちず (碧巌録 雪竇重顕) この言葉は、宋(中国)の時代の仏教書物「碧巌録(へきがんろく)」の中の一文です。 「碧巌録」は、禅宗の様々な名言集、語録集、公案(禅問答)集で、日本の禅文化にも大きな影響を与…
仏教法話 空飛ぶ坐禅草
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