社会形成と自己疎外の主体は労働する諸個人である | 草莽崛起~阿蘇地☆曳人(あそち☆えいと)のブログ

草莽崛起~阿蘇地☆曳人(あそち☆えいと)のブログ

自虐史観を乗り越えて、「日本」のソ連化を阻止しよう!

 
 マルクスが社会形成の主体に据えるのは、人間一般としての労働する諸個人である。但し、それは抽象概念としての人間一般ではなく、人間の一般性を担う現実の生きた個人である。この人間の一般性は、人間を生命一般から区別する種差であり、人類一般に通有される契機である。これこそがマルクスの類的本質であり、その内容は、人間固有の生命活動としての労働である。
 
全ての生物は、必ず身体組織の外に広がる外在的諸条件(自然環境や他の人間)との間で何らかの物質や情報のやり取りをしながら自己の生命を維持しているのである。このとき外在的諸条件は、当該有機体の生命過程の諸契機(非有機的身体)として、この有機体の生命活動に適合するよう生命過程に組み込まれている。すべての生命体が、それぞれが置かれた条件に応じて、自己保存や繁殖という目的に適した運動形態を獲得している(生命活動の合目的性)。
 
水鳥が水かきを持つのは、捕食対象や生息領域という環境条件の下で自己保存と繁殖という目的に適合的な有機的身体を獲得したということに他ならない。しかし、水鳥はその身体形成の運動を合目的的には為し得ていても、決して目的意識的には為し得ていない。それは、無自覚的な運動にとどまっている。
 
外在的諸条件(自然環境や他の人間)に対する人間諸個人の関係も、外在的諸条件と生命一般の合目的的関係であることには変わりはない。しかし、人間の場合には、自己の有機的身体と非有機的身体との間の物質代謝という合目的的な過程を「意識(精神)」によって媒介している。人間は、合目的的運動を対自化してとらえ、自覚的に制御するのである。それにより、人間は、有機的身体が他の生物のように、生息環境や捕食対象に限定的に対応せず、物質代謝の諸対象(物質的生存条件)に対してより普遍的にふるまうことができる。遭遇する様々な対象の固有の性質に応じてそれらに対し自由に対応することができるのである。
 
このようにとらえられた主体概念とその運動から近代社会の日常的発生過程(共時的synchronic発生過程)を展開することがマルクスのいう概念的把握である。したがって、概念的に把握された近代社会とその運動様式は、人間的本質としての労働の特殊歴史的な媒介関係と媒介様式以外の何物でもない。
 
それでは、そのようにして明らかにされた疎外された労働の概念とは、どのようなものであろうか。
 
マルクスは、疎外された労働を構成する4契機として、(1)労働主体の、労働対象に対する矛盾した関係、(2)労働主体の、労働という行為・活動それ自体に対する矛盾した関係、(3)労働主体の、彼の労働能力に対する矛盾した関係、(4)労働主体の、他の人間に対する矛盾した関係を挙げる。
 
なお、(1)における対象とは、労働の物質的条件としての非有機的身体であり、人間にとっての物質的環境の一切である。また、(4)における他の人間とは、労働の社会的条件である社会的諸関係である。
 
この4契機のうち、最も基底的な契機は、第3契機の能力の疎外 である。物質的環境、自己の活動それ自体、社会的諸関係の3者に対して普遍的にふるまいうる能力が疎外された結果、物質的環境、活動、社会的諸関係という3者に対して矛盾した関係に陥るのだからである。
 
「疎外された労働」とは、「国民経済学的事実」と指摘されていることからもわかるように、端的に賃労働のことである。賃労働が類的能力(Gattungsvermögen)の譲渡であることから、この能力の展開および媒介の諸形態である、対象(手段と成果)、活動、社会の疎外が生じるのである。
 
「ミル評註」では、主体は私的所有者であり、それに即して「疎外された労働」も、「営利労働」(私的労働)として捉えなおされている。私的所有者の直接的な関心の対象は商品としての生産物である。しかし、その生産物も、それ自体は享受の対象でなく、営利すなわち貨幣の取得を達成するための手段にすぎない。もちろん、この生産物を生産する労働も、それが私的所有者自身の労働であるかどうかに関係なく、私的所有者の享受の対象ではなくなる。活動としての労働も、対象としての生産物も疎外され、社会的諸関係は、私的所有に対する私的所有の関係に、すなわち相互に排他的な対象支配行為が、貨幣という外在的事物に媒介される関係となっている。
 
こうして,社会形成の主体とその現時点での疎外されたあり方が明らかにされた。疎外は生産過程における疎外(疎外された労働)と流通過程における疎外(営利労働)として把握された。この現時点での在り方を基準にして過去の社会形態と将来の社会形態,それぞれの特性が照らし出されることになる。