現局面の階級闘争 | 草莽崛起~阿蘇地☆曳人(あそち☆えいと)のブログ

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自虐史観を乗り越えて、「日本」のソ連化を阻止しよう!

 A)新自由主義的局面における資本・賃労働関係は、福祉国家的妥協を放棄して株主志向、金融化へと展開している。特に、M&Aを通じての企業それ自体の金融資産化、投機対象化による雇用の不安定化は、職場内団結への直接的な破壊攻撃という性格も併せ持っている。しかし、このことは同時に、職場内はもちろん、同一産業内の団結を超えたより広範な階級的結集の必要性を労働者階級に自覚させる契機ともなっている。

 B)上記の内容は、一見してわかるように、個々の職場内という限界をすでに超出している。加えて、直接的な目的としては、依然として個別資本の自己増殖が追及されているが、その手段がグローバル化し、その結果、数においても地理的広がりにおいてもこれまでにない規模での雇用の深刻な不安定化によって社会の再生産の根底的な撹乱が生じ、資本自身の存続のためにも一定の介入的「調整」――例えば政府による賃上げ推奨――が、実質を見れば内容を伴わないリップサービスに止まる場合が多いとはいえ、避けられない事態となっている。産業構造の転換が引き起こす社会的摩擦の制御が資本家階級にとっても課題とならざるを得ないのである。そこにおいては、個別資本の私益追求としても、総資本的な「調整」としても、国際機関を動員しての「超国家的」なプロジェクトの役割が次第に大きなっていく。すでに述べたように利潤獲得の手段がグローバル化してきているからである。これに対抗するには、労働者階級もネーションステイトの限界を超えた運動を構築していく以外にない。様々な限界を持つとはいえ、ミュニシパリズムといわれるような都市間連合も一定の役割を果たしうるであろうし、EUのようなリージョンステイト、国際NGOなども同様に階級闘争のアリーナとしての意義を持ちうるだろう。

 B)の側面、すなわち社会的分業の諸分肢間の調整の発展は、諸資本の統合や連携(「独占」)による競争の制御として現れる。階級間で争われているのは、そのような競争の制御の目的をどこに置くのかという問題である。資本の自己増殖の手段としてこれを行うのか、真に人間的な富――自由時間――の生産と享受の手段としてそれを行うのか、これが対立点である。

 個々の職場を超えた広範な階級結集といっても、その根底的な地盤は職場にこそあることは言うまでもない。だがしかし、同時に、このことは時間的な前後関係を意味しない。まず職場、しかる後にその外への拡大ということではない。地域合同労組などで外とつながった労働者が、次第に自分の職場内に戦いの場を構築していくという進み方もありうるのである。

 いうまでもなく、階級闘争は、労働運動の場面に止まらず、必ず国家権力をめぐる闘争へと発展せざるを得ない。複数の職場・産業を包摂するのみにならず国境も超える運動へと労働者の闘いが展開するにつれ、あるいはその兆しが見えるや否や、資本の勢力は弾圧を強化する。関生、動労、港合同、全港湾など戦う労働運動、革命的な労働運動の広範な連帯の構築を目指す運動への資本の激しい攻撃が現に進められている。

 経済の金融化は、資本主義自体の腐朽化・行き詰まりの表現であって、この転換によっても資本主義の健全な再生など不可能である。むしろ、矛盾の非和解性の深刻な表現である。   

 現代の帝国主義間戦争の経済的な基底は、主にグローバル化したサプライチェーンの支配(コトンロール)をめぐる抗争である。腐朽化が深刻になるにつれ、それは軍需生産の場面で戦われる傾向が強まるだろう。武器などの軍需品の本来的に浪費的な性格、究極の奢侈品としての性格が、社会的に有用なものを必要とする人々の正常な購買力――実際には彼らにはそれが十分に保証されているわけではないが――だけでは、自らの増殖欲求を満たすことができなくなっている現在の資本の唯一の逃げ道となっていくからである。

 

 

 

 

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