「本音で生きる」で得るモノと失うモノ | 将来世代へのバトンを和泉市から〜小林大地のブログ〜

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株式会社アースライト 代表取締役 小林大地のブログ

 
 
「強くあろうとする人」は素敵ですが、
「強がる人」はポンコツだと思うものの、
愛犬たちを叱ってもきいてくれないという理由から犬に向かって強がる情けない男こと小林です。
 

(ヤドカリ化🐚したコロ)

 
 
今日は午後からナッツとともに、
フロンティア・コバヤシのYouTubeチャンネルの撮影をしていたのですが、
その中で僕があまりに本音で話すもんだからナッツが焦って顔が引きつっているシーンがあるので、
次回は是非その引きつったナッツの表情をご覧いただけるといいなぁと、一人そう思っております^^
 
 
撮影を終えてからも、「さすがにあそこまで本音を出されるのは怖くないですか?」と聞かれましたが、これまで散々叩かれてきた自分としては、逆に本音を発信しないほうが気持ち悪くて嫌なんです。
 
 
本音で話す理由は先日のブログでも書きましたが、
今回は本音で生きることによって、得るモノと失うモノについて僕なりの考えを書かせていただきます。
 
 
 
まず、「本音で生きる」というのは一体どういうことか?
 
 
やりたいことはやりたい。
良いものは良い、悪いものは悪い。
おかしいことはおかしい。
 
自分の心に素直に生きるということ。
言い換えると、自分に嘘をつかず、自分自身の価値観を大切にすることです。

(嫌いな人や自分と考え方の違う人を攻撃するということではありません)

 

 

 

本音で生きていると、「批判している」と受け取られることがあり、色々と叩かれたり、せっせとこちらのアンチ活動に励む人が出てきます。

 

 

でも、たったそれだけ。

 

 

本音で生きることによって失うモノは、

本音で生きていない人たちだけなんです。

 

 

 

逆にいえば、本音で生きることで本音で生きている人だけが残り、自分に対して本音でぶつかってくれます。

 

本音でぶつかり合えるからこそ議論もできるし分かり合えることもできます。


本音でぶつかり合って分かり合えない人も居ますが、それは価値観が大きく異なるだけでなので関わらなければいいだけ。

 

つまり、自分にとって大切な人だけが残ってくれるんです。

 
 
 
何度も言いますが、
本音で生きていない人は、本音で生きているアナタ自身に対して綺麗ごとを言ったり、直接何も言わず陰で言うか腹の中で批判する人たち。
 
 
そんな人、アナタにとって必要ですか?
 
 
 
そして本音で生きることによって得られるもう1つのモノは、
 
”本音で生きている人”という「信用」です。
 
 
 
関係性がなくても、本音で生きている人という信用にものすごく価値があるコトを僕は知っています。
 
 
信用はお金では買えませんし、その信用を得るまでに時間や労力だけでないストーリーがあります。
それらはどれだけお金を積んでも買えないし、一朝一夕で手に入れられるものではありません。
 
だからものすごく価値があるんです。
 
 
 
 
これだけ聞くと、
 
「じゃあ今の仕事面倒くさいから辞めよ」
「自分に正直に生きないと」
 
と表面的に理解する人が居るのですが、そういう人ほどSNSを鵜呑みにしている人たち。
そうした人たちが利己的な働き方をすることで信用格差が出来ていくのも事実。
(仕事をやめてはいけないということではなく、
利己的に考えではいけないということ)
 
だからこそ本音で生きる信用という価値はさらに高まる。
 
 
 
そう考えた時に、本音で生きることは良いこと尽くめだなぁと思う私です。
 
 
 
 
今日も感謝。