九十九里鉄道廃線跡探訪② | つれづれなる日々

つれづれなる日々

半分は学校の先生、半分はショウリンジャー
ときどきふらふら風まかせ。

ほとんど四面楚歌で徒手空拳、いつでもどこでもひとりきり。

東金市と九十九里町の境に近づくと、最大の遺構になる
荒生(あらおい)駅跡にたどり着きます。
一目見ると、林(地元の人間だと、「やま」と呼ぶこともあります)ですが、
近づいてみると、ホーム跡のコンクリートが残っています。

 

逆側から見ると、駅があった様子が感じられると思います。
整備すると、かなりの遺産になるとは思うのですが…。

 

九十九里町に入ると、路線跡は一転して、「きどうみち」という遊歩道として整備されています。
開業当時は「九十九里軌道」という社名で、「キドー」という愛称で親しまれていたそうです。

 

 

荒生駅の次、九十九里町では最初の駅になる、西駅跡。
交換設備はない駅ですが、駅があった名残を生かすためか、
ここは遊歩道が広くなっています。

 

しばらく進むと、片貝(かたかい)小学校のあたりに看板が。

このあたりに、「学校前」駅が設置されていたようです。
小学生が利用するとは考えにくいですが、

小学校のそばってことでの駅名だったのかも知れません。

 

九十九里町の町営ガスのガスタンクが見えると、遊歩道の終点で、
残り1kmは町道になっています。
ガスタンクの脇の小川からは、天然ガスが湧出して泡になっています。
実は東金市側の路線跡は、

地籍上は地元の工業用ガスの配給会社の土地になっていて、

ガスのパイプラインが埋設されています。

 

 

片貝海岸への県道を横切る場所に、「小湊鉄道用(地)」の境界標がありました。
戦中の鉄道会社の整理の際、資本上は九十九里鉄道が親会社、
小湊鉄道は子会社の扱いになっています。
両者のバスの塗色が同じなのは、それが理由ですし、
九十九里鉄道の現本社に、小湊バスの営業所が併設され、

観光バス事業は、両者の合同事業になっています。

 

ちなみにこの県道に、唯一の踏切があったんですが、

戦後まもなくは、現在の国民宿舎の場所に米軍の演習場があり、
そこへ行く米軍のトラックと事故がたびたびあったそう。
ただ、壊れたのは簡易鋼体化の九十九里鉄道の車両だったようですが…。

 

 

 

そこから路地を進むと、終点(?)の片貝駅に到着します。
営業時は新潟にも同じ片貝駅があるため、

「上総片貝駅」となっていました。
いまは九十九里鉄道のバスの折り返し場、バス置場になっています。
そこから考えると、駅舎と車庫、整備工場、
片運転台だったための転車台もあり、かなりの規模の駅だったようです。

 

 

ここまで、東金駅から写真を撮りつつつ、自転車で約2時間。
帰りは40分ほどのプチトリップでした。