一之塚古戦場と要川公園 | 鳳山雑記帳アメブロ版

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立花鳳山と申します。ヤフーブログが2019年閉鎖になったのでこちらに引っ越してきました。歴史ネタを中心に好き勝手なことを書いています。宜しくお願いします。

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 本日の記事は超マイナーな郷土史なので皆さんはスルーしてくださいな。

 

 ヤフーブログ時代だったかと思いますが、福岡県筑後市屋島の国道209号線沿いに一之塚古戦場という碑が立っていると書いた記憶があります。説明文を呼んでも、どうやら源平合戦時代の古戦場だったらしいという事は分かったんですが、詳細が分からずネットで調べても南北朝時代の話と混同しているようなおかしな情報しか載っていませんでした。

 

 そのまますっかり忘れていたんですが、たまたま見た『福岡史伝 筑後みやまの平家伝説』というページに詳細が乗っていたので嬉しくなって紹介したくなりました。

 

 福岡史伝によると、壇ノ浦の合戦で敗北した平家の残党は、陸路と海路から博多、次いで太宰府に逃げて来たそうです。ところが筑前の有力な平家党である原田種直は、源範頼率いる源氏軍に大敗し保護できなかったみたいです。そこで平家の人々は薩摩街道をさらに南下し安住の地をさがしていました。

 

 しかし源氏軍の追手に今の福岡県筑後市あたりで追いつかれます。平家の人々は女子供を先に逃がし筑後市尾島あたりで最後の合戦をしました。しかし衆寡敵せず敗れほとんどの武士が戦死したそうです。そこが一之塚古戦場のあたり。平家残党の女子供たちはさらに逃げますが、一之塚から10㎞くらい南の現在のみやま市山川町甲田あたりで追いつかれました。飯江川と待居川の合流する当たりだったそうです。ここでもひと合戦あったそうですが、寡兵な上に傷ついた武士しかおらずほぼ全滅の憂き目にあったとか。現在の要川公園がその場所です。

 

 女性たちは飯江川沿いに東の上流に逃れますが、1㎞ほど遡ったところで滝に出会い、全員身を投げて自害したとか。そこは七霊の滝と現在呼ばれています。

 

 一之塚古戦場と要川公園、七霊の滝にこんな悲しい歴史があったんですね。まったく知りませんでした。今度現地を訪れたときは歴史に思いをはせたいですね。