好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

居ぬも有るけば亡に應?

なんでここからそこへ行く?と言う『應』の文字から繋がった『應(あたる)』にまつわる大蛇の伝承を法華経で読み解くと…移民問題に繋がるお話

犬も歩けば棒に当たるの漢字を変えると?

以前、犬も歩けば棒に当たるを全く違う解釈をしていたが…

犬も歩けば棒に当たるに隠された言霊の意志

古代神社巡りの旅を終えて戻ってきたら…もっと複雑かつ、え?そんな…でもまさか?!ʅ(´⊙ω⊙`)ʃという面白い新解釈が出てきた

居ぬも有るけば亡に應?

居ぬとは
居ない、そこに『居る』はずなのに『存在しない状態』

有るとは
そこに『存在する状態』

亡とは
『かつては在った』が『今は無い状態』

『人』として捉えるか?
『物事や歴史(生き様)』と捉えるか?
『国や概念』で捉えるか?

居ぬは『今は』であって存在は『有る』けど
『亡』は『今は』存在が『無い』よな?

では、当たるは?と思ったら『應(あたる)』と言う字が存在した

應(おう)は、先秦時代の小国

應は殷代に建国された。甲骨文の卜辞の中に「應侯朝商」、商王「歩于應」の記載がある。『水経注』の注引『竹書紀年』には「殷時已有應国」とある。当時の應は山西省朔州市応県一帯に存在した可能性がある。春秋時代中期、應は楚によって滅亡した。

戦国時代、秦の相国范雎の封地となった(なので、應侯と呼ばれる)。

まさに居ぬは『今は』であって存在は『有る』
しかし『亡』は『今は』存在が『無い』=應(あたる)

これが隠された真相・・だかこれは深堀しょうがない
『あたるがゴール』だったと納得できただけでもすっきりしたが

もうひとつはピンポイントでかなり身近にあった

應物寺 (階上町)

三戸郡階上町角柄折蕨。かつての角柄折村。地内の北東付近には往年ほろどの沼があり、伝説では大蛇が住んで村民をおびやかしたため討ちとられたといいます。大蛇は当地で角を折られ、耳ヶ吠で耳を切り落とされ、道仏で胴を切られたと伝え、大蛇を追って追って追い越したところが追越、胴の落ちていたところが大蛇という地名になったといいます。また、沼の主はサケであったともいい、討ちとられると沼の水は赤く染まり、7筋に分かれて川となったり、海や近くの川に流れこんだといいます。

うーん(´・ω・`)なんつーかツッコミ所満載

『角生えた大蛇』って存在しない=『龍』だとしたら・・龍って『耳』あるんだっけ?いやその前に『蛇は耳』あるの??…追って追って…『追い越す』ってなんだよ?『沼にサケ』『流れがない』から無理だろうヾ(=д= ;)

と言う『頓智』だらけの法華経隠語満載に…『訳詞如来の妙見狸』発動ʅ(´⊙ω⊙`)ʃピキーン

龍と耳=『聾唖』=聞く耳がない『障害者』
もしくは『言葉』が理解出来ない『渡来人・侵略者』

王様の耳はロバ(聾唖)の耳の本質は法華経

三戸と言う地が『ヘブライルーツ』だから地元民との『言葉の壁』はあっただろうし、寺は何かと『供養』の為に建てて居座る『檀家ビジネス』だからか分からないが『水子の霊の供養』をしている

南無地蔵大菩薩(法興院浄信豊道禅居士為俗名豊藏17回忌・平成15年12月19日)。「深き縁ありて命を受け、未生のまま葬むらる。その数幾百千萬なるを知らず。願くは諸水子の霊、この地蔵尊の願力に依って、その苦しみを免れ、新生の喜びに浮かばれんことを」

水子の霊とは『産まれなかった子供』の供養

現代では親の都合の『妊娠中絶』が一般的だが、昔の水子の霊=産まれる事が出来なかった理由は『訳あり』で産みたくても埋めなかった、もしくは『産みたくなかった』などもないだろうか?

と思える理由は、東北には『龍人を父親』に持つ『父親不明の母子の話』が多い事からも考えられる

『言葉の通じない渡来人』が行き釣りの『性欲・情欲』に身を任せて『種付け(ナンパ)』した結果、『産んではいけない子供』を大量に身篭った女性達が『忌み子として葬った』のではないか?

と考えた時、『日本にきて性犯罪』をするのは決まって『韓の国から来た者』が大半を占める傾向にあるが(DNA的な?)

『韓の邪魔』は『朱熹』の話でも『侵略・妨害』という意味ではまったく同じエネルギー

朱に交われば赤くなる…盲信すると韓の思う壷

国・メディア・警察はそれを『擁護』するようにあまり報道せず『通り名』で濁す。これは『鳥の世界』で言えば、自分の子の卵を別の鳥の巣に産んで『托卵させる格好の生態』と同じで

その格好も成長過程で『自分以外の元々巣にいたひな達を蹴落とす習性』を『生まれながら』に持っているDNA

カッコウは夜鳴く その生態から繋がる気づき

だから仮に『日本人に見える』ような言葉の通じない『聾唖のような渡来人』『村の女達が襲われた』としたら…

そりゃ男共からすれば『角』へし折って、『耳』切り刻んで、『体』も切り刻んで『道中馬で引き回しの刑』『細切れになった体』『勢い余って追い越す事』もあるよね?

だって『サケ』の『血が赤く7筋』に広がった=『股先の刑』『体が七つ』に千切れた

とも『想像』つくし、『中絶』ではなく『産んだ子供』を『忌み血(犯罪者のDNA)』を混ぜない為に『その地域で殺処分と言う判断』に至ったのだとしたら…

『子供に罪は無い』のに…とその風習に対して『仏教』が寺建てて『供養しなければ浮かばれない』とも言える

なんでここに『水子の霊=産まれるはずだった命』を『供養する場所』があり、とんでもない規模の『矛盾した伝説』が語り継がれているか?

真相は龍の耳=『聾唖』に繋がる

聞く耳持たない『権力者=横暴な王様なのか(かつて天皇家は1万人の子種を・・)』
理解できない『知的障害者だったのか(パワー系キチガイ)』
言葉が通じない『渡来人だったのか(異教徒の女性には何をしてもいい教義のイスラム系)』

三戸、丑寅の混人、インド、ペルシャ、『中東系が多く入った地』であるからこそ

感じる漢字 『根』丑寅の金神は牛虎の混人(働き者)

『大蛇』が住んで『村民』をおびやかした ←ここがポイント

『移民』がもたらす『最初の問題』は『女性を襲う男性』
移民国家では『レイプが問題』となっている

昔の国の侵略の考え方はこうだった

男は殺せ、女は孕ませろ

だから『村八分』と言う文化と『地元民の団結』というのも『大切なもの(血筋・子宝)』を『侵略者から守護する為』に必要だった。と、同時に『忌み血を持って産まれる子=ハーフ』『産まれる前に葬られた』可能性も高い

今みたいな西洋の金属でつぶして「グチャっ!」と肉片にして胎児を殺すやり方なのか、それとも『漢方の生薬』には母体や臓器を傷つける事なく、『中の子の息の根を止める方法』があったのか…

そもそも『息の根を止める』と言う言葉がある時点で、そんな苦しまないで『安らかに死ぬ方法』があった気がする

『敵意』の言葉で言えば

お前を殺す ←ストレート
八つ裂きにしてやる ← まぁ直球
刀のサビにしてくれる ←遠回し、後サビつかせるような奴は侍じゃない

息の根を止めるって、息は『喉』と言うとても『細い管』でしているから、なんなら『片手でもキュッ』とできる事を、わざわざ『面』と向かって言うだろうか?

『そっと黙って締めればいい』だろうに…と思うほど『サイレントなアクション』なので

『息の根を止める=安らかにお眠りください』の葬送と同義
私は息の根を止めるのは『毒』だったと思う

毒とは『主の母』と書く
産まれる前の『子を主』としたなら
主の母の意志で『息の根』を止める『毒』

『恨まれる』かもしれない…でも『産まれた方が辛い』から…
『産まれる前に止めた方がいい』のかもしれない…

『我が子に逢いたい』けど会えない…『逢っては』いけない…

居ぬは『今は』であって存在は『有る』けど
『亡』は『今は』存在が『無い』よな?=

『主の母』『毒』に苦しむ(´;ω;`)報われない=幸せに反する

「気の毒に…」と思えば『供養』する
その気持ちを人と共に養おうと

と・・漢方の生薬で『毒』を盛って『母胎』を護りながら安らかに息の根を止めて『子を葬る』までは気持ちの葛藤

問題は、その後の『肉体的な性風紀の乱れ』
『行きずりの男』だろうと『襲われた犯人』だろうと

『サイズが違うブツ』『穴拡張』して『外の味』を知ってしまえばどうなるか?

「巨根は神!」ʅ(´⊙ω⊙`)ʃと崇め始める

味を占めて『快楽に色狂い』して『貞操観念』を壊されてしまった女性達はもう…『地元の男では満足出来ない体』

結果『ガバガバゆるゆる』で誰でも満足出来ないで『でっけえ棒(珍法)』を求めて自分を大切にしなくなって『安売りする売女』になっていくと

『水商売』と言う『沼の主』になる 始まりは『そこの男』から来たんだぜ?┐(´-д-`)┌

貞操観念、操を護る
やっぱり『精神』なんだよな〜と

居ぬも有るけば亡に應

かつては『そこに居た』けど『今は居なく』て
でも『痕跡(伝承と遺物)は有る』んだよな〜?

『亡き事』を思うと『應=先祖供養』にたどり着く
『先の祖』を『人』として『共に養う』=氣を巡らせる

知らない→新羅ない←有るよ
わからない→和唐ない←有るよ

居ないのに有る
亡いのにあたる

まるで『幽霊』だね?

ちなみに應(おう)の字は現在は『応』との事
失われたのは『人と隹(ふるとり)』

隹(ふるとり)とは『雀の事』であり
『少』とは『スクナ』と読み『スクナヒコ』は古の『自然崇拝の象徴』である

少なくても事足りる=足るを知る=シッタールタ

シンプル哲学 足るを知る=シッタールタ

『類は友を呼ぶ』ように、『失われた想いは復活』していく

そう考えると、私たちが当たり前に使っている応じる・応報・応援などは
全ては應=『人と自然の心』が込められていたのが『当たり前』だったが

その根幹が今は亡き事

『応』える前は『應』としって『反応』した
伝えたかったのは『犬』でも『棒』でも『当たる』でもなかった・・

やはり『誰にも忘れられた地』への旅は、そこで『語り』たくて『教え』たくて『聞く耳を持っている子が来る』のを待っている『師(死)』が沢山いるんだ

死人に口なしと『幽霊』を『恐れる対象』に『仕立て上げた』のは誰だ?
『韓(統一教会の霊感商法)』だろ?(自然の摂理を邪魔する)

風の中に隠されたムーンショット

日本の『祖先や風土』は『日本人の味方』なんだよ

太陽光パネル敷き詰めて自然破壊とか、ソウルフードの微生物や酵母を破壊するとか、種の品種改良するとか、水に毒を混ぜるとか、侵略者は日本人に自然に嫌われるように仕向けて『同士討ち』させたいという事を『肝に銘じて』おけよ?

勧告に従うな

当事者に、こういう処置をしたほうが良いと(多少とも)公的なしかたで告げ(説い)て勧めること。その内容

『任意の勧告』で政府・医者が『不正の異者』になった事例を忘れてはいけない
道理を無理に、無理を道理に『無理やり=レイプ』が好きなDNA

・・日本の古代の女神の神社や木々は相当『毛嫌い』している意志のようだ(;´・ω・)

そんな『想いが溢れた閃ワード』は大量にストックしてるけど…その前にそうなる『きっかけの旅』をまとめたいが…

先にそういうのを『書き出して供養』しないと、『先に進めない』ので、しばらく意味わからん『新解釈』にお付き合い下さい(平常運転ですが(笑))

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