あらすじ

デンマークの若き牧師ルーカスは、植民地アイスランドの辺境の村に教会を建てるため布教の旅に出る。アイスランドの浜辺から馬に乗って遥か遠い目的地を目指すが、その道程は想像を絶する厳しさだった。デンマークを嫌うガイドの老人ラグナルと対立する中、思わぬアクシデントに見舞われたルーカスは狂気の淵へと追い込まれ、瀕死の状態でようやく村にたどり着くが……。

  感想

「ウィンター・ブラザーズ」「ホワイト、ホワイト・デイ」のフリーヌル・パルマソン監督脚本による最新作。

 

デンマークの牧師ルーカスは、植民地アイスランドの村に教会を建てるために布教の旅に出て、その道程の過酷さから瀕死の状態で村に着くが、その村での布教活動の中でも、その境遇の複雑さに苦しむというお話。

19世紀のデンマークと植民地であったアイスランドのその関係性や、キリスト教の布教活動そのもの、その土地の人たちの土着の考え方や信仰の障害としての言語の問題など、すべてのニュアンスを消化しきれるものではない部分もありますが、厳しい自然のアイスランドの光景をたっぷりと見せ、ごまかしの利かないロング・ショットの演技が多く、そのシリアスな展開自体は、大変好みの作品でした。

 

フィクションでありながら、クラシカルなスクリーンサイズの中に、ドキュメンタリータッチな映像のリアリティ、さらに写真撮影の儀式的な止まった時間など、情感に溢れていて、牧師という職業の人間としての苦しみを体験するような物語が印象深く残りました。

 

強いて欠点があるとすれば、ロングショット故に、動作が分かりにくい場面があった事くらいでしょうか。

公式サイト

 





 

  あらすじ

長野県、水挽町(みずびきちょう)。自然が豊かな高原に位置し、東京からも近く、移住者は増加傾向でごく緩やかに発展している。代々そこで暮らす巧(大美賀均)とその娘・花(西川玲)の暮らしは、水を汲み、薪を割るような、自然に囲まれた慎ましいものだ。しかしある日、彼らの住む近くにグランピング場を作る計画が持ち上がる。コロナ禍のあおりを受けた芸能事務所が政府からの補助金を得て計画したものだったが、森の環境や町の水源を汚しかねないずさんな計画に町内は動揺し、その余波は巧たちの生活にも及んでいく。

 

  感想

『偶然と想像』『ドライブ・マイ・カー』などの濱口竜介監督の最新作。

第80回ヴェネチア国際映画祭では銀獅子賞受賞作品。

 

昨年観た石橋英子さんのライブパフォーマンス映像作品『GIFT』と同じ映像素材を利用しつつ、劇映画として別途編集された作品となっています。

 

長野県の自然豊かな町にグランピング場を作る話が舞い込み、説明会が開かれるが自然や生態系のバランスが崩れる危険性をはらみ、話し合いは平行線となる。その町に代々暮らす親子にアドバイスを求めるというお話。

 

何で今作がサイレント映画『GIFT』として企画されたかが、『悪は存在しない』を観てやっと分かったような気がしました。

 

主演の親子を演じる2人が演技未経験で、台詞のないシーンは観てられるのですが、会話シーンにおける違和感がかなり大きく、俳優とのからみが浮いてしまっています。

サイレント映画なら気にならない部分だっただけに、主演だけに大きなポイントでした。

 

ただ、過去作(「ハッピーアワー」など)でも俳優経験のない方との化学反応は上手くいっているケースもあり、今作でも特に説明会のシーンでは、演技経験の有無を生かした演出になっているのを感じ、知らせたい情報、物語の集中線がバランス良く配置された名シーンになっていて、そこは良かったです。

 

全体的に台詞が少なめのために、台詞のあるシーンのウエイトが高く、後半に起きる事件の伏線としての主人公の設定や鹿の事などは少し分かり易すぎる一方で、ラストシーンにおける主人公の性善説を裏切る行動の意味の理由付けとしての行動原理は描き切れていない印象が残り、インパクト以上に納得のいくラストシーンにはなっていないと感じました。 

 

公式サイト

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  あらすじ

いつもピンクのトップスを着込んだベニーは、9歳のどこにでもいる普通の女の子。だけど、怒りの感情にいったん火がつくと、あたり構わず暴力をふるい手がつけられなくなる問題児。里親の家庭、グループホーム、特別支援学校、トラブルを起こしては新たな保護施設へとたらい回し。学校にも行かず、街をぶらついては毎日を過ごす。そんなベニーは、顔を触られることが大嫌い。ママ以外、誰にも顔を触らせない。赤ちゃんの頃、顔にオムツを押し付けられたことがトラウマとなって、感情をコントロールできないほどのパニック発作を起こすから。


 

  感想

2019年第69回ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞作品。

9歳の少女ベニーは怒りの感情をコントロールできず、パニック発作を起こし暴力を振るってしまい、家族の元を離れ、保護施設を転々としている。そんな中、通学介助を行うミヒャが森の小屋に1対1で過ごすことを提案し、その症状は変化するのかというお話。

観る前の想定を遥かに上回るほどに素晴らしかったです。

ベニーは本来親の愛情を欲しているのですが、それが最善の形になりきらずに、世話をする大人たちの苦悩や葛藤とベニー自身の孤独と苦しみがバランス良く描かれていて、それでも編集が小気味よく、発作を起こした時にスクリーンがピンク色なる表現や、ハードロックな音楽がコントロールが利かない暴走ぶりをウエットになりすぎないような映画に仕上がっていて、後味も心地よかったです。

 

主人公ベニーを演じた少女の演技、その演出も凄まじかったし、周囲の大人たちの対応の難しさが、社会と愛情のバランス感覚がドラマチックて、最後まで読みにくい驚きの連続でもありました。

 

同日に観た濱口竜介監督の「悪は存在しない」と終盤のあるシーンが似通っていて、それをどう解釈し、結末まで持って行くか、想像力に膨らませ方は「システムクラッシャー」の方が上手に感じました。

 

公式サイト

 

 

 

  あらすじ

高級リゾート地として知られる孤島を訪れたスランプ中の作家ジェームズは、
裕福な資産家の娘である妻のエムとともに、
ここでバカンスを楽しみながら新たな作品のインスピレーションを得ようと考えていた。
ある日、彼の小説の大ファンだという女性ガビに話しかけられたジェームズは、
彼女とその夫に誘われ一緒に食事をすることに。
意気投合した彼らは、観光客は行かないようにと警告されていた敷地外へとドライブに出かける。
それが悪夢の始まりになるとは知らずに……。

  感想

ブランドン・クローネンバーグ監督による「アンチヴァイラル」「ポゼッサー」に続く3作目のSFスリラー作品。

 

高級リゾート地に資産家の娘である妻と共に訪れた作家のジェームズが、小説のファンだと言う女性ガビとその夫と意気投合し、敷地外にドライブに出かけ、そこで起きるトラブルから発展していくお話。

 

上映後オンラインで監督とのトークイベントがあった時に鑑賞しました。

個人的に体調不良状態が続いており、かなり時間が空いてしまいましたが、短めに記録を残しておきます。

ここから先はネタバレを含む感想となります。

 

全貌は最後まで明かされたないため、謎めいているのですが、リゾート地独特の因習と、セレブのマインドが合致することで成立する「自分殺し」のメカニズムと、そのマインドになりきれない主人公の孤独と運命が精神的に残酷で、息苦しく感じるほどの寂しい結末に、前作ほどのエンタメ性はないですが、スリラーとしては充分面白く感じました。

 

ただし、自分そっくりのクローンが罪を償うというシステムの治外法権な感覚と司法や現地の人たちが描かれないことが、ミステリアスというより片手落ち、説得力不足に感じてしまう部分もあるため、この偏った描写を寛容になれるかどうかで、評価は分かれるかもしれません。

 

監督のお話では、冒頭や劇中に出てくる異質な仮面は「武器人間」の監督がデザインしたそうですが、意味ありげに感じさせながら、これ自体に意味はないそうで、それも少しもったいないようにも感じました。

公式サイト

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  あらすじ

高校2年生のココロとミクは体育教師の山本から、夏休みに特別補習としてプール掃除を指示される。水の入っていないプールには、隣の野球部グラウンドから飛んできた砂が積もっていた。2人が嫌々ながらも掃除を始めると、同級生で水泳部のチヅルや、水泳部を引退した3年生のユイも加わる。学校生活や恋愛、メイクなど何気ない会話を交わすうちに、彼女たちの悩みが溢れ出し、それぞれの思いが交差していく。

  感想

「リンダリンダリンダ」「カラオケ行こ!」などの山下敦弘監督最新作の完成披露試写会(有料)に行ってきました。

 

徳島市立高等学校演劇部によって制作された舞台演劇作品の映画化作品となります。

 

体育教師から夏休みに補習としてプール掃除を指示された高校2年生のココロとミクが、同級生の水泳部のチヅルや水泳部を引退した3年生のユイとともに、何気ない会話の中から溢れ出す悩みや想いを昇華していくお話。

当時高校生だった中田夢花さんが映画版でも引き続き脚本を担当しており、子供から大人の世界に踏み出していく、女性としての悩みが赤裸々に物語に組み込まれているものの、単なる共感性を求めるような女性あるあるに留まっていなくて、それぞれの考え方の違いや会話のぶつかり合いによって、それなりの答えとして各々の登場人物がその悩みを昇華していく姿に葛藤があり、男性の私が観ても、映画として理解できるレベルの物語として成立していることが大変良かったです。

 

学校生活を通して、恋愛やメイクのこと、水泳部としての悩みと佐渡おけさの踊りのことが、男性との性差や女性として社会進出への戸惑いが会話劇としてクロスしていくシナリオの美しさは光っていました。

 

ただ、会話劇として盛り上がる中盤以降に対して、前振りとしての序盤が怠惰なほどに退屈に感じてしまうことと、折角水のないプールというロケーションで撮影しつつも、元々の会話劇であることから、その広さを生かすシーンがほとんどないことが、演劇作品映画化の難しさでもありました。

比較対象として同じく高校演劇の映画化「アルプススタンドのはしの方」は会話劇である地味さと高校野球の試合展開を上手く掛け合わせて、試合シーンを見せなくてもそれを外野として伝える面白さに長けていたので、比べるともう一歩という感じは残りましたが、後味は大変良かったので、5月の公開時にはまた観直したいと感じました。

 

舞台挨拶では、ディスカッションを重ねてシーンや台詞を作っていった過程を知ることができて、良かったです。

公式サイト

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あらすじ 

その惑星を制する者が全宇宙を制すると言われる砂の惑星デューンで繰り広げられたアトレイデス家とハルコンネン家の戦い。ハルコンネン家の陰謀により一族を滅ぼされたアトレイデス家の後継者ポールは、ついに反撃の狼煙を上げる。砂漠の民フレメンのチャニと心を通わせながら、救世主として民を率いていくポールだったが、宿敵ハルコンネン家の次期男爵フェイド=ラウサがデューンの新たな支配者として送り込まれてくる。

 

感想 

「メッセージ」「ブレードランナー 2049」などのドゥニ・ヴィルヌーヴ監督によるSF叙事詩的小説の映画3部作の第二弾。

 

2作目を観終わるまで、1作目の評価もしづらい感じがあり、2作まとめて感想を残しておきます。

 

先にPART1から

公開当時Dolbyシネマにて鑑賞し、PART2公開に合わせて改めて配信で観直しました。

初回鑑賞時は若干長いようにも感じましたが、砂の惑星の世界観の説明を台詞だけでなく、映像と上手くリンクさせて、説明臭くならないように随所に工夫の跡が見られ、過去のデヴィッド・リンチ版を観ていなくても、小説を読んでいなくても、観やすいSF娯楽作品になっていて、長尺ながら許せる範疇かと思いました。

 

ロケーションやロケセットの壮大で美しい表現に見とれることもあり、場面が転々と変わっていくため、常に新鮮な驚きで飽きにくい構造になっていることも、最後まで観ていられる要因のようでもありました。

 

メカニカルなギミックは比較的現実よりで、幻の「ホドロフスキーのDUNE」のデザインの魅力には敵わないが、今の時代に見合ったものになっており、衣装などもコスプレ感はないに等しいのは、良いところでした。

 

初見で長く感じたのは、その情報量の多さも原因ではあるので、2時間強くらいに収まるとより良かったように感じました。

 

PART2

娯楽的に楽しめたPART1に比べて、PART2ではほぼ砂の惑星だけのお話となり、特に前半は地味な印象でした。

主人公が砂漠の民たちからの信頼を勝ち取り、予知夢や母親の宗教祖の力も借りつつ、敵軍に反旗を翻すまでのサクセスストーリーをリニアに見せていくのですが、その能力そのものが、砂漠の民にお墨付きを得られるほどのものなのかが、懐疑的に見えてしまい、あまり納得できる感覚は得られませんでした。

 

宗教や奇跡的な勝利、力による支配そのものが、欧米における植民地支配のような縮図として描かれているとも言えて、後に待ち受ける全面戦争に対しての責任や免責を感じる次回作まで観ることで、主人公の運命の先の暗闇まで見通せない現時点では、砂漠の民はバカ正直すぎるようにも見えてしまうし、主人公の成長も早すぎるように感じてしまいます。

 

リンチ版のようなダイジェスト映画にはなってはいないものの、心情や物語の重みを見せようとするSF娯楽とSF叙事詩のクラシカルな文脈のバランスの難しさを感じてしまい、少しどっちつかずの印象が残りました。

 

中盤のオースティン・バトラー演じる帝国側の跡取り息子の決闘シーンがモノクロシーンが今作のピークだったように感じました。

 

前述したように、3作目が無事製作されるなら、盛り上がる内容になると思いますし、胎児だった妹が、どのように活躍するのかも観てみたいとは思いますが、相変わらずの情報量の多さを処理しきれない場面も多く、主人公の呼び名が複数あることとか、上手く交通整理をして、完結編ができあがればより良い結果になるのではと思います。

公式サイト

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  あらすじ

東京でハイテンション女子高生ライフを送る、小山門出こやま・かどでと“おんたん”こと中川凰蘭なかがわ・おうらん
学校や受験勉強に追われつつも毎晩オンラインゲームで盛り上がる2人が暮らす街の上空には、3年前の8月31日、突如宇宙から出現し未曽有の事態を引き起こした
巨大な〈母艦〉が浮かんでいた。
非日常が日常に溶け込んでしまったある夜、仲良しクラスメイトに悲劇が起こる。
衝撃と哀しみに打ちのめされる二人。
そんな中、凰蘭は不思議な少年に出会い「君は誰?」と問いかけられる。
その途端、凰蘭の脳裏に、すっかり忘れていた門出との過去が一瞬にして蘇る――!

  感想

なんで今までアニメでやらないの?と思ってた浅野にいお原作の同名コミックの映画2部作の前章といいつつ、原作未見です。

 

3年前の8月31日に突如現れた巨大母艦の恐怖の中で女子高生ライフを送る小山門出と中川凰蘭のクラスメイトに悲劇が訪れる中、日常が脅かされていくというようなお話。

 

シナリオ大変良かったです。

女子高生の日常の中に影を落とす東京上空に現れた巨大母艦の存在。日常と非日常が混ざり合うブレンドに無理がなく、アニメだから表現できることに溢れていて、実写特撮とかにならなくて本当に良かったです。

 

原作の要素をかなり削ぎ落としていると想定するのですが、特に後半の小学生時代のパートからラストまでの流れ、漫画「イソベヤン」と異星人の関係から、登場人物のドロッとした奥底の感情が見えてくる描写に唸りました。

 

2ヶ月後の後章が公開されるというのも、印象が残ったまま続きが見られることの良さも感じます。

 

公式サイト

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あらすじ 

浅草フランス座演芸場東洋館(通称:東洋館)を活動拠点に、漫才協会に所属する芸人たちが連日舞台に立ち続けている。
事故で右腕を轢断し、舞台復帰に向けてリハビリに励んでいる大空遊平。39年間コンビとして活躍し、相方を亡くしてもなおピン芸人として舞台に立ち続けるホームランたにし。離婚後も同居を継続し、コンビで舞台に立ち続けるはまこ・テラこ。結成3年の若手コンビ・ドルフィンソングなど、幅広い世代の芸人たちの横顔をカメラが追う。さらにナイツの師匠でもあり、最後まで舞台に立ち続けることにこだわった漫才協会名誉会長・内海桂子への思いなど、漫才協会に集った芸人たちの過去、現在、そして未来が描かれる。

 

感想 

漫才コンビ・ナイツの塙宣之初監督作品。

自ら会長を務める漫才協会、活動拠点である浅草東洋館の舞台に立つ芸人たちにスポットを当てたドキュメンタリー映画です。

 

著名な芸人も登場しますが、主に舞台でしか見られない方や事情があって舞台を離れている方も多く、密着ドキュメンタリーらしい部分と、漫才協会そのものの歴史や活動、貴重な映像もあり、塙さんの人脈により加入された方のインタビューなどもあり、お笑いが好きな方にとっては見逃せない内容にはなっていました。

全体として、漫才協会や東洋館の舞台裏を知るという意味では明解で見やすい作品で、劇場に行きたくなるような魅力に溢れた作品だと感じましたが、個々のエピソードが雑多に詰め込まれた印象があり、YouTube動画の引用などもあって、1本の映画としてのまとまりはあまりよくないようにも感じました。

 

角川シネマ有楽町では、上映前に漫才協会所属の芸人による漫才が見られるイベントがあり、暖まった空気感の中で映画に入っていけたのは良い試みだと思いました。

 

 

公式サイト

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  あらすじ

抑圧的な恋人と婚約したばかりの主人公の女性・楓が、夜道で出会ったひとりの女から犬のように吠えられ、それ以来その女のことを忘れられなくなってしまう姿を描いた「犬」、とあるパーティに出かけた夫婦が、大勢の人々で賑わう会場で得体の知れない狂気に包まれていく「Rat Tat Tat」、湖のほとりで飲み会を楽しんでいた若者たちが、仲間のひとりが溺れかけたことをきっかけに水の呪いに飲み込まれていく「洗浄」、不慮の事故で友人を亡くした高校生・麻木の周囲でおかしな現象が起こりはじめる様子をつづった「VOID」の4作品で構成される。

 

  感想

不条理ホラー短編作品集。

短編ながら4作連続で観る体験は少し脳が疲れました。

短めに感想書きます。

 

全体的には、不条理な世界観をどのように映像に溶け込ませるかというところと、限られた時間内に消化できる内容になっているかが気になるところでした。

作品ごとの向き合い方は違いがありますが、短編であることで登場人物の境遇やその側面としての現状からの打破、変容としての切り取り方は良かったと思いました。

 

「犬」

婚約したばかりの女性が、夜道で出会ったひとりの女から犬のように吠えられ、その女性のことが忘れられなくなってしまうというお話。

 

またしても小川あんさん主演作。

抑圧された主人公の境遇と犬のように吠える女性からの影響を端的に描いていて、現実と非現実の曖昧さが精神的な不条理さを感じさせるところは良かったですが、主人公自身の抑圧環境描写はもっとあからさまに描けていれば、その落差で終盤の残酷さが際立ったと思いました。

 

「Rat Tat Tat」

あるパーティに出かけた夫婦が、大勢の人々で賑わう会場で得体の知れない狂気に巻き込まれるというお話。

 

正直あまり良くなかったです。集団圧力を描くのに、人間関係が分かりにくく、誰からの視線カメラなのか、どこまで映すべきかということが、恐怖に結びついていない感じが最後まで続いた印象でした。タイトル文字も凝りすぎていて読めないのもマイナスだと思います。

 

「洗浄」

湖のほとりで飲み会を楽しんでいた若者たちが、仲間のひとりが溺れかけたことをきっかけに水の呪いに飲み込まれていくというお話。

 

映像と音響が際だっていて、不条理ホラーというテーマには一番即していたと思いました。

主人公の女性の立ち位置が、グループから距離を置いている感じや、水や音響の際立たせ方が効果的で、短編としてのまとまりも良かったです。

 

「VOID」

不慮の事故で友人を亡くした高校生・麻木の周囲でおかしな現象が起こりはじめるお話。

 

友人の死に対して未整理な高校生の境遇と周囲の人たちの温度差という点においては明解だったと思いますし、不可解な死が学校で起こり続けることの不条理さは見応えがあったと思いましたが、周囲の大人たちの説明的な台詞は余計に感じて、学校内の事象や混乱やその違和感だけでも充分、その不条理さは伝わったように感じました。

 

公式サイト

 

 

 

 

 

 

 

 

あらすじ 

日常のささいなことでも不安になってしまう怖がりの男ボーは、つい先ほどまで電話で会話していた母が突然、怪死したことを知る。母のもとへ駆けつけようとアパートの玄関を出ると、そこはもう“いつもの日常”ではなかった。その後も奇妙で予想外な出来事が次々と起こり、現実なのか妄想なのかも分からないまま、ボーの里帰りはいつしか壮大な旅へと変貌していく。

 

感想 

「ミッドサマー」「ヘレディタリー 継承」のアリ・アスター監督最新作。

 

不安症の男ボーが離れて暮らす母親の怪死を知り、一刻も早く駆けつけるためにアパートを出るが、日常とは違う光景に苛まれ、行く先々で災難が降りかかるというお話。

 

過去2作よりも圧倒的に良かったです。

精神的ホラーが内包されていて、かなりダークなコメディというような味わいでした。

 

ボーが抱える不安や恐れというものを歪曲化した世界の旅そのものが観る側に対しての裏切りになっているものの、過去2作よりホラーから離れた分、母親という絶対的な立場を極端な設定ながら際立たせたことで、立場による見え方の違いが倒錯した世界を作り出していて、投げかけっぱなしになっていないところに好感が持てました。

ここから先、ネタバレを含む感想となります。

 

様々の映画のオマージュを含んでいる作品といえますが、大枠は現代的な「トゥルーマン・ショー」であるといえます。

映画そのものが、母親が牛耳っているらしい大企業の管理下にあり、映画ロゴから劇中内の製品パッケージ、ポスター、ニュース映像などなど、確信犯的な大胆さでダークな仕上がりになっていることが見事です。

 

あと、中盤のアニメ合成パートは、「オオカミの家」の監督2人が手がけており、こちらもダークな「オズの魔法使い」のようで、ボーの意識の飛躍混沌ぶりに拍車をかけている描写は素晴らしかったです。

 

弱い立場の人=性善説からの裏切りがあり、観る側の意識との乖離を引き起こすことで、アリ・アスター監督らしい気持ちの置き場の難しい映画とも言えますが、前述したように映画そのものが母親によってコントロールされた仕掛けであるとするなら、子育ての苦しみからくる愛情のねじれにも、意外と納得のいくお話と言えると思いました。

もちろん、ボーにとっては災難そのものでしたが。

公式サイト