Memories of H.I. | 3兄弟のおマヌケ日記

3兄弟のおマヌケ日記

父親目線から見た、我が家の3兄弟を取り巻くごく平凡な(笑)日常を日記にしてみました。
私の趣味の話も多少(めっちゃ?)書いています。

未明にふっと目が覚めた。
いやな感じの雨が降ってる。
軽く頭痛がするのをこらえながら、ふとSNSをのぞき込み言葉を失った。

昨日か、いつかに見たばかりの人がもうこの世にいない。
しかも、あまりにも慣れ親しんだ、いつも自分の周りにあるもののうちの一つ。

中2の時、初めてT-SQUAREに出会った。
のめりこむのにそんなに時間はかからず、それまでのアルバムを聴き漁った。
そして中3の時、初めて宝島をすることになった。
とにかく吹奏楽のポップスのホルンはつまらんフレーズばっかりで辞めたいと思ったりもしたが、私が抜けるとパートが崩れるということもあり、惰性で頑張ってた頃に、宝島の譜面に出会った。

とにかく楽しかった。こんなに楽しいホルンがポップスでできるなんて。
宝島は偉大だ、とさえ思ってた。単純に和泉さんの曲が好きだった。
ただ、その後はクラブの選曲が無能すぎてスクエアの曲をやることは宝島以外ではなかったのだが、ブラスを離れ、オケを始めたころにとある団体で、初めてオーメンズを吹く機会があった。
当時本番前で、辛気臭いラフマニノフ、シベリウスと向かい合ってた自分にとって、それはそれは楽しいものだった。

思い返すと、アルバムを買うのがルーティーンになってる中で、ひときわ印象に強く残る曲がどのアルバムにもあった。
オケにはめられしんどくなってた頃にふとそんなことを考えて、過去のアルバムのジャケットを見直したら、それらの曲のほとんどが和泉さんの作品だった。本当に、安藤まさひろとはまた違った意味での、稀代のメロディーメーカーだったように思う。
とにかく心に来る。癒されるとはこういうことなのかもしれないなどとわかった風なことを考えていたのもこのころだったかな。

オケを離れたころから、中学生の頃に封印せざるを得なかったサックスへの熱が再燃してきた。
そして、5年前、息子が中学に入り、ビッグバンドでサックスを始めた。
触発されるように、自分もサックスを学びだし、いつか今の仲間とスクエアのコピーをやろうというような話をしていた矢先の今日だ。

あまりにも運命は残酷だ。
なぜこんなことに…。
ただ、自身を持って言えるのは、T-SQUAREに出会いハマり、特に和泉さんの曲に携わることができたのは、私の人生における誇りだ。
この気持ちはだれにも負けない自信がある。

 



まだ言葉は見つからない。

本当に心に穴が開いたようだ。

和泉さん、あちらでも、たくさんいい曲を書いて、演奏してください。

私たちは、和泉さんが残してくれた数々の名曲を絶やさないようにするのみです。
私も80年後くらい先にはなりますが、そちらでのライブに参加させていただきたいと思います。
本当にありがとう。

 

そして関係者の皆様、心よりお悔やみ申し上げます。