儀府文献・空々しさとずるさと

儀府文献への意見・感想の続きです。「やさしい悪魔」に戻り(ページも270ページから252ページに戻ります)まとめ部分の気になる箇所、「火の島の組詩」の記述から儀府文献に思うところを述べていきたいと思います。

空いた口が塞がらない

儀府は「やさしい悪魔」のまとめとして以下のようなことを書いています。

ここで結論的にいいそえたいことが私に二つある。一つは、賢治が内村康江をそう思ったり呼んだりしたのはいいとして、われわれまでそれに做って、 この人のことを悪魔のように見たり云ったりするのはやめたい、ということだ。突然こんな風に書くと、一般の読者は「何を書いているのだろう」と思ったり、「その女の人は、そんな風に見られたり、書かれたりしている人なのか」と、疑問を抱かれると思う。これは、この人のことは誰もほとんど語らず、書かなかったこと——万一書いても、ほんの何行かでサラリと片づけていたことから生じる疑問にすぎない。理由は、彼女が平凡な家庭の主婦(それは大へん倖せなことなのだが)で、別に知名度の高い人でもなかったのと、何より、宮沢家に対する遠慮からだったと思われる。 むろん宮沢家としても、内村家としても、二人のことはあまりふれたくない、ふれてもらいたくない事柄かもしれない。その気持はわかるけれど、これ以上いつまでもウヤムヤにしておかないで、この辺で事件の真相とまではいかなくても、ある程度まともな、公平な、と思われる一応の見方だけでもしておくべきだと思って、私は貧しい自分の仕事のなかに、この「やさしい悪魔」の章を加えることにしたのである。

(中略)

とにかく内村康江は、宮沢賢治に求愛し、求婚した、最初の女性であったという事実、同時に、この人ほど熱烈に賢治に想いを寄せ、その懐にまっしぐらにとび込もうとした人はいなかった、という点で、その名を何かに録しておきたい人だと思うのだ。凶作、冷害、不作がくり返される東北の暗鬱な自然と、どこに明るさをもとめたらよいのか分からない 不況下の農村を背景に、田園にユートピアの建設をゆめみ、独居してみずからも鍬をふっている宮沢賢治に、人間の理想像をみたとばかり、ピタリと照準をあてたイーハトーヴォの一人の若い女性に、私はとにかく拍手をおくりたい。

儀府成一「宮沢賢治 ●その愛と性」 芸術生活社 1972(昭和47)年

初見時、即座に頭に浮かんだのは「よく言うなあ」という呆れた思いでした。

この人のことを悪魔のように見たり云ったりするのはやめたい」と思い「ある程度まともな、公平な、と思われる一応の見方だけでもしておく」ために書いた文章は、これまで伝えられてきたこと・主に森荘已池の文献を大きくふやかし、派手なデコレーションを盛り付けたものです。

その結果「この人」=内村康江についたイメージはさらに悪化し、後年の映画などで描かれる内村康江=高瀬露さんのキャラクターはこの内容そのままで作られてしまいました。

この文章を読んだ人の何人が「内村康江は悪魔みたいな人ではないんだ、じゃあ彼女をそんな風に言うのはやめよう」と思えたのでしょうか。逆に「悪魔でなくても、思い込んだら話が通じなくなり行動も選ばなくなる危ない人であることは確かだ」と感じたのではないでしょうか。

儀府は本気でこの文章が「ある程度まともな、公平な、と思われる一応の見方」になっていて、内村康江=高瀬露さんを「悪魔のように見たり云ったりする」ことを止められるとでも思っていたのでしょうか。それはご本人にしか分からないことですが…。

ともかく、私がこの文章に対して抱く感想は「空々しさとずるさにまみれていて開いた口が塞がらない」しかありません。最後の「とにかく拍手をおくりたい」という言葉にはそれが凝縮されていると感じます。私は儀府にこんな言葉をお送りしたいです。

「内村康江のことを好き放題に書いておいて、よくそんな格好つけたことが言えますね」

その言葉は本物なのですか?

この人のことを悪魔のように見たり云ったりするのはやめたい」「(内村康江に)私はとにかく拍手をおくりたい」という儀府の言葉を「空々しさとずるさにまみれている」と考える理由はもうひとつあります。

それは「やさしい悪魔」の締めから約15ページ先に収録されている「火の島の組詩」。この章は前記事でも述べましたが、内村康江を「聖女のさました人」と称し、賢治がCという女性に出会い彼女の住む伊豆大島へ赴いたことを知ったことでどういうことを考えどういう行動を取ったのかを記しています。

該当箇所をもう一度引用します。

Cが賢治を訪ねて花巻へきたこと、賢治がC兄妹の招きに応じて大島へいったことー普通ならばだいたいこの辺の動きで断念し、おとなしく身をひきそうなものだが、聖女のさました人(引用者注・内村康江のこと)は逆だったらしい。相手のCは、自分のように働いて食べるのが精いっぱいだという職業婦人ではなくて、名も富も兼ねそなえた恵まれた美しい女性であるということがシャクだった。それにもまして、賢治がCに奔ったのは、どっちがトクかを秤にかけて、打算からやったことだと邪推し、恋に破れた逆恨みから、あることないこと賢治の悪口をいいふらして歩くという、最悪の状態に陥ったのだと考えられる。あれほど温厚で、人のためなら自己犠牲も辞さなかった賢治が、冤を雪ぐ、というほど大げさなものではなかったにせよ、 わざわざ関登久也の家まで出かけてこの件に触れたのは、よくよく腹にすえかねたからだったと思われる。彼女は不純な女だと傍人に漏らしたというのも、こんな事情に由るものだったに相違ない。

儀府成一「宮沢賢治 ●その愛と性」 芸術生活社 1972(昭和47)年

つまり「この人のことを悪魔のように見たり云ったりするのはやめたい」と言ったそばから「この人のことを悪魔のように見たり云ったり」しているのです。

ある読者
ある読者

けど、Cという女性に嫉妬し賢治に恨みを抱いているのは「聖女のさました人」とだけ書かれているよね?

内村康江とは書かれていないし、内村康江とは別の人のことを言ってるんじゃないの?

…という指摘が入りそうですが、残念ながら(?)儀府は「やさしい悪魔」で賢治の「聖女のさましてちかづけるもの…」という殴り書きを引用し、それが内村康江のことを書いていると断言してしまっているのです。該当箇所を引用します。

聖女のさましてちかづけるもの たくらみすべてならずとて
いまわが像に釘うつとも 乞ひて弟子の礼とれる
いま名の故に足をもて われに土をば送るとも
わがとり来しは たゞひとすじのみちなれや

(略)例の『雨ニモ負ケズ』のある同じ手帳に書き込まれている一篇で、詩というよりもメモとも見えるほど軽いものだが、よく読めば首尾一貫した詩であることがわかる。しかもその内容となると、チェホフの短篇をたった八行にちぢめたのかと思うほど、濃いものだ。相手は——内村康江だ。若気の至りから、相手も未婚、自分も独身であることを忘れて、蒲団というとんでもない贈りものをして、すでに賢治に想いを寄せていた女心を、余計狂奔させたというあの喜劇と悲劇をつきまぜたような悲劇のヒロインだ。「聖女のさまして」は、彼女がクリスチャンであったことと、その反語として、「悪女」または「悪魔」を対置させているのである。

儀府成一「宮沢賢治 ●その愛と性」 芸術生活社 1972(昭和47)年

この部分にも個人的に色々と思うところはあるのですが、本題ではないのでここで述べるのはやめておきます。

ともかく、儀府は15ページほど前で「この人のことを悪魔のように見たり云ったりするのはやめたい」と書いておきながら、章が改まるとその発言をすっかり忘れたかのように「内村康江という人は、思い込んだら話が通じなくなり行動も選ばなくなる危ない人」と読者に思わせるような記述を重ねているのです。

個人的感覚ですが「火の島の組詩」を読んでから「やさしい悪魔」の締めの部分を読み返すと、言葉のひとつひとつに透けて見えていた空々しさとずるさをより強く感じます。

愚問は承知の上で儀府に問いたいです。

「あなたの『内村康江のことを悪魔のように見たり言ったりするのをやめたい』という言葉は本物なのですか?」

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