上州からの山旅

凡人noyamaの山旅の記録

中山道69次を歩く (関ケ原宿~鳥居本)今須峠・摺針峠を越える

2024年04月14日 | 街道を歩く




【23日目 美濃國 岐阜県】 令和6年(2024)3月28日(木)曇り
 歩行距離:関ケ原駅~鳥居本駅 23.7km(累計502.6km) 
 行  程:今尾6:14=(近鉄バス750円)=6:54大垣駅7:25=(240円)=7:38関ケ原駅7:42--7:48関ケ原宿--9:23今須宿--10:41柏原宿--12:58醒井宿--14:10番場宿--15:47鳥居本宿・鳥居本駅16:01=(250円)=16:07米原駅-東横イン米原駅前(朝食付き4775円)
 




【58 関ケ原宿 】


昨日の終着点関ケ原駅から再出発



駅前を真っ直ぐ進むと伊勢路追分 黄色い矢印が伊勢路、白い矢印が中山道




脇本陣跡




八幡神社の一角に関ケ原本陣跡スダジイ(県天然記念物)
本陣の庭跡で本陣遺構



関ケ原宿の街並み



大神宮常夜燈 関ケ原宿京口



西首塚
関ケ原の合戦での戦死者を埋葬した塚
馬頭観音と千手観音の観音堂がある




不破関守跡
東山道の美濃不破関は東海道の伊勢鈴鹿関、北陸道の越前愛発関(あらちのせき)とともに古代律令制下の三関(さんげん)の一つ



戸佐々(こささ)神社
不破関を鎮護する松尾産土大神が祀られている



道標「大谷吉隆墓 七丁」 箭先地蔵堂



矢尻の池
壬申の乱の時、水を求めて大友皇子軍の兵士が矢尻で掘った井戸



村社若宮八幡神社
社殿はJR東海道本線を越えた先




山中村高札場跡
山中村は中世東山道の宿駅、江戸時代になると関ケ原宿と今須宿の中間に位置し立場茶屋が設けられた間の宿



黒血川
壬申の乱で多くの血が流れ川底の石を黒く染めたそうな



三地蔵 (鶯瀧地蔵菩薩、黒血川地蔵尊、交通安全地蔵菩薩)
近くにある、黒血川・鶯の滝の地蔵に交通安全をプラスした



源義経の母、常盤御膳の墓
隣に芭蕉句碑「義朝の 心に似たり 秋の風」


常盤地蔵  常盤御前を弔う地蔵 なんでも神様や地蔵さんになるんだ




今須峠 標高175m



今須の一里塚 江戸日本橋より百十四里目 (9:19 関ケ原駅より4.2km)




【59 今須宿着】9:23 関ケ原駅より4.3km


宿入口の今須橋と木製常夜燈



本陣跡と徳川家康腰掛石の解説
関ケ原の戦いで勝利した徳川家康はここで石に腰掛休んだ。その石はここのあった本陣に伝わっていたが今は妙応寺境内にある



腰掛石がある曹洞宗青板山妙応寺への参道
国道や鉄道を潜る



問屋場跡と街並み



八幡神社
鳥居の奥に山灯篭があるが社殿は奥の家の更に奥の高速道路の向こう




車返しの坂と地蔵堂
正面の地蔵堂のほかに、右に玉石の様な小さなお地蔵さまが沢山収められている御堂がある
「お地蔵さんを他から持ち込まないでください」と書いてあった


JR東海道本線の「車返し踏切」を渡る



野ざらし芭蕉道碑
貞享元年(1684)十二月野ざらし紀行の芭蕉が、この地寝物語の里今須を過ぐる時に吟じた句碑
「正月も 美濃と近江や 閏月」



美濃と近江の国境 9:53 関ケ原駅より6.1km 

国境を挟んで番所や旅籠があり、隣り同士の者が二階に寝そべりながら、互いに國境越しに話ができたところから、寝物語の里と呼ばれるようになった



【これより近江國】


米原市(旧山東町)のマンホールはマガモと源氏ボタルのデザイン



カエデ並木




神明神社鳥居、山燈籠と参道脇に旧東山道



【60 柏原宿着】 10:41 関ケ原駅から7.6km


東見附跡 柏原宿江戸口


竜宝院跡




八幡神社と境内の芭蕉の句碑
芭蕉は柏原宿を西から3回通っている



柏原宿の街並み



柏原宿ではベンガラ(弁柄:朱色の防腐剤)塗りの建築物が目につく



左:問屋場跡 右:東の荷蔵跡

荷蔵は運送荷物の両隣宿への継立(駅伝運送)が当日中に出来ない場合に荷物を蔵に保管



柏原宿脇本陣跡


本陣跡


高札場(札の辻)跡 秋葉山常夜燈



伊吹堂亀屋左京店
伊吹山は良質な蓬の産地で、お灸に用いる艾(もぐさ)「伊吹もぐさ」を売る「亀屋」で有名


柏原宿歴史館
大正六年(1917)に建てられた旧松浦久一郎邸で平成十二年(2000)に国の登録有形文化財に指定


西の蔵跡


デイサービスセンターも風格ある建物



問屋場跡 (年寄 山根甚左衛門)


郷宿跡
郷宿(ごうやど)とは脇本陣と旅籠屋の中間的存在で武士や公用で旅する庄屋などの休泊所



まだ続く柏原宿の街並み



柏原の一里塚 江戸日本橋より百十五里目 11:00 関ケ原駅より8.3km




西見附跡 柏原宿京口
宿長は十三町(1.4km)と長く、近江路(柏原~草津宿)では最長で見所も多かった



川関跡 右:旧中山道 左:中山道 右を行く
菖蒲が池跡の解説版もある



旧道は湿った山道



地蔵堂
玉石の様な地蔵が沢山祀ってある、ここには持ち込み禁止の触書は無い



梓川松並木 
この先で国道21号線に出てドライブインの様な食堂で昼食




ピラフとから揚げのコンビプレート 950円  11:50~12:20
見た目より量が多くて腹いっぱい



一色の一里塚跡 江戸日本橋より百十六里目 12:36 関ケ原駅から13.0km



【61 醒井宿着】12:44 関ケ原駅より13.5km


東見付跡 東枡形







加茂神社 


鴨神社からの眺め 遠くには琵琶湖



蛍石灯篭



本陣跡 日本料理本陣樋口山



問屋場跡(米原市指定文化財)米原市醒井宿資料館




宿内を流れる地蔵川
川には夏には水中で梅に似た花を咲かせる梅花藻(ばいかも)が繁殖し絶滅危惧種のハリヨが棲息している



街並み



浄土真宗本願派石龍山了徳寺
樹齢約百五十年の天然記念物 御葉付銀杏(おはつきいちょう)
葉面上に銀杏の実を付ける珍しいイチョウ



地蔵川内に十王水と刻まれた石灯籠、「居醒の清水」「西行水」と合わせて醒井宿三名水

居醒の清水

西行水



丹生川橋
「壬申の乱・横河の古戦場跡」
大海人皇子軍と大友皇子軍との戦いで大友皇子軍が敗れた古戦場跡



久禮の一里塚 江戸日本橋より百十七里目、京三条へ十九里 13:55 関ケ原駅から17.3km



【62 番場宿着】14:10 関ケ原駅より17.8km




問屋場跡が続けてある、嘗ては問屋場が六軒あった



「米原 汽車汽船道」の道標 
米原湊に通じる道の追分




番場野忠太郎像




中山道番場宿脇本陣跡、中山道番場宿問屋場跡




明治天皇番場御小休所碑と中山道番場宿問屋場跡
建物はベンガラが塗られ赤い


こちらにも問屋場跡



中山道西番場 
「古代東山道 江州馬場駅」と刻まれている。西番場は元番場とも呼ばれ、中世東山道の宿駅



宿並み



小摺針峠(標高197m) 米原市と彦根市の境名神高速道路の米原トンネルの上



摺針の一里塚跡  江戸日本橋より百十八里目 15:05 関ケ原駅より21.4km



摺針峠へ




神明宮 摺針峠(標高180m)の頂上すり梁峠
老婆が斧を磨いて針にしたと伝えられていることから摺針峠と呼ばれるようになった
小摺針峠(標高197m)の方が標高が高い、京側の峠に先に名前を付けたのか?

峠から琵琶湖が見える



泥道の旧道を下る




【63 鳥居本宿着】15:33 関ケ原駅より22.9km



石柱の上には近江商人、旅人、虚無僧の像
やはり近江商人が一番偉そうだ



鳥居本の街並み



桝形



桝形のところに万治元年(1658)の創業の有川薬局
鳥居本名物の三赤の一つ「赤玉神教丸」を製造販売している
(鳥居本の三赤:赤玉神教丸、西瓜、赤い柿渋で染めた合羽)



有栖川家建物は宝暦年間(1751~64)の建築(国指定重要文化財)



デイサービス鈴の音 古い建物を活用




本陣跡




合羽所「木綿屋」
鳥居本合羽は雨の多い木曽路に向う旅人が雨具として買い求め、文化文政年間(1804~30) には十五軒の合羽所があった



鳥居本宿本陣跡 標識「旧本陣寺村家」


街並み



鳥居本宿脇本陣跡 高橋家が勤め問屋を兼ねた




本日はここまでで鳥居本駅から宿のある米原へ






米原駅前のビストロで夕飯はワインとスパゲティ

これまでの記録はこちら




関ケ原から鳥居本宿は旧家も多く残っており解説版も充実
見所が多くて解説版を読んで写真を撮っていると中々先に進めません
平均時速は2.5~3.0km
2万余名の皇女和宮の大行列は京都から江戸まで24日かかったそうですが
自分は既に23日かかっており未だ4~5日はかかりそう
鯉のぼりの季節までに何とか着ければと思う今日この頃です

 ↓そんな訳で 押していただくとたすかります





 地図



参考1:「ちゃんと歩ける中山道69次」 八木牧夫著 山と渓谷社
参考2:五街道ウオーク:上記本の著者八木牧夫さんのホームページ
参考3:電子足跡:GPSログがとても参考になります
参考4:「日本史 小辞典」(改訂版) 山川出版社
参考5:ウイキペディア
参考6:「長野県:歴史・観光・見所」
参考7:日本の街道を歩く旅


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