天皇に忠実で、親孝行して先祖を崇め、真心からの神を敬うと言うのが、霊の教えだそうだ。
うーん、一応、俺の心構えも同じ気持ちであり、基本やはり愛であり、嘘をつかないことだ。
一番嫌いなのは嘘つきの裏切り者で、人を傷つけることも殺すことも平気な人だ。
だが、裏切り者が多いのが政治の世界で、世界の首脳になるような政治家はみんな裏切り者であり、殺人者だな。
戦争を起こし、ジェノサイドを起こし、縄張りを広げるのが一番偉いと思い込んでいる馬鹿な奴が、政治の世界には蔓延っているわけで、そういう世界を正して良い政治を行いたいと思って一念発起して、政治家になろうとした父の中山勇吉に、いつも父の言うことを全て信じて、うっとりと父を見つめて生きていた、美しい鬼ババのあの母光子が、初めて猛烈に反対したので、父はびっくりして、その思いを断念して、傷痍軍人会の会長として一生自分の給料はタバコ銭ぐらいで、一番安い事務の女の子よりも低い給料だが、堂々と立ち回り、振り待っていて、家庭の収入は全て母がまかなっていたのだ。
母は子供を全員医学部に入れて医者にするのが夢で、兄の勲と3番目の仁は医者になったが、俺は薬学を退学し、同じく末の弟剛も医学部を退学したわけで、ひょっとすると剛は俺を見習ったのかも知れないな。
今日、剛には初めて手紙を書いたのだが、剛はその後学習塾を開き後輩を育てていたが、今はリタイヤして悠々自適に暮らしている。
俺も一応悠々自適な暮らしではあるが、今考えると中山(ちゅうざん)を作っておいて良かったわけで、それがなければ俺には年金がないので、半身不随で右半身はずっとズキンズキンと痛む不自由な体で、年金がなければ俺にはもう自殺しかなかったかも知れないな。
俺は沖縄一の金持ちの青年実業家にもなったが、裏切られ騙されて沖縄一の無一文のド貧乏にもなったけど、昔から女運は良くて、一応古高校一の美少女の栄子には、俺の彼女になれと言ったら、マーちゃんも真面目に受験勉強しなさいと叱られたので、しょうがないから2番目に美少女のとも子に俺の彼女になれと言ったら、私はマーちゃんの14番目の彼女にはなりたくないと言われるし、俺には彼女は一人もいないけど、きれいな後輩には全員声をかけていたので、それをみんな俺の彼女と言うわけだ。
ま、当時の宮古支庁長の娘が、高一で宮古高校一の美少女と男どもが喧(かまび)しいので、俺は学生服のボタンをひとつ剥ぎ取って、その子のクラスに行き、”澄子、このボタンをつけて後で俺のクラスに持って来い”、と言って渡しておいたら、早速次の休み時間に、その美少女澄子が、背の高いスラリとした姿で俺のクラスに来て、”誠先輩、ボタンをつけました”、と言うので、クラス中もう大騒ぎだ。
俺は、”よッ、ありがとうな”、と平気な顔で学生服を受け取り着たわけで、その美少女澄子も、俺の彼女と言われたわけだ。
それぞれ1〜2度声をかけるぐらいだけど、こうして一応、俺には13人彼女がいることになったわけだ。
おかげで栄子にはフラれるし、とも子にもフラれるわけで、噂では高校一の美少年で、高校一モテる男の俺の筈だが、一度もちゃんとした恋人など一人もいない、小、中、高、まともな彼女のいない男だったわけだ。
ま、19歳の誕生日に一念発起して、性、セックスを経験しようと吉原に女を買いに、母のハンドバックから1ドル盗み女を買いに行ったわけだ。
当時の1ドルは高額で、労務者の日当が1日1ドルで、女性の性も1ドルと高額だったわけだ。
経験してみると、あまりにも快感なので、それからは毎日母のハンドバックから1ドルくすねて吉原通いをして、きれいな順に40人ぐらいは経験したが、みんな同じ快感なのでやめて、名護で1ヵ月余りは遊んで過ごし、その時に、名護湾を西へ陽が沈むのを追いかけて沖へどんどん泳いでいったら、やっと陽が沈み、後を振り返るともう暗い海があるだけで何も見えず、そして風が出て波飛沫は顔に当たり、呼吸さえしずらいぐらいで、もうダメかと思ったら、やっとチラホラと街の灯りが見えたので、また必死に泳いでやっと名護の砂浜にたどり着いたわけだ。
そこで1時間ほど横たわっていて、友の待つ部屋に戻った時には10時近くになっていたわけだ。
夏とは言え、6時間も7時間も泳いで、やっと急死に一生を得たわけで、30代を越えての泳ぎは一度もないのは、幼少時代はパイナガマが俺だけの秘密の美しい天国で、今の丸裸のパイナガマではなく、うっそうとしたヤラブの森に囲まれていた、誰も知らない俺のビーチだった。
懐かしいな。
じゃあな。
2024年12月8日
人生波乱万丈!73歳脳出血後遺症と共に歩む中山誠氏の思い出話が面白い。
中山誠氏の思い出話しが面白い。本当に、相当面白いのだ。これだけの波乱万丈な人生を送ることができる人が、いったいどれだけいるのだろうか?そしてこの物語(思い出)には、戦後沖縄の歩んで来た歴史の中で起こる様々な出来事ともとても関連が深い。現代の沖縄史といっても過言ではないのか…