すべてが、しっくりきて。

すべてが、こうして私やまわりが在ることが、当然だと納得した。



あのひとと話したあとは、わたしのまわり全てが彼のくうきで包まれた。

香りは夕方の、買い物帰り、川沿い。

時間は焦らせるように進んでいるとわかりつつも、自分の歩調でゆくかんじ。

なぜだか何時かした鍋を思い出した。

水菜と豆腐が、味はうすいのに、やたらそのものがおいしい。

カレーをつくったときのことも、思い出した。

あのときは心地よく感じて一緒に寝ていた彼の身体は、意外と冷たすぎたのだ。

流れる音楽は彼のもので、わたしの音楽はべつの部分に追いやられていた。

あのときほど家族を考えられなかった時間はないし、家族に飢えた日々はない。

けれども、私の髪に梳けいるようにすべりこむあなたはきっと、静かにわたしを寝かしつける。

奥底にいる私は、それを欲するときがくる。



あなたが彼女を描いたときを想像してみた。

彼女を目で撫でて、紙の上に撫でるようにして描く。

それは筆を動かすあなた自身の反映でもあり、自分の前に在るその人そのものであり、世界だ。

そこにはふたりの時間が流れ、あなたたちにとってそれは、この上なくそれであり、私はそれを想像することはできても、感じることはまずできない。



わたしたちは、本来こうあるべき関係だった。

それにわたしたちは、ああなる運命だった。

そしてわたしたちは、今こうしてもとに戻る結末にいたることになっていた。

すべてはなるがまま、なった。

わたしはやっと、彼の時間に追いついた。

別れを切り出したときは、こんな思いだったんだろう。

不思議と、苛立ちも、悲味も、焦りも、なかった。

わたしにできるのは、あなたからもらったこの空気で肺いっぱいにして、封じ込めていた記憶を暗みはじめた空いっぱいに拡げること。

そうして空になった肺が「かららん、そろろん」となくのに連れて、拡がった記憶と想いを細い糸のように寄り合わせながら、またもとの場所に戻していく。

糸をやさしくたぐり寄せると、触れた場所は、あなたの肌に似て、しとり、として生ぬるかった。



そうして私は、大切な人を想う。

あなたと一緒にいたいと思えるこの時こそが、しあわせなのだと、気付く。

ずっと一緒にいることがしあわせではなく、そのときこそが、しあわせなのだ。

あなたが次に電話をかけてくる。

それをとった瞬間、夕方の空気は忘れた頃にやってきた春の昼になり、あなたの空気でわたしはいっぱいになる。







彼の作品をみてきました。

彼はどうやらこちらに残るようです。

ひさしぶりに、こんなかんじにしゃべれました。

私は急いで、ここまで-もとのかたちに-、立ち戻ってしまったんでしょうか。

でも、それならばそれでいいのです。

うえの文章は、ちょっとした私の評論文として受け取ってください。