よもやこの映画を自ら見てみようという日がくるとは、夢にも思っておりませんでしたなあ。『座頭市』シリーズと並んで?勝新太郎の代表作に数えられる『兵隊やくざ』の第1作でありますよ。

 

 

先日、知覧特攻平和会館に訪れたことを振り返る中で日本の戦争映画の描きようを云々したですが、その折に思い出したのが東京新聞夕刊に毎週載っている旧作映画の紹介記事なのですよね。『兵隊やくざ』を取り上げて、ある意味というのかどうか、傑作でもあろうかと思える紹介があったものですから。1965年、つまり戦後20年段階での戦争の描き方の一端が、もしかしたら垣間見られるのかもと思ったものでありまして。

起床ラッパは女郎屋で聞いて、 喧嘩で直す二日酔い! やくざの用心棒だった新兵・大宮は態度の大きさから上等兵集団に痛めつけられるが、名門生れのインテリ三年兵・有田に救われ、奇妙な友情が芽生える。

おそらく最も簡潔なものとして、Amazon prime videoの紹介文を引いてみましたですが、単にこれを見かけたとしたら「敢えて見ようとは思わんなあ…」と(笑)。確かに喧嘩沙汰のシーンが多くありまして、結果、血だらけ、生傷だらけ。その分、勝新の体当たり演技が見ものともいえましょうけれど、ことさらその部分だけにフォーカスしては「なんだかな…」になるような。

 

さりながら日本の軍隊のありようとして、星(階級)がひとつ違えば神様と言われる中、神様の意に添わぬことに対しては鉄拳制裁が当たり前ということは確かにあったのではなかろうかと思うところです。戦争中はとかく上官の命令は天皇陛下の聖慮として疑問を差し挟むこと自体不忠という考えが蔓延していたのでしょうから、その渦中であればいざ知らず、戦争が終わって20年が経った時、つまり終戦時に20歳だった人が40歳になったときに、これを見たらどう思ったろうなあと、考えたりもしたところです。尋常ではない状況を当たり前と思い込んでしまっていたと振り返ることもあったでしょうか。

 

そも戦争に人道的な戦争なんぞは無いでしょうけれど、先の戦争において日本軍のありよう、捕虜の扱いにしても何にしてもは非人道的と見られていたとはよく聞くところです。そもそも日本の軍隊には精神論が横行していたでしょうから、自軍の兵士たちに対してさえ過酷な状況にあるときに、捕虜への相対し方に配慮することは無かったのではなかろうかと。

 

映画はもちろんフィクションですけれど、それでも関東軍の部隊兵士として行われた演習には三日間、重い装備を背負って歩き詰めに歩かされ、初日はまだしも二日目は速足、三日目には駆け足で何十キロも行軍するてな場面として描かれたりもしていたのですな。これ自体は実際のことかどうかは分かりませんですが、こうしたひたすらに精神を鍛える美名?の下に行われる訓練を自軍兵士に課していたとなれば、後に「バターン死の行進」として知られる米軍捕虜等の扱いに対して疑問は全く思い至ることもなかったのであろうと想像するわけで。おそらくジュネーブ条約を知っていたのは前線から遠く離れた大本営にいる上層部だけだったかもしれませんし。

 

と、映画の話は勝新の乱暴ぶりばかりになりそうですが、注目すべき登場人物は(上の紹介文にある)インテリ三年兵の有田(田村高廣)でしょうか。大卒なだけに幹部候補生試験に合格すればすぐにも下士官へと上がっていったであろうところを、わざわざ試験に落第してのらりくらり。上等兵のまま、ただただ4年の満期除隊を待ちわびるという処世術が果たして本当に軍隊でまかり通ったのかどうかはわかりかねますけれど、軍隊の不条理に対抗する術として腕で解決を図る大宮(勝慎太郎)と頭で切り抜ける有田とは両極端ながら、互いが互いを必要とする存在となっていくのは理解できないものではありませんですね。

 

てなことで、殺伐としたシーンは当然にたくさんあったものの、戦争を振り返る形として(見方にもよるわけですが)ひとつのありようを見せてくれるといか、考えさせてくれるというか、そういう側面はあったような。当初考えていたほど毛嫌いする映画ではなかったかなと思ったものでありますよ。