山梨に出かけて県立博物館、県立美術館を見て来た…といって、「富士川水運の300年」展@山梨県立博物館を振り返ったのに続いては美術館の方です。開催中であったのは「ベル・エポック-美しき時代 パリに集った芸術家たち ワイズマン&マイケル コレクションを中心に」と、実に長いタイトルで…。

 

「ベル・エポック」とは、19世紀末から第一次世界大戦開戦頃までパリを中心に繁栄した華やかな文化およびその時代を指します。当時、パリには美術家、音楽家、文学者、ダンサー、舞台関係者、ファッションデザイナーなど、様々な分野の芸術家が集まり、互いに交流しながらそれぞれの芸術を開花させ、今なおパリには当時の面影を感じることができます。
本展ではその「美しき時代」およびその少し後の作品を取り上げ、文化の諸相を重層的に紹介します。

と、紹介文にありますとおりに「ベル・エポック」という時代の材料を多角的に並べることで、時代の空気を感じてもらう空間づくりをしておりましたなあ。絵画やポスターなどばかりではなくして、宝飾品やドレス、ガラス器なども展示されておりましてね。良し悪しは別として、多少のルノワールやロートレックはあるも、多くは超有名というわけでもなさそうな作家たちの作品で構成されているのは目玉作が無いような気も。さりながら、そういうところに寄りかからずに全体として見て感じてもらうことを企図したことが窺えることは、むしろ好感を持って迎えるべきかもと思ったものでありますよ。

 

てなことを言いつつ、やおらルノワールの話をしてしまいますが、展示されていたひとつが『帽子を被った二人の少女』(1890年頃)という作品でして、これに寄せた解説に「ルノワールはモデルのために自ら帽子を手作りするほどにこだわりをもっていた」のであると。

 

当時の女性にとって帽子は欠かすことのできないファッション・アイテムだったわけで、そこで思い返してみれば、ルノワールの描いた数々の女性像では多くが帽子を被った姿で描かれておりますねえ。素朴な麦わら帽子のようなものから飾りがてんこ盛りの帽子まで、おそらくはその人物を描き出すのに最適な帽子(ともすれば手作りまでして)をルノワール自ら選んでいたのでもありましょうかね。

 

ところで、この『帽子を被った…』はパステル画なのですけれど、パッと見で想起したのがベルト・モリゾの雰囲気であるか…と。当然に画家仲間として互いに影響はあったと思うも、先に触れたルノワールと帽子の逸話は、モリゾの娘ジュリー(父親はエドゥアール・マネの弟のウジェーヌ)ですので、これもまた仲間同士の間の近さを感じさせるところではなかろうかと。

 

このあたりはもっぱら画家仲間のお話ではありますけれど、、上の紹介文では「様々な分野の芸術家が集まり、互いに交流しながらそれぞれの芸術を開花させ」たとありまして、いわば異種格闘技のようなところから総合芸術的な思潮もまた生まれていったのでしょうねえ。文学、美術、音楽の協同はひとつの形として舞台芸術に昇華して、例えばディアギレフの主宰したバレエ・リュス(ロシアバレエ団)が思い浮かんだりするも、実はそうしたコラボレーションは何もバレエ・リュスに限ったものではなかったということが、展示を通じてよく分かったのでありますよ。

 

テアトル・リーブル(自由劇場)が手掛けて数々の公演にも数多の芸術家が集って作り上げていたようでして、劇場で配付された(というより販売されたのかな)上演目録(要するプログラムですかね)にはアンリ=ガブリエル・イベルスによる表紙絵が配されて、あたかも竹久夢二が表紙を手がけたセノオ楽譜のごとく、表紙も魅力だけでコレクションしたくなるようなところもあったでしょうなあ。といって、個人的にはイベルスの名を初めて知ったのですが、版画集『カフェ・コンセール』でロートレックと掲載作品を分かち合って手掛けていることでも、当時の名声は想像できるところではなかろうかと。

 

ちと時代は少々遡ります(それでも1890年代)が、リュミエール兄弟が映画を広く大衆に公開する以前、後の映画につながるようなお楽しみとして「影絵芝居」というのがあったようです。影絵芝居と聞いて思い浮かんだのはインドネシアの「ワヤン・クリ」だったりしたですが、どうやらようすが異なりますな。ワヤン・クリは操り人形が動き回って動的な印象ですけれど、パリの影絵芝居は紙芝居的と言いますか。ガラス絵として描かれた場面に光を当てて、話の進行に従って差し替えていくふうであるような。で、この影絵をアンリ・リヴィエールが描いていたとは。会場では2つの作品がビデオ上映されておりました。

 

アンリ・リヴィエールは浮世絵風の版画(『エッフェル塔三十六景』シリーズとか)を手がけたことで知られるわけですが、こうした影絵にも携わっていたのであるか…と思うも、考えてみれば奥行きに版を重ねていく版画と馴染む点はありそうだなと改めて。でもって影絵芝居そのものとは別に、パリのキャバレー「シャ・ノワール」で影絵芝居が上演された当時の風景を描いた絵画も展示されておりましたですよ。

 

影絵自体は当然にして「サイレント(無声)」ながら劇伴としてピアノや室内楽、また声楽を交えて興行が行われていたことが窺えるのでして、これはそのままサイレント映画が弁士、楽団付きで上映されたことに引き継がれていったのであるかなと思ったものです。

 

とまあ、ほんの一部にばかり目を向けて振り返ってしまいましたですが、会場ではベル・エポックの時代のパリの空気を些かなりとも感じられたような。そうそう、(これまた知らない画家でしたが)アンリ・ソムの作品は、やはりその頃のパリを闊歩していたであろう女性たちの、しかも少々アンニュイな雰囲気を濃厚に香り立たせておりましたなあ。そんなところでふいと思い出したのが、ベル・エポックの時代、すなわち日本で言えば大正モダンの時代なのであるなあと。日本でもモボ、モガと呼ばれる若者たちが銀座あたり(?)を闊歩していた時代は、洋の東西でたまたま生じたことであるのか、それともやはり西洋発祥が早速にも日本にたどり着いていたものであるのか…。

 

ま、いろいろ見て、いろいろ考えた山梨県立美術館の展覧会。例によって来場者の少ない中、しみじみと見て回ることができましたですよ。後から気付いたことに、この展覧会もやがては東京に巡回してくるみたいですが、落ち着いた雰囲気の中で見られたことに十二分の満足を得ておりますよ。