先日来、『モダニズム・ミステリの時代 探偵小説が新感覚だった頃』『文人、ホームズを愛す。』を読んだりしたことなどを通じて、期せずして大正という時代を回顧することになってきておりまして。そういえば、鹿児島の桜島を訪ねたことを書いたときにも、かつて錦江湾に浮かぶ島であった烏島が桜島と地続きになってしまったのも大正噴火でありましたなあ。どうも大正づいているような(笑)。

 

そんな折も折、このほど手に取ったのは音楽との関わりでして、『大正時代の音楽文んかとセノオ楽譜』という一冊。表紙に「セノオ楽譜」が大書されておりますように、当時の洋楽受容などを含めた音楽の様相を、セノオ楽譜をキーにして見ていこうという、結構画期的なものでありましたよ。

 

 

楽譜と音楽の関わりは余りに当然で画期的も何も…とはなるところですけれど、実は「セノオ楽譜」が今も世に知られるのはもっぱら竹久夢二が出版楽譜の装丁を手がけていたという方でばかりではなかろうかと。実際に、竹久夢二の画業を紹介する展覧会では必ずといっていいほど、数点の展示がなされていたような。静岡市美術館で見たものしかり、三鷹市美術ギャラリーで見たものしかり、ということで。

 

さらに夢二(何故名前の方で記すかは我ながら不明…)は詩作も手掛けているものですから、楽曲用の作詞がセノオ楽譜から出版されたりもしているのですよね。『宵待草』はその代表例でしょう。植物としては「マツヨイグサ」が本来の名前らしいですが、夢二作のこの曲を通じて「ヨイマチグサ」という呼ばれようが広まったと言われるくらいに、ヒットしたということになりましょうか。

 

てなふうに、セノオ楽譜は大正当時、リアルタイムの流行歌の楽譜を出版するという一面を持ち合わせていたようですね。これには「新小唄」というシリーズ名が与えられた中の一曲であると。江戸期(もしかすると明治期まで?)世の流行り歌を「小唄」と呼ぶ位置づけの下、大正モダンのご時世にあっては新時代にあった新しい「小唄」を生み出すのだという意気込みの表れだったようで。そうしたものの中には、作詞を北原白秋や三木露風が、作曲を山田耕筰や中山新平が手掛けたものがいろいろあったようでありますよ。

 

一方で、夢二の手がけた出版楽譜装丁を振り返ってみるに、新小唄のシリーズとは別に、いわゆるクラシック音楽の楽曲を扱ったものがたくさんあるのですな。ヴァイオリン向けの小品などもありますが、セノオ楽譜にとって主たる領域は声楽曲であったようです。合唱曲もあれば、独唱用のドイツ・リートやオペラのアリアなども、かなり夢二装丁でもって刊行されているのでして。

 

これは、セノオ楽譜を立ち上げた妹尾幸陽(幸次郎)という人が、教会の聖歌隊(クリスチャンではなかったようですが)にいたり、慶応のワグネル・ソサエティーで歌ったりしていたこともあるのでしょう。音楽の素養を少なからず持ち合わせていたところから、夢二の詩に妹尾自らが曲を付けて売り出した楽譜もあるようです。

 

というところで、日本の洋楽受容とセノオ楽譜の関わりを本書の「おわりに」からちとかいつまんで(と言っても長いですが)振り返っておきましょうね。

大正時代には、帝国劇場でオペラやオペレッタが日本人によって試みられ(しかし成功せず)、あるいは欧米からの旅回りの歌劇団が公演し話題となった。浅草オペラの盛り上がりは大正時代の音楽シーンの一つのハイライトといえる。滝廉太郎や山田耕筰、中山晋平など日本人の作曲家も次々に誕生し、日本語の芸術歌曲から童謡、流行歌、軍歌、民謡編曲など、さまざまな種類の音楽が日本人の手で生み出されるようになった。…帝国劇場、東京音楽学校の奏楽堂、日比谷公園音楽堂をはじめ、東京でも地方でも、西洋音楽が演奏される場と機会は、明治時代に比べ各段に増え、演奏家のレベルも向上。…国産の洋楽器の製造も盛んになり、大衆にも入手しやすくなったことで、家庭での団欒に西洋音楽が加わり始め、ピアノやリードオルガン、とくに安価なヴァイオリンが人気を集めた。…こうしたさまざまな大正時代の「モダンな」音楽文化を、竹久夢二らの美しい表紙画を伴ったセノオ楽譜は見事に映し出しているのである。

特に安価なヴァイオリン…とは意外な感じもしますけれど、ヴァイオリンといって超有名演奏家が使用するストラディバリウスあたりをついつい思い浮かべてしまうのは的外れのようで、初学者がまず触れるための安価な楽器は今でもあるのでしょう、おそらく。とはいえ、今でも音楽は「聴く」という楽しみ方の比重が高いところながら、明治の洋楽受容が「唱歌」から始まり、自らが歌い演奏する形であったことからすれば、歌唱やさまざまな楽器演奏を楽しんでいた姿が浮かんできます。それが、家族団欒の一コマでもあったとなりますと、それこそ「欧米か?!」と突っ込みたくなるふうでもありますが、音楽の楽しみ方は「プレイする」方にこそあったのでありましょう。

 

それだけに楽譜の需要は確かなマーケットを構成して、そこへセノオ楽譜は、一人で、あるいは少人数で「プレイする」に打って付けの楽譜を、レパートリー豊かに供給していったのですなあ。現在では一般家庭が普通に楽しみに興じるために楽譜を購入するということはおよそなかろうかと。竹久夢二(装丁を手がけたのは夢二ばかりではなかったのですが)の魅惑的な表紙にばかり目を向けてしまいがちなセノオ楽譜ですけれど、今とは異なる大正時代の音楽受容、音楽と生活との関わり、そんなところに気付きを与えてくれるものであったのであるなと、改めて思い巡らした次第でありましたよ。