先日、「その人を何と呼んだものであるか…」と人の名前の呼び方のことをあれこれしていたからでもありましょうか、たまたまTVのニュース番組のスポーツ・コーナーでBリーグを取り上げているのを見かけた際、ふと「そういえば…」と思い至ることがありまして(何故にかようなことを「ふと」思い出すことになったかは後に触れることになります)。

 

「バスケットボール」はバスケットボールであって、日本語に「籠球」なる言葉があるけれど、およそ使われることがないなあと。「野球」はベースボールと言われることもあるものの、やっぱり「野球」だよなあというわけです。「テニス」もかつて「庭球」と言われたですが、今「テニス、する?」とは言っても「庭球、する?」とは言わない。「バレーボール」も日本語では「排球」ながら、これもおよそ使われないので、バスケットのパターンでしょうか(ただ、バレーボールに関しては「ハイキュー!!」という漫画・アニメがあったりするので、一過性とはいえ少々復権しているかも)。逆に、野球のパターン擬えられそうなのは「卓球」くらいですかね。これをわざわざ「テーブルテニス」と言う人もおらないような気がしますし。

 

早い話が、この点に関しては単に馴染み方の度合いの問題でしょうか。何かと言葉を縮めていいがちな日本にあって、野球や卓球の例は短い言葉が優先されているようにも思うところながら、それだったら「籠球」、「排球」の方がそれこそコスパが高いともなるはずなのに、どうやらそこに理由を求めるのは難しそうですものね。「野球」は野球で馴染んでいる、「バスケットボール」はバスケットボール(あるいはバスケ?!)で馴染んでいると。ただ、その馴染みのプロセスも気になるところですが、取り敢えずこの話はここまでです(笑)。

 

では、こんな(どうでもいい)ことを何故に思い出したか…ですけれど、昨日オルガンプロムナードコンサート@サントリーホールを聴いていて、音楽用語の使われようのことから、ふと類推が及んだという次第なのですなあ。

 

 

昨日の演奏会には「フーガはめぐる」というテーマのもと、4曲のフーガが演奏されたわけですが、「そういえば、フーガって日本語で遁走曲だったよなあ」と浮かんできたものですのでね。フーガに遁走曲という日本語(漢字表記?)を与えたのは、いったい誰がいつ?とも思うところながら、洋楽受容の初期に、あれこれの音楽用語をとにかく日本語にせねば…てなところから捻くり出されたのかもしれませんですね。ですが、フーガを遁走曲とは今日、わざわざ誰も言いますまい。

 

一方で、同日の演奏曲目には「前奏曲とフーガ」というのもありまして、これを「前奏曲と遁走曲」とは言わないわけですが、かといって「前奏曲」はプレリュードの訳語として、こちらは採用されているという。

 

ま、「プレリュード」は外来語(カタカナ表記)で使われるケースもままあるわけですが、先に見たスポーツほどに固定化はしておらないものの、交響曲=シンフォニー、協奏曲=コンチェルトなどの例を見れば、野球パターンが優勢なのかと思えば、ソナタ=奏鳴曲、ディヴェルティメント=嬉遊曲などの例を見てしまいますとバスケットパターンもまたそれなりにありそうで。語呂として言いやすいもの勝ちかと思えば、ディヴェルティメントなどは、どうでしょうねえ…。

 

と、結局のところ音楽用語の話になっても、些かの結論もまた無いのですけれど、おそらくこの「どっち?」というのはいろんなところで出くわしていることであって、気にしなければなんとなくスルーしているのでありましょう。基本的な決まりもありませんでしょうしね。

 

ああ、そうそうと言っては何ですが、本当はオルガンコンサートの話を書いておこうと思ったのでした。4つの曲目はデュリュフレ、バッハ、シューマン、デュプレによるフーガでしたけれど、遁走というと逃げ回っているような印象もありますが、それ以上に追いかけっこしている感じでしょうか。ホールの生音に接しますと、聴き耳を立てる状況にありますから追いかけっこのようすをつぶさに見定めてやろうという気になりますですね。ライブならではのお楽しみということで。

 

ホールという空間を生かす点では、鳴りっぷりのいいデュリュフレの「ソワソン大聖堂のカリヨンの主題によるフーガ」は聴きものでありましたよ。しかし、デュリュフレという作曲家は1902年生まれで没年は1986年であると。もっともっと、ずーっと昔の人かと思ってましたが…(曲を聴けばわかることですのに、苦笑)。