ちょいとまた遅ればせの話ですけれど、先日に放送されたEテレ『日曜美術館』を(録画で)見ておりまして、取り上げられた日本画家・福田平八郎の作品に「ほお!」と思ったのですな。写実を極めるとは、誰の目から見てもまさに「それ、そのもの」といったふうに写し取るようなところがあるわけで、若い頃の画家もそうした方向に向いていたようです。さりながら、それが付き詰まってしまったところでたどり着いたのは、一見したところではあたかも抽象画とも受け止められなくものない描かれよう。それが、実は誰にとっても心に刻まれるような(単なる視覚を通じた画像ではない)ありようを見せている…てな話は、とても興味深いところでありましたよ。

 

 

そんな作品のひとつが、大阪中ノ島美術館で開催中の没後50年展フライヤーに使われている「漣」というもの。もはや心象風景の写実とでもいいましょうかね。ともあれ、近現代の、取り分け日本画の作家たちは寡聞にして予備知識無しだもので、これの作者である福田平八郎も全く知らなかったところへこの邂逅でしたので、思わず大阪へ行くかぁ?なんつうふうにも。会期がGWを挟んで5月6日までとあっては難しいかと思いつつ、巡回先の大分展(5/18~7/15)だったらどうかな…などと(笑)。

 

てなふうに番組を見ながら少々色めき立ったわけですが、ここから先で触れようとしてのは福田平八郎のことではないのですよねえ。ふとしたことが思い巡らしにつながって考えてはみたけれど、それになんらの結論なりが出ていないことを書くのもどうかとは思いつつ、まあ、取り敢えず。

 

で、ふと「?!」と思ったことというのが、番組の中で画家のことを語る際、展覧会で話す人たちも、またナレーションの音声もまた同様に「平八郎は…」といった言い方をしていたわけなのですね。これに対して、「日美」の本編に続く「アートシーン」で最初に写真家・木村伊兵衛の展覧会を紹介する際、ナレーションで「木村は…」と言っていたのですよねえ。別にNHKの言葉選びをどうのこうの言いたいのではなくして、この違いが何なんだろうなあと。

 

似て非なる例えではありましょうけれど、歴史上の人物、つまりは戦国武将などは信長、秀吉、家康と名前の呼び捨ては通例になっていることとして、その人が歴史上の人物的な位置づけになってくると、名前で呼ばれるのであるかなとも。ですが、「平八郎」と呼ばれた福田平八郎、「木村」と呼ばれた木村伊兵衛、いずれの展覧会もが奇しくも「没後50年」の回顧展ですので、時間の経過だけでは語れませんですねえ。

 

比較的画家は名前の方で呼ばれるケースが多いように思うところながら、このことを作家の方でみてみると、森鷗外は「鷗外」、夏目漱石は「漱石」と一般に呼ばれますが、芥川龍之介は「芥川」、谷崎潤一郎は「谷崎」、川端康成は「川端」という方が一般的でありましょう。ですから、名字か名前か、本人と識別しやすい、あるいは個性として特徴的である方で呼ばれているのだ、というわけでもなさそうな気がします。

 

先に触れた木村伊兵衛も本人特定のためであれば「木村」というよくある名字よりも「伊兵衛」と言った方が絞れるような気もしますが、むしろ先の番組で聞いていて「木村」と呼ばれていることに実は全く違和感はなかったのですなあ。ですので、名字で呼ぶのか、名前で呼ぶのかは何らかの傾向(全く無いとは言えないでしょうが)によるのでなくして、その人その人のイメージとの釣り合い方なのかもしれんなあと、漠と思ったり。

 

ただ、今回の放送でNHKが「平八郎」、「木村」という選択をどういう理由で行ったかは知る由もありませんけれど、スクリプトを書いた人と視聴者として聞いていた自分との間に、(取り敢えず今回の例でいえば)感覚的な齟齬は無かった…というのもまた不思議な気がしますですねえ。

 

あ、そうそう、例えばですけれど、個人の業績を讃える資料館のようなところで、その生涯を振り返る際には、芥川のことを「龍之介は…」と記したりするかもなあと。ですが、そのことが人の呼び方を決める際の決定的な要因を含んでいるとも言い難いでしょうから、結局のところ、結論めいたものが無いということに。失礼いたしました。でも、どうなんでしょうねえ…。