鹿児島県南九州市の知覧特攻平和会館で入場券を購入する際に、お隣にある「ミュージアム知覧」という施設との共通券が案内されたものですから、せっかくだから(どんな施設なのか、予備知識は全く無かったものの)こちらにも入ってみることに。

 

 

どうやら「ミュージアム知覧」というのは南九州市立博物館の別称であるようで、まあ、あちらこちらにある民俗資料館の類いと言えばいいでしょうかね。ご当地の歴史・文化・民俗にまつわる展示解説が並んでいるという内容で。ちと端折り気味に見てしまい、かつ平和会館同様に写真不可とあっては印象に残るところが少ない中で、一定規模のスペースを割いて説明のあった「薩摩のかくれ念仏」には、「おお、そんなことがあったのであるか…」と。

薩摩藩を治めていた島津氏は、十六世紀後半から明治に至るまで一貫して一向宗(浄土真宗)を禁止して弾圧していました。信者達は隠れて「南無阿弥陀仏」の念仏を唱え信仰を続けていました。これを「かくれ念仏」といいます。知覧には、かくれ念仏の史跡が多く残されています。

門徒たちは迫害を怖れながらも、「講」という集まりを作り、山中の洞窟などに寄り合って念仏を唱えていた…とはまるで隠れキリシタンのようではありませんか。一向宗禁制の理由は必ずしも詳らかではないものの、昨2023年の大河ドラマ『どうする家康』でも、世俗権力から一線を画した共同体に集まった三河の門徒たちに家康が手こずるあたりを描いていましたし、加賀の一向一揆などなどあちこちで領主泣かせの存在になっていたからでもありましょうか。それにしても、明治まで一貫してとは、島津の取締りは厳しいものだったのですなあ。

 

と、そんな歴史の一端を抱える知覧ですけれど、現在の知覧を代表するものといえば「お茶」ということになりましょうなあ。枕崎から知覧へと向かう道すがら、車窓から見て取れる限りに茶畑が広がっているようでありましたし。

 

 

畑の上の方で扇風機(?)がいくつも回っているのが何よりの証しで、東京(というか埼玉)でも狭山茶の栽培が盛んな地域を通ると同じ風景に出会えますしね。ですが、規模は格段にこちらの方が広い。生産量で、鹿児島県は常に静岡県と一、二を争う状況のようす。Wikipediaには「南九州市は、日本の市町村単位では生産量第1位の緑茶産地でもある」てな記載もあったりして。

 

ただ、このお茶栽培ですが、明治になって島津氏一族の土地払い下げを受けて始まったのであるとか。ま、静岡の方でもやはり明治に、没落士族を清水次郎長らが援けて茶畑を開墾した…てなことでもありますけれど。

 

で、ミュージアム知覧をひと廻りした後のお昼どき、特産のお茶をゆっくり味わえるような和食の店で昼食を…てなふうにならないのが、例によっていささかひねくれたところといえましょうか(笑)。昼食(代わりの食事?)処として、こちらの薩摩英国館に立ち寄ったのでありました。

 

 

ロンドン名物の赤い二階建てバスが置かれて、小京都・知覧のイメージとは大きく異なる建物でありまして、ここで紅茶を楽しめるということで。結局のところ、お茶も紅茶も根っこは一緒だからなあなどと勝手に得心したところながら、後になって同館HPを見てみましたらこのように。

薩摩と紅茶の歴史は150年前、幕末の薩摩藩英国留学生にさかのぼります。留学生の派遣を島津の殿様に上申した文書で、五代友厚は、欧米に紅茶を輸出し外貨獲得のために、日本でも紅茶をつくることを提言していたのです。明治維新後、それは新政府に引き継がれ、インドから茶樹がもたらされ、鹿児島の地にも植えられました。

発端は五代友厚で、お茶の木は紅茶用をインドから輸入していたのでありましたか…。ともあれ、頃はお昼どきですので紅茶を喫するだけでは腹の足しになりません。お目当ては「アフタヌーンティー」なのでありますよ。

 

 

当日に予約無しでフラっと立ち寄り、楽しめる「コージーアフタヌーンティー」というもの。紅茶の種類(もちろん地元系もあり)が選べるのはもちろんのこと、ティースタンドの載せものもチョイス可能とは!これで、気になるお値段は?となりますけれど、東京でそんな金額ではとてもとても…というところでして、鹿児島を巡っていて何につけ、物価の違い(要するに安い)を目の当たりにしてきましたですが、ここでもやはり。翻ってみれば、物価が安いということは当地の方々の収入見合いということにもなるのでしょうけれどね…。

 

ともあれ、強風が吹き荒れて、寒さが募った知覧にあって、暖かい紅茶でほっこりするひとときを過ごしたものなのでありました。