今や気の利いたホテルならば普通にあることかもしれませんですが、和風テイストの旅館ではまだまだ珍しいのかも。前日宿泊したいせえび荘では、部屋のテレビでU-NEXTが見られたのですなあ。

 

そこで「何か見ますかね…」となったときに、団体旅行の観光バスではありませんが、誰にも当たり障りの無いというか、別に見たくない人は見なくてもいいし、時折画面に目を向けてもその刹那は楽しい…といったところでもありましょう、「そうだ、寅さんを見よう!」ということに。日本中を旅して回っている寅さんなれば、鹿児島にも当然に来ているだろうし、と。

 

で、検索してみたところ、シリーズ第34作『男はつらいよ 寅次郎真実一路』が鹿児島ロケを敢行したものであるということですので、どれどれと。マドンナは大原麗子でありました。

 

 

例によって寅さんがマドンナに淡い恋心を寄せてしまうところながら、今回は相手が人妻であるとなれば、そのことをはっきりと意識している寅さん、いつにも増して叶わぬ度合に逡巡する姿は寅さんらしくない…というより、その辺りが描かれること自体寅さん映画っぽくないような。まあ、自分の気持ちを奥底にしまい込んで、あくまでプラトニックに臨み、窮地にあるマドンナ(要するに失踪した夫探しなんですが)の手助けをするという…。

 

もしかしたら夫は故郷に帰っているのかもと、マドンナともども寅さんが訪ねるのが鹿児島の地でありまして、JR指宿枕崎線の終着駅である枕崎駅に揃って降り立つわけなのですね。指宿枕崎線の現在の運行ダイヤは先に訪ねたJR最南端の駅・西大山駅でなんともおさびしい限りと知ったわけですが、映画の公開された1984年当時、もう少し本数は多かったのではなかろうかと。それにその頃の枕崎駅は現在のような盲腸線のどんづまりでなくして、ここを起点に鹿児島交通枕崎線が薩摩半島の西側を北上して国鉄鹿児島本線の伊集院駅に通じていて、鹿児島交通が同年3月に廃止に至っていたとはえ、二線が通じるターミナル駅らしい賑わいが映画からは窺い知れたところなのでありましたよ。

 

ストーリー展開としては、要するにやがて夫が見つかって…と、その後は推して知るべし、毎度の寅さんですが、ともあれそんな映画鑑賞の勢いもありまして、翌日はまずその枕崎駅に行ってみようということになったわけなのですね。さて、たどり着いてみたところ…。

 

 

いやはやなんとも寂寞たるものでありましたなあ。訪ねたこの日は取り分け寒風の厳しかったところも気分に関わっておりましょうけれど、それにしても風がぴゅうと吹き抜けていくばかりといった印象で。

 

 

寅さん映画で感じたいささかの賑わいも無くなってしまって、駅自体も映画に出て来たのは国鉄に先んじて開業した鹿児島交通の駅だったようで、同線の廃止後、平成になってJRが新たに設けた駅ということですから、まあ、映画の面影は影も形もないわけですな。

 

で、指宿枕崎線では西大山駅が「JR最南端の駅」、山川駅が「JR最南端の有人駅」をそれぞれ称しておる一方、枕崎駅は「JR最南端の始発・終着駅」を名乗り、せめてもの観光客誘致に努めているというのが現在であるようす。と、ここでまた「本土」という言葉がちらつきますが、ここで深入りを繰り返すのは止めておきましょうね。

 

 

ちなみに駅舎の手前、左手に人型の像が見えましょうか。なんでも「かつお節行商の像」であるということで。ふと思い出してみれば、「本枯れ節」なる鰹節は鹿児島の名産かと。それ以上に枕崎の本枯れ節こそ「本場の本物」(枕崎水産加工業協同組合HP)なのであるとは知りませなんだ。

 

 

ただし、この像は枕崎は鰹節の一大産地だから行商が盛んで…といったことを表しているのではないようでして、脇の解説板には、悲劇を後世に伝えんがためのものであったことが書かれてありました。

 

 

ちなみに…といって、枕崎市ばかりの話ではないので、ここで触れるのが適当かどうかということはありますけれど、鹿児島県はいわゆる過疎地域とされる市町村がとても多いようですね。離島部を除いても、今回巡っている大隅半島南部や薩摩半島南部は押し並べて過疎地域とされ、枕崎市もまた。駅前に立ち寄っただけで何が分かるか?…でもありますが、駅前の寂寞さはそれとしても、鰹節関連の産業が全く無いわけでは無いのに、若い人たちがどんどん都会へと出て行ってしまうのでしょう。もちろん、これまた鹿児島だけの話ではないのですけれど、さまざまな便利を求めるにはやむを得ず…ということもありますかね。

 

ただ、「便利」には実はおもてうらの関係で「不便」が付きまとうものもあろうかと。おそらくは不便を我慢したり克服したりして得る便利が上回るといった考えが若い人たちには特に働いているだと思いますが、果たしてそれが得策であるのかどうかは難しいところなんじゃあないか…と、歳を重ねてようやっとそんなふうにも思い至っておりまして。ま、東京生まれの東京育ち、いわゆる「故郷」を持たない者の、無いものねだりが混じっているのかもしれませんけれど。まとまったような、まとまらないような話になってしまった枕崎駅の探訪でありましたよ。