時折り紹介している平良丘陵開発の進捗状況で、西広島バイパスの側道から見た開発地の最下流域の現状である。下画像の計画図によると西広島バイパス沿いには調整池が設けられるようである。
時折り紹介している平良丘陵開発の進捗状況で、西広島バイパスの側道から見た開発地の最下流域の現状である。下画像の計画図によると西広島バイパス沿いには調整池が設けられるようである。
平良体躯館跡に公園が整備されていることを以前に紹介したが、工事は完成しているようであるが開園はもう少し先になるのであろうか。養生してある看板を見ると「平良っ子わいわい広場」と称されるようである。この地には平良村役場や平良小学校の講堂(後に平良体躯館)があったところである。
画像は大正期頃、速谷神社後方の見晴し山から平良郷を遠望した絵葉書画像であるが、現在の見晴し山は山林化して遠望は出来ない。
大正15年(1926)発行の「広島瓦斯電軌(株)経営電車沿線案内」によると見晴山の秋月、速谷川の奇岩、可愛川畔の梅桜、小富士の朝霞、神苑の時鳥、宮島湾の漁舟、西連寺の晩鐘、極楽寺山の暮雪が速谷八景とある。
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当ブログ主は酒が飲めない体質でありぐい-と呑むことはないが・・・ 若い頃、萩や北九州などにある窯元を訪れた記念にと当窯のぐい呑みを求めていた。
萩焼の萩では岡田裕や無名の作品、深川萩では坂田泥華、田原陶兵衛、山口萩では大和松緑などのぐい呑みを求めた。また、上野焼では高鶴元、熊谷保興、企救焼では熊谷光峰などのぐい呑みを求めていた。
正月に一同が会した時に使用するのみ以外は物置入れの片隅に眠っているのである。
山口県美祢市大嶺町東分の国道435号線脇に祀られている厳島神社である。江戸期の防長寺社由来に当神社についての記述がみられないので由緒など定かでない。
下関市一の宮住吉にある長門国一ノ宮の住吉神社は「日本三大住吉」の1つに数えられているようであり、本殿は国宝に指定されている。鳥居を過ぎると神池があり中島に厳島神社が祀られている。江戸期の寺社由来には厳島社御池ニアリ、明治期の長府史料には厳島の社、本社の南池中の島に在りて市杵島姫命を祭るとあるのみであり由緒など定かでない。
昨日ふれた宮島口2丁目の延命寺は寺伝によると、洞雲寺9世の全室宗用が延命寺開山のようである。2世は瑞雲泰龍、3世は溢道義充、4世は華蔵誓厳で洞雲寺25世の大透祖関が5世となっている。延享度曹洞宗寺院本末牒によると延命寺は洞雲寺の末寺となっている。
先日来紹介している、かつての山陽鉄道宮島駅から宮島渡航の桟橋までの参道部分には大墓地があったようである。延命寺の石垣にみられる墓石は参道改修に伴った墓地の移転での無縁墓の墓石が使用されたものとみられる。
明治30年(1897)に開通した山陽鉄道の宮島駅から宮島渡航の桟橋までの参道に、明治31年(1898)1月1日厳島の人々の寄進で建立された鳥居である。駅前参道の道路拡幅に伴って取り除かれたものが地御前神社に移設されたようである。
明治30年(1897)に開通した山陽鉄道の宮島駅から宮島渡航の桟橋までの参道に、明治44年(1911)5月広島市の手拭改良元祖桑原政助が、創業25周年紀念で奉納建立したものである。駅前参道の道路拡幅に伴って新しく開発された宮浜温泉の逢瀬橋手前に移設されたようである。
宮浜温泉地内で「新しい源泉を掘削しています-宮浜温泉3号源泉掘削工事」と表示した看板が掲げられていた。しかし現地では仮囲いの工事が行われているのみであるが、この地で源泉の掘削工事が行われるのであろうか。下画像は現在の源泉地である。
農業用物置に親時代に農作業や山仕事で使用していた懐かしいオイコがあったが、背負い紐と背覆いが無くなっている。かすかな記憶ではオイコやニコと呼称していたようである。オイコは枝木のある木を加工して作っており枝木部分は荷を乗せる腕木としている。
さくらぴあ1階のプティ・ギャラリーで、当ブログ主の七尾中学校時代美術の恩師である吉野先生の作品展が昨日より開催されている。通路脇のプティ・ギャラリーには数々のアルミオブジエ作品が展示されており、9月30日まで展示されるようである。 当方美術はさっぱりだった。 (光禅寺境内の原爆慰霊碑)
時折り紹介している廿日市19代目桜島大根(上画像)と廿日市9代目切葉松本地大根(下画像)の花が満開である。花が実ってその種を採って来シーズンには廿日市20代目桜島大根(上画像)と廿日市10代目切葉松本地大根を栽培する予定である。2005年2月に鹿児島方面を車で旅行した時に桜島大根の種を買ってから栽培し続けているものである。
山陽自動車道に架かる極楽寺橋で極楽寺参道(廿日市参道)の橋だったが、現在開発中の平良丘陵開発のために通行止めとなっている。銘板によると昭和60年(1985)2月に築造されたようである。自動車道の上画像は上り方面で、下画像は下り方面で右端と左端の車線は宮島サービスエリアに出入りの車線である。