☆My Everyday Life in Canada☆

カナダに来て17年。2人の子供達の成長記録と梅ちゃんからの日常エピソード色々☆

私の好きな教育観

2024-04-21 | 教育観
いくつかある教育観の中で、私自身がとても良いなと共感しているのが

Reggio Emilia Approach (レッジョエミリアアプローチ)
Montessori education (モンテッソーリ教育)
Gardner's Theory of Multiple Intelligences(ガードナーの多重知能理論)です。

この3つの教育観に共通しているのが、「学びの主役は子供自身」という考え方

子供達には自ら学ぶ力があり、その時の発達段階と興味ベースに応じた環境を整えることは、子供が主体的に学ぶ事につながる

大人が考えたカリキュラムを一方的に教えるではなく、子ども自らが学ぶ力を信じそこに寄り添うこと

その為に大人ができる大きな役割の1つは観察
観察から子ども達の興味や得意を探る
子供達の発言に耳を傾ける(アクティブリスニング)
子供の発達ドメインとその過程、特性の理解
子供の気質の理解
子供達が自主的に活動(学び)へ参加できる環境の設定

この環境は、「environment as the third educator(環境も第3の教育者)」というくらい、その子の興味と発達段階に合う環境を整えることは、子供自らが学ぶ効果を上げると言われています

これらを実行するにあたり、上記3つの教育観はとても役に立ちます

そして、なぜ教育が繰り返されていると感じるかというと、例えばモンテッソーリ教育を作ったマリア モンテッソーリさんは約1世紀前の方、レッジョエミリアアプローチは世界大戦後の敗戦の世から生まれた教育観、ガードナーさんは今もご健在でハーバード大学の教授ですが、この方達以外にも、ジャン ピアジェさんなど人間の発達段階における特性に注目し、子供個人の発達段階を理解する大切さを重視した幼児教育を唱えている素晴らしい方達が100年前後も前から多数いらっしゃり、今もその名が知られ、子供の人権や個人の発達に適したアプローチが学びにつながる大切さを唱えているんです。

様々な教育理念を学ぶと、1世紀も前から今に至るまで、子供の人権や発達、また社会との関わりなどに注目した「子供が主役の教育」を唱えている方達がいたのだと嬉しく思うと同時に、ではなぜ、子供主体の学び教育から大人指導型の教える教育に行ったり来たりしてしまうのか。
不思議であり、面白くもあり、ちょっと残念にも思うことです

昔は子供は自分では何もできない。考える力や判断力がない存在として扱われていた時もあったようです。今でもそういう考え方を持つ国もあると思います
例えば、カナダの黒歴史である先住民族の子供達に対する虐待が長期にわたり表面化されなかった事の原因の1つは、子供達の訴えに(それが先住民だからという差別も併せ)真摯に耳を傾け、向き合う大人達がいなかったことも関係していたと言われています。

まだ言葉で上手に伝える力が育っていない子供でも、考えがあり、感じていることがあり、理解する力も持っている。

余談ですが、私がカナダに来た最初の数年は、今以上に英語が流暢に話せない事で、もどかしい気持ちを感じた事が何度もありました。 母語でなら簡単に言える、伝えたい事、考えている事が相手と同じようにある。でも、それを大人であっても同じように伝えられない。 きっと最初の方に出会った人達は、私がどんな考えを持っている人間かなど興味もなかったかもしれないけれど、知らないだろうな。あまり考えてない馬鹿な人と思った人もいるかもしれない。
だから、身体の障害や発達の段階で言葉で伝える力がない人達の気持ちも共感できる部分があります


子供の興味や発達が尊重された教育観に共感する教育者や教育機関は今現在も多数あるし、それが公教育で継続実施されている国もあるかもしれませんが、日本を含む多くの国で、公教育のスタンダードにならないのはなぜなのか。日本の著名な教育者の方達も子供目線の教育環境の大切さを伝えているのに、現場が変わらないのはなぜなのか。。。。

オンタリオ州の幼児教育は、これらの教育観が重要視されていると私は理解しています。が、、昨日書いたように少し昔の教育観に戻りつつある傾向も感じています。

なぜだろう。。と、考えた時、1つは一方的に教える方が教育者側の準備や負担が少なく済むから??
あらかじめ設定されたカリキュラムに沿った準備をし、そのマニュアル通りに教える事である程度の仕事はできますよね。

もう1つは、「遊び=学び」の環境から発達促進をさせるには、教育者側の観察眼や創造力も必要になります。その力やバリエーションが豊富でない教育者にとってはマニュアルがある方が助かるのかもしれません。

でも、マニュアルも時に便利で助けられる存在だと思いますが、それに固執してしまうと、今度はそのマニュアルの取り組み方法と合わない子ども達に対して、先生側もストレスを感じ、問題児レッテルが貼られてしまったり。。。なんて事にもつながるような。。

子供達それぞれに気質も異なり、発達のスピードも 各ドメインごとにも凸凹があることは珍しくないわけで、そこに少なくとも理解を示し、アプローチのバリエーションが複数ある事で、異なる気質や得意を持つ子達もそれぞれ学ぶ機会を得られるのにな。。

さらに現実的な問題として人件費もあるのかなと。
子供達を観察するにしても、一人の人間が観察できる範囲には限界があります。

ECEのカリキュラムの中で「observation」というコースがあるのですが、目的に応じた観察をする時は そのスタッフは「観察と記録」が仕事なので、その間別のスタッフが通常業務に入ると習いました。

もちろん、日々の活動の中でもある程度の観察はできるわけですが、子供の興味関心、発達レベルはそれそれ異なるので、丁寧な質の高い教育環境を作るには、人材が必要になり、そのための人件費が発生する。
じゃあ、そのお金、どこから出るの? そんな経済的な問題にもつながるのだと思います

質の高い教育には、質の高い人材も必要で、その人材を育てる教育も必要で。。そう、お金がかかるのです。。。。。

これらの問題を解決できる策があれば、教育者の質も上がり、子供達が安全に、自主性を持って日々の活動からたくさんの学びを得られる教育環境が作れると思うんですけどね。

経済的な問題に関しては、世の中に 子供への興味と理解、幼児発達の楽しさ、素晴らしらを含む認知が広がっていないことなども関係があるのでしょうか。。。

(この辺りをお金持ちの層が損をせずに公教育に多額の投資してもらえるような仕組みを開発できたら。。。 最近解雇が多いIT系の優秀な方達がそこにアイディアを生み出してくれないかな。。。次のビジネスチャンスでは!?

それと、今の大人達も、子供だった頃に「教えられる」教育を受けてきて、それがスタンダードだと思っている人達も世界中に沢山。 「子供が遊んでいる=学んでいる」んだけど、どうしてもそうは思えず、「子供が遊んでいる=無駄な時間を過ごしている」そんなふうに考えてしまう大人達が世間に沢山いることも事実です。 だからこそ、教育者側もポジティブな発信を続け、子供の発達や育ちについて情報を共有していくことも大切なのかなと感じています

あちこちそれましたが、私自身は勉強する中で、特にReggio Emilia Approach 、Montessori education、Gardner's Theory of Multiple Intelligencesに共感していて、自分の教育観にもなり、日々の思考にも度々登場しています。

このそれぞれの教育理論についても、また別の機会に綴りたいと思います。




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