一方、(A)の方は、集団的文化というよりは、個々人の中で内省を貫くことで、論理は構築されるという立場だ。先ず、絶対に否定されない真理を徹底的に探そうとする。それが、「生きている人が存在する」ことだ。この問題を考えている自分は生きている人なのだから、、と考えるわけだ。ここにおいて、R. Descartesが提示した「Cogito ergo sum」の意味がはっきりする(本当に私はこの歳にしてはっきり解った気がする)。デカルトは、集団文化的な観念を哲学の原理に持ち込むなと言いたかったのだろう。だたし、このデカルトの方法的懐疑に基づいても、大した結果は生み出されない。「時間的将来のことには言及できない」という程度の結論しか出せない。何も間違ってはいないが、何も得られない一種の自己満足的哲学だ、、という辛辣な批評も当てはまるだろう。