トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

E婆へのブログ論評 その三

2022-12-22 21:30:03 | マスコミ、ネット

その一その二の続き
 E婆はF爺をこう分析している。
小島剛一氏はなぜ黛まどかさん批判を続けるのか。この答えは簡単そうで大変難しいと思います。黛さんは、小島氏から恨みを買うような文章を書いていないし、たとえ細かいミスがあったとしても1年以上にわたって延々と罵詈雑言を浴びせられ続ける理由も見つかりません。
深読みしていくと分かることですが、小島氏は、自分に注目しようとしない日本国内の知識人に対して自分の存在を示そうとしているのです。
(「撤退にあたって1」から一部抜粋)

 先の記事は2018/12/31付だが黛氏への非難は今年も続いており、この先もF爺はブログ閉鎖をしない限り延々と罵詈雑言を浴びせ続けるだろう。黛氏の四国遍路紀行はニセモノと糾弾し続けているが、四国遍路に行ったこともなく、黛氏の著作も未読なので私には判断ができない。
 一般にお遍路とは聖処巡りと思われているし、四国遍路を行えば心身ともに浄化されるというイメージがある。だが何度四国遍路をしても罵詈雑言を止められない人物もいるので、聖処巡りでの精神浄化は必ずしも期待できない。

 先のE婆の分析はもっともらしいが、実はF爺の著書『トルコのもう一つの顔』にも疑義が生まれているのだ。名著と見られていた『トルコのもう一つの顔』だが、編集者の要請を受け書き直しがあったことはF爺自身も認めている。本人はかなり不満だったようで、その後2度も出版社を変え続編・補遺を上梓している。
 2度も出版社を変えたこと自体、不可解に思った読者は少なくないだろう。これは出版界において「掟破り」に近い行為と見られているようだが、書き直しが行われていたことで本の内容がどこまで真実なのか、と疑う人が出てきたのは当然だろう。『トルコのもう一つの顔』をデタラメと見る中東研究者までいるらしく、F爺はブログですべて事実だと言い張っていたことを憶えている。

 編集者の要請があったにせよ、なぜF爺はかなり後になって処女作の書き直しを認めたのだろう?編集者が作者に書き直しを求めることは珍しいことではないし、ノンフィクションであっても多少はフィクションが含まれることもある。
 ただ、書き直しを公言すれば、本の内容に疑義が持たれるのは当然の結果。世間知らずでは定評のある学者だが、その辺りはやはり詰めが甘すぎる。書き直しを求めた編集者や出版社への恨みを抱き続けていたのは想像に難くないが、このような秘密は墓場まで持っていくべきだった。

 大抵のあとがきには、執筆に当たり協力してくれた友人諸氏と出版編集者へのお礼の言葉が述べられているが、『トルコのもう一つの顔』に編集者への謝意はなかった。
 処女作は中公新書でも、続編は中央公論社に比べ零細といってよい出版社・旅行人から出ていて、補遺編出版元はひつじ書房。ちなみにF爺を旅行人に紹介したのは辺境紀行作家・高野秀行氏。F爺を称賛していた高野氏だが、にも関わらずF爺は高野氏を何度も罵倒している。忘恩行為そのものであり、倫理観が基本的に欠如しているのだろう。

 黛まどか氏への非難を続けているのは、日本国内の知識人に対して自分の存在を示そうとしているばかりではなく、己の著書への疑義が起きているため、黛氏の遍路はインチキだと繰り返す要因となっていると私は見ている。うっぷん晴らしの八つ当たりであり、己のミスは隠ぺいしても他人のそれは絶対に認めない気質なのだ。
田中全さんからご返信が無い」という記事には、黛氏の友人である田中全氏のブログに、F爺自らコメント投稿したことが紹介されている。
「田中全さんがこれを表示してくださるかどうか、ご返信がいただけるかどうか、興味津々です」とF爺は己のブログで述べていたそうだ。この記事でF爺がそこまでしていたことを知ったが、暫く田中氏からレスはなかったという。

 12日経ても田中氏から返事がないとF爺は嫌味を言っていたようだが、10月29日午前3時42分、田中全の名で、F爺にコメントが届いたらしい。だが件のコメントをF爺は、標本M/Eが田中氏の名前を騙ったものと決めつけ非表示、削除したことを明らかにする。
 これぞF爺十八番の捏造だが、2018年10月29日は平日月曜日である。E婆が何か職に就いているのかは不明でも、主婦でもあるのは分かる。一般の主婦が月曜日午前3時42分にブログコメントなどするか?ネット依存症の女もいるが、月曜午前3時42分にネットしているのは、F爺のように日がな一日ネットがやれる隠居でもなければ、独り者の暇人が相場。捏造にしても「愚劣の典型」で、全く瞬きをするように虚偽を書く。

 昨年のひろゆき論争で、ネット掲示板にF爺が述べていたことが紹介されている。
969陽気な名無しさん2021/09/03(金) 17:49:39.67ID:eyl+dDyA0
「ひろゆき」には根底に極度に邪悪な意図があるとしか考えられません。
https://fjii.blog.fc2.com/blog-entry-3092.html
------
学問、人へ真摯じゃないものね

 ひろゆきが学問、人へ真摯じゃない人物なのは知られているが、根底に極度に邪悪な意図があるのがバレバレのF爺。何時もながらの投射だが、思い付きで発言するひろゆきのほうがマトモに見えてきた。
その四に続く

◆関連記事:「荒らしと成りすまし

よろしかったら、クリックお願いします
   にほんブログ村 歴史ブログへ



最新の画像もっと見る