2.人物に感情がない
ゲームにおいて大抵の人物は仕える勢力に従順であり、大軍を相手にしても全滅するまで戦い、不得手なことでも黙々とやり続けてくれます。しかし三国志の世界では寝返りや降伏する人物が度々見られます。ほぼ成功しませんが、反乱や謀反を起こす人物もいます。もっと言えば、これは三国志の世界に限った話ではなく、軍や人は常に思った通りに動くとは限りません。劣勢であれば全滅する前に壊走することもあれば、自国が滅亡の危機に瀕したり仇敵に出くわしたりすれば命の危機を顧みず普段以上の力を出すこともあるでしょう。
戦略シミュレーションゲームは戦力を活用して勝利に向かうことを思考するゲームですので、「戦力(人材)の感情」のようにコントロールできない要素はゲームの本質から外れるのでしょうか。パラメーター値を無視して大きな力を出す、命令を無視する、勝つ確率を度外視して攻撃してくるといった、イレギュラーなことは少ないように思います。もちろん、指示を無視して勝手なことをされたり、極端に大きいダメージを受け続けたりすると、プレイヤー側としては困るでしょう。ただ、ゲームにおいて不確定な要素が少ないと先の読みやすさにつながりますので、自分の勢力と敵対する勢力の戦力差を比べれば、ある程度勝敗が予測できてしまいます。ゲームバランスは安定するかもしれませんが、何が起こるかわからない現実とは乖離しているように思います。
また、少し話は変わりますが、三国志演義ではしばしば相手をだます場面があります。わざと負けて退却しておびき寄せる、伏兵があると見せかけて退却させる、偽りの降伏などが該当しますが、こういった読みや駆け引きはゲームであまり見られないように思います(※1)。これも感情がないため、本当なのかだまそうとしているのか判断がつかない、もっと言えばコンピューター側は全ての情報がわかっているため、駆け引きのしようがないというところでしょう。
頻繁に起こると無秩序なゲームになるかもしれませんが、単に指示された通りの行動をするのではなく、人間らしく逃げたり降伏したり、時には爆発的な力を出して敵を撃退して欲しいように思います。また、プレイヤーを無視して降伏や逃亡するようになると、コンピューターをだますことはできませんが、自分の勢力に降伏してきた人物を受け入れるか処断するか、逃げる敵を追うか追わないか、大きく悩むことになりそうです。こういったことで、数値パラメーターの大小と多少の運(乱数)で結果が決まるのではなく、油断できない乱世がシミュレートされたゲームに近付くというのは、思い過ぎでしょうか。
『戦略シミュレーションゲームで三国志とゲーム性のどちらを取るか(三・終盤が作業になる)』に続く
(※1)
拙稿『戦略シミュレーションゲームで三国志をテーマにすることとは(中)』の「2.戦闘における計略」に、近いことを記載しています。
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