難聴障害を患った男@哲です。

 

 

 

 

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プロフィール
 

プロフィールでは、60歳を過ぎてから

聴力のほとんどを失ってしまった男の

苦悩を赤裸々に告白しています。

 

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第18話までは小学校2年生の時に

左耳の異常が見つかった以降、

耳の状態はそれ程大きな変化も無く

ほぼ順調に生活して来ましたが、

 

 

ここから先は耳の状態に

人生を左右される程になって来ました。

 

 

 

第19話は、

「ブラック企業入社と突発性難聴で2度入院、

その後にパートに落とされる!」

を書いて行きます。

 

 

 

 

どうぞお付き合い下さい。

 

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  ようやく決まった再就職先はブラック企業だった!

 

 

1992年7月 約一か月の求職活動後、

ようやく決まった再就職先は、

中国留学前に働いていた写真製版会社の

同業他社でした。

 

 

同業ならば仕事の経験も有り、

問題なくスタートを切れると

思いましたが、実はとんでもない

ブラック企業でした!ガーン

 

 

社員の数は28名と以前いた会社の半数程で、

その内の経営陣と幹部クラスが8名程、

20名程が平社員の構成でした。

 

 

驚いたのは、毎月の様に誰かが辞め、

毎月新入社員が入ってくる!

 

 

ハローワークのお得意様でした!

 

 

僕がこの会社に居た期間は1年半弱ですが、

その間に15人ぐらい人が入れ替わりました!

 

 

とにかく社内の雰囲気が悪く、

幹部連中は新入社員をほとんど指導しません!

 

 

「どうせすぐ辞める」と思っているのでしょうか?

仕事が出来ない人、経験の浅い社員が大半で、

仕事だけが大量に有り、全然終わりません!

 

 

やってもやっても仕事に終わりが見えない、

毎月残業は毎月100時間を超えてました。

 

 

その原因は、まだ仕事の出来ない社員に

指導もロクにせずにやらせるからで、

効率が悪くて仕事が進まないのです!

 

 

しかもこの会社、

経験者冷遇です!びっくり

 

 

どこの会社も経験者優遇が普通ですが、

何故かここの経営者は、

「私は何も知らない真っさらな人が好きだ!」

と、訳のわからない事を言います。

 

 

何も出来ないド素人を即正社員にして、

経験者はパート(時給)から採用です!ゲロー

(経験者は3ヶ月のパートを経て正社員になります)

 

 

僕がパート採用中に、後から入った

何も出来ない人が先輩社員になる不思議さ!

 

 

「この経営者は頭がおかしいのだろうか?」

本気でそう思いました。

 

 

そうしてる間にも、

仕事の出来る人が辞めて行き

ド素人が入社してくるのです。笑い泣き

 

 

 

  連日の残業で急に耳が聞こえなくなり入院

 

 

毎月100時間以上の残業、

多い時は160時間以上残業していた12月の初め、

 

 

ゴォーと言うもの凄い音がして、

飛行機でも近くを飛んでいるのかと

窓を開けて見たが何も無かった。

 

 

聞こえが急に悪くなり、

あわてて行きつけの耳鼻科に行くと、

医者から「すぐ入院しろ!」

と言われ大学病院で入院する事になりました。

 

 

大学病院で「右突発性難聴」と診断され、

3週間入院する事を命じられました。

 

※突発性難聴は主に片側の耳に発症します。

     突発性難聴とは?

 

 

時は1992年(平成4年)12月初め、

30歳の時でした。

 

 

入院中の治療は、点滴、注射、投薬を

毎日行いました。

 

 

2週間程でほぼ正常値になり、

後の1週間はヒマを持て余す程でした。

 

 

12月の20日過ぎに退院、

会社に復帰しました。

 

 

 

  1993年2月 再び入院して補聴器も作った。

 

 

聴力も正常値まで回復し、

仕事に復帰したのもつかの間

2月に再び入院する事になるのです。

 

 

今度は前回とは違い、

社内でインフルエンザが大流行!

 

 

社員が次々とダウン!

忙しさで皆さん免疫力が下がってます!

 

 

本当に見てて面白いくらい

次々と倒れて行きました。爆  笑

 

 

そうしている間に自分も高熱が出て、

また聞こえなくなりました!

 

 

そして再度3週間の入院、

診断は前回と同じ「右突発性難聴」でした。

今度はメニエール病の検査もしました。

 

   メニエール病とは?

 

 

医師の勧めで右耳のみ

補聴器も作りました。

 

 

僕にとってこれが初めての補聴器でした。

 

 

 

  退院後に待っていたのはパートへの降格だった!

 

 

再び3週間の入院を終え、

3月に会社に顔を出しました。

 

 

しかし、何か様子がおかしい。

 

 

他の社員から聞いた所では、

2度目の入院は社内には知らされず

「勝手に休んだ!」事になってました。

 

 

後日、経営者に呼ばれ、

「君を辞めさせたくないので

パートでやってくれ!」

と言われました。

 

 

「耳の具合が良くなったら又正社員に戻すから」

とも言われたが、正常値だから退院したんですけどね。

 

 

確かに体調はイマイチだったので、

仕方なくパートを了承した所、

雇用保険をカットされました!

 


ホントに正社員に戻す気あるんでしょうか?ムキー

無いと思いましたね!

 

 

 

  パートはあまりの理不尽さに転職を決意!

 

 

パートの条件の一つに、

「耳の具合が良くなるまで、

20時以降は残業させない!」

 

 

と言われていたが、現場の責任者は

「今日も残ってくれ!」と毎日言われます。

 

 

毎日帰る前に言い合いをしないと帰れません!

一体どうなっているのでしょうか?

 

 

余りの酷さに、ついに転職を決意しました。

 

 

 

 

最後までお読み下さって

ありがとうございました。

 

 

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次回は、

「転職そして聴力の変化」

を書いて行きます。

 

 

 

 

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