仏教は借金のない世の中を目指す
僕が借金を目の敵にして禁止しようとか言っているのは、人類を金の支配から解放して主権を人間の側に取り戻したいからですが、その動機の源となるエネルギーはどこから来るかというと
「仏から来る」
ようです。仏教の教えから来ると思っています。そして仏とは慈悲なので慈悲の導くままに進むとどうしても借金自体が許せないわけです。なぜなら仏の教えの根本の一つは
「足るを知る」
ことを説いているからです。そして借金ほど「足るを知らない」ものはない。
「ああ、あれが欲しい。これも欲しい。でも金がない。借りればいいか」
なんという浅はかな考え!今でさえ金がないような人が、後になって金があるわけがないではありませんか。しかも、後になったら借金が増えている。借金は何の解決にもなりません。問題を解決するどころか、事態をもっと悪化させます。そして借金で手に入れたものまで借金のカタに取られて手放す羽目になり、最後には借金だけが残る。何をやっているのでしょう。
だいたい、借金は詐欺同然に人類に損害を与えるように仕組まれているのです。ちょっと考えてみましょう。誰かが親切そうな顔をしてあなたに近づいてきて
「100円頂戴」
と言ったとしましょう。何で私が相手に100円タダであげなきゃならんのか。当然断ります。そこで相手はこう言います。
「1年後に100円頂戴」
何でこの私が1年後に100円あげなきゃならんのか。やっぱり断ります。そこでさらに相手はこう言います。
「1000円あげるから1100円頂戴」
それじゃあこっちが100円の損じゃないか。もちろん断ります。でも相手はまだ引き下がりません。今度はこう言います。
「今1000円あげるから1年後に1100円頂戴」
何言ってんだよ。やっぱり100円の損じゃないか。そんな手に引っ掛かるかよ。と言いたいところですが、今度はなぜかみんな引っ掛かります。
年利10%で金を借りるというのはこういうことです。まんまと相手に騙されて100円巻き上げられてしまいました。詐欺と一緒です。借金は詐欺じゃないですか。しかも親切そうに「金を貸してあげる」などと恩着せがましいこと言って。タチが悪いですね。
金を貸す側は「期限の利益」などといって正当化してますが、それは事業資金などで借りた金を再投資して10%以上の利益を出せた場合のみ。しかも本当にそんな上手くいきますかね。そういうのを
「捕らぬ狸の皮算用」
って言うのですよ。また、借りた1000円で何かを買って1年間使用できたとして、それが金を生むわけでもあるまい。じゃあ1年後にどうするんですか。今度は1000円どころか1100円払わないといけなくなるんですよ。結局使用価値以上の金額を支払う羽目になる。
そして、金を貸す側は、まったく何もせず、何の労働もせずに、1年後に100円の利益が得られる。究極の不労所得ですね。借金は金が金を生むシステムです。金持ちがさらに金持ちになり、金に困っている人がさらに金に困るシステムです。つまり借金というシステムがある限り、格差はひたすら拡大する。そして現在に至る。
イスラムが利子を禁じるなら、仏教は借金そのものをなくす
こうなりますね。
コメント
コメントを投稿