15世紀のイングランド――。
貴族たちは宮廷で贅を尽くし、華やかな衣装に身を包み、美しい舞踏会を楽しんでいました。
しかし、その優雅な世界の裏側では、王冠を巡る激しい戦いが繰り広げられていたのです。
その名も――「薔薇戦争」。
ロマンチックな響きを持つこの戦いは、王家の血を引く者たちが二つの派に分かれ、幾度となく戦場で剣を交えた苛烈な内戦でした。
そして、この時代にはただ戦うだけではなく、「美貌とカリスマ」を武器に歴史を動かした貴公子たちがいました。
「美しき貴公子」と聞くと、まるで物語の登場人物のように思えますが、彼らは実在した人物。
では、彼らは本当に美しかったのか?
そして、その「美しさ」は歴史にどのような影響を与えたのか?
今回は、そんな視点から、薔薇戦争の貴公子たちの生きた時代を紐解いてみたいと思います。
薔薇戦争とは?
「薔薇戦争」とは、15世紀のイングランドで起こった王位争いのこと。
「百年戦争」の終結後、王位継承を巡って2つの貴族の家(ランカスター家とヨーク家)が激しく対立し、内戦が勃発しました。
なぜ「薔薇戦争」という名前なのか?🤔
それは、ランカスター家が赤い薔薇、ヨーク家が白い薔薇を紋章としていたからなんです!🌹⚔
この戦いの中心には、単なる「王座争い」以上の深い対立がありました。
- 「血筋」を重視するか、それとも「実力」と「カリスマ性」で王を選ぶか?
- 王が持つ「見た目」や「風格」すら、権力の正統性と結びついていた?
そして、この戦いの中で特に容姿に注目された2人の貴公子がいました。
それが、ヨーク家の兄弟、エドワード4世とリチャード3世です。
エドワード4世は『イングランド史上最も美しい王』と称されました。
一方、リチャード3世はシェイクスピアの影響で『醜い王』とされてきましたが、実際はエドワード4世に似た金髪の王族だった可能性があります。
では、この2人の兄弟は、薔薇戦争の中でどのような運命を辿ったのでしょうか?
それぞれの美貌と運命について掘り下げていきます!✨
🌹 美貌が歴史を動かした? 貴公子たちの運命
✨ エドワード4世:本当に「美しき王」だったのか?
ヨーク家のエドワード4世は、しばしば「美男王」と称されます。
彼の身長は推定190cm以上で、当時の平均よりはるかに高身長。
また、目の色は青、髪は金髪がかった明るい茶色だったと推定されており、「威厳と風格のある王」と評されることが多いです。
とはいえ、当時の肖像画や記録には、現代のイメージする「絶世の美男子」というよりも、「堂々とした威圧感のある王」だったことが強調されています。
また、エドワード4世は戦場での強さと宮廷でのカリスマ性を兼ね備えていました。
「美貌」だけでなく、その圧倒的な存在感こそが、彼を「美しき王」と印象づけたのかもしれません。
🌑 リチャード3世:「醜い暴君」のイメージは本当か?
エドワード4世の弟、リチャード3世は「せむしの悪王」として知られています。このイメージの元となったのは、シェイクスピアの戯曲です。
しかし、近年の研究によって、彼の脊柱側弯症は確認されました。
ただし、世間で広まった「せむしの悪王」のイメージほど極端な姿ではなかったようです。
さらに、2012年に発掘された遺骨をもとに復元された顔を調べると、「悪の象徴」とされた姿とは異なっていました。意外にも整った顔立ちだったことが判明しています。
つまり、リチャード3世は『外見的に醜い悪王』ではなかった可能性が高いのです。
後の時代に作られた物語や評価によって、そのイメージが大きく歪められたと考えられます。
🌿 儚き美しき王族たち
美貌が歴史を動かすこともあれば、それが悲劇を生むこともあります。その象徴が、ヘンリー6世とエドワード王子です。
ヘンリー6世は、信心深く、穏やかで優しい王でした。しかし、政治的な決断力に欠けていたため、国をまとめることができませんでした。
彼の優しさは、王としての強さには結びつかず、最終的にランカスター家は追い詰められてしまいます。
エドワード王子は、若くして戦場に立ち、そして散りました。
彼は「ランカスター家の希望」とされ、期待を背負いながら戦いましたが、ティュークスベリーの戦いで敗れ、わずか17歳で命を落とします。
その若さと美貌から、彼は後世に「悲劇の王子」として語り継がれることになりました。
➡ [ヘンリー6世とエドワード王子、儚き王族たちの悲劇はこちら!]
🌹 美しさは運命を変えたのか?
王たちの美貌が歴史を動かしたかどうかは、単純に答えられるものではありません。
ただ、少なくとも「王の美しさ」が統治の正当性を示す一因だったことは確かです。
エドワード4世のように、美貌とカリスマで王座を勝ち取った者もいれば、リチャード3世のように、敗北したことで見た目まで悪く描かれた王もいました。
「美しさ」と「権力」。
この二つが交錯した歴史の中で、薔薇戦争の貴公子たちは、まるで壮大な歴史ドラマの登場人物のように運命を翻弄されていったのです。
薔薇戦争の主な出来事
年 | 出来事 | 解説 |
---|---|---|
1455 | 第一次セント・オールバンズの戦い | ヨーク家がランカスター家に勝利、戦争の火蓋が切られる🔥 |
1460 | ウェイクフィールドの戦い | ヨーク公リチャード戦死、ランカスター家が一時優勢に💀 |
1461 | タウトンの戦い | イギリス史上最大の戦い!エドワード4世が勝利し即位👑 |
1470 | ヘンリー6世復位 | 「キングメーカー」リチャード・ネヴィルの策略でランカスター家復活 |
1471 | バーネットの戦い | エドワード4世がネヴィルを討ち、ヨーク家の支配が確定⚔ |
1471 | テュークスベリーの戦い | ヘンリー6世の息子エドワード王子戦死、ランカスター家ほぼ滅亡💀 |
1483 | エドワード4世死去、リチャード3世即位 | 「ロンドン塔の王子」失踪事件が発生🕵️♂️ |
1485 | ボズワースの戦い | リチャード3世戦死、ヘンリー・チューダーが王位に就く✨ |
1487 | ストーク・フィールドの戦い | ヘンリー7世が最後の反乱を鎮圧し、薔薇戦争が完全に終結🎊 |