医学部学士編入試験の受験は今年が最後
アルベイズ梶原Share

こんにちは
アルベイズ梶原です。
僕はアルベイズを立ち上げた翌年2022年から医学部学士編入試験で医学部入学&医師免許取得を目指していましたが、これまで落ち続け、今年度で三浪目に入っていましたが、
今年度の受験を最後に医学部編入試験への挑戦を終了することにしました。
必須ではなくなった医師免許
最初、「医師になろう」と思ったのは
「アルベイズで使用している医療用のヒト幹細胞培養上清液が医師免許がないと仕入れることができない」
と聞いたからですが、
実際には医師で再生医療のクリニックを開業していると、クリニックで仕入れる分とまとめてバルクディスカウントで発注できるからお得くらいの感じで、医師免許がないと仕入れ不可というワケではないようです。
つまり、アルベイズにとっての「僕が医師免許を持つ価値」は水戸黄門の印籠と同程度になってしまいました。
そして、黄門様の印籠を見て「へへー」と頭を垂れるタイプの人にはあまりお客さんになって欲しくない、というのが本音です。
特に医者になりたいわけではない
僕自身、特に医者になりたいわけではありませんでした。
自分と関わった人が幸せになれるような仕事(=生き方)をしたい
ただそれだけです。
仕事上、医師免許が必要になるなら、医師免許を取るついでに医療行為もできるようになった方が、役に立てる分野が増えるだろうと思ってはいたのですが、
泣く子もドン引く社会不適合者としては医師になって病院で働いている自分を想像してはげんなりしていました。
俺なんかよりも医師(というか社会人)に適性のあるヤツはごまんといるだろう、と。
万が一今年受かってしまったら、そういう運命だったと諦めてちゃんと医師になります。
将来に備えるために今を犠牲にして頑張るのはバカげている
明日死ぬかもしれない(人類みなその確率はゼロではない)のに、なぜ遠い将来のために今やりたいことを我慢して、やりたくないことをやらなければならないのか?
受験勉強を頑張ったとして受験日前日に死んだら、それで「いい人生だった」と思って死ねるのか?
今自分が本当にやりたいことは何か?そう考えたときに受験勉強という選択肢はない。
去年の年末にTOEICの勉強をして、ふと我に返って、自分が何をしているのか分からなくなりました。
英語力に関しては海外の取引先とのコミュニケーションや論文を読むのにも困っていないのに、なぜTOEICでしか役に立たない勉強を自分はやっているのだろう?と。
違和感に気づかなかったら、今も限りある人生を無為に浪費し続けていたかもしれません。
今やりたいこと
医学、科学をもっと勉強して、実生活で役に立つ形にして、必要としている人に届けたい
具体的にはアルベイズでの情報発信を充実させたい。
医学部に入るメリット
医学部に入るメリットとしてすぐに思いつくのは勉強しやすい環境が手に入るのと、あとはおまけで食いっぱぐれないと言われている国家資格が取れること。
医学部の学生であれば、論文も大学の購読権でフリーペーパー化するので読み放題です。それに加えて疑問があれば、教授に質問もできるし。
独学で勉強しようとすると、論文はPDF4,5ページで50$とかそれくらいするので、かなりお金がかかります。
研究室時代はだいたい1週間で10報前後の論文を読んでいたので、同じくらい読むとなると毎月200$くらいかかることになってしまう。
今は書きたいトピックに沿って論文を選ぶので、今は学生時代ほど大量には読まないはずですが。
親孝行?
両親は定年を迎えてからというもの、過労死を心配するほど働き詰めで旅行に行くヒマもないとぼやいてたので、時間がないのなら時間を作らざるを得ない状況を作ってやろうと思ったのも医学部学士編入試験に挑戦し始めた理由の1つです。
僕は開頭手術以来、てんかん発作が起こるようになったので車の運転ができません。
そこで、医学部の受験会場まで送迎させるついでに、旅行に連れ出そうという魂胆です。
今年は受験よりも旅行をメインにする予定です。
両親をみて、定年だけはしたくないと思っています。
幸い経営者に定年はないので、定年の心配はないですが。
余談 受験は実力5割:運5割
受験は実力半分であとは運だと個人的には思っています。
出題された問題が自分の得意分野かどうかで、かなり点数が変わるからです。
僕自身、京都大学には半分以上運で受かったと思っています。
1年浪人して2回目で受かったのですが、2回目の年は数学の問題が難しすぎて平均点が37点でした。ちなみに100点満点ではなく、200点満点です。
僕は42点だったので平均は超えていたんですが、入学後クラスメイトに数学の点数を聞いてみたところ、数学は0点だったというヤツがゴロゴロいました。
つまり、数学はあまりに難しすぎて誰も解けず、実質的に試験として機能しなかった(差がつかなかった)ということです。
僕自身、数学が苦手で成績が悪かったので、数学で差がつかなかったお陰で受かったというわけです。
それでも196点というヤツもいたので、秀才っているんだなぁと地頭の差の不条理を痛感しました。
京大のときは運良く2回目で大当たりが巡ってきたというだけだったのだと思います。
繰り返し受験すれば、当然どこかで当たりがやってきます。