昨年末から自宅近くの曹洞宗の寺院で堂守のアルバイトをしています。
堂守というのはその名の通り、堂を守る人、お寺の番人という意味で、参拝客へのお札やお守りなどの授与、御朱印書き、境内と本堂の清掃などを行います。
その日の仕事の最後には、賽銭箱のカギを開けて、中に入っているお賽銭を回収します。
以前は時々1万円札が入っていたそうですが、現在はたまに千円札見かける程度で、百円玉と十円が主です。
今回はこのお賽銭について考えてみたいと思います。
神社やお寺を参拝する際にお賽銭をあげるのはなぜでしょうか。
岩波仏教辞典で「賽銭」を引くと「神仏の服を受けて祈願を成就できたお礼のしるしに神仏に奉る金銭の意。転じて神仏に参詣した時に奉る金銭のことをいう」と記されています。
つまり、元来は「願い事が叶ったことに対するお礼」でした。
現在では「願い事を叶えるための代償」と一般的に理解されており、順序が逆になっています。
そしてお賽銭の金額が高ければ高いほど、願い事が実現する確率は高まると考えられています。
語呂合わせで、金額は5円(ご縁がありますように)、45円(始終ご縁がありますように)、115円(いいご縁がありますように)などが良い、ともいわれています。
以下は、宗門の教えとは関係のない、お賽銭に対する私の個人的な考えです。
以前にこのブログで記したように、お賽銭というのはお布施であり、それは善行に該当します。
神社や仏閣に足を運び、賽銭箱に投げ入れるだけで済むので、誰でもできる、最も手軽な善行といってよいでしょう。
そして、仏教の教えでは「すべて悪しきことをなさず、善いことを行い、自己の心を浄めること」を実践すれば、人生は好転し、願い事も叶えられます。
つまり、「お賽銭=善行=願い事の実現」という図式です。
お布施が善行に当たるという意味では、お賽銭をあげることも、街頭募金に寄付することも基本的に変わりません。
たとえ願い事を心で念じる暇がなくても、お布施の効果はきっと現れるでしょう。
街頭募金が社会福祉や被災者の救済など、困っている人たちを助けるのに使われるのに対し、お賽銭はお寺と住職の懐を肥やすだけじゃないか、と思われるかもしれません。
ここで前回のブログの内容を思い出してください。
お寺の住職は毎日のお勤めで、読経によって得た功徳をすべての人たちに振り分け、災いなく平穏に暮らせることを祈願しているのです(そのはずです)。