粗相を許して、命を尊ぶ
加藤嘉明は、豊臣秀吉に仕え「賤ヶ岳の合戦」では勝利の立役者となった七本槍の一人として活躍しました。
秀吉の死後、石田三成と対立して徳川家康に仕え、関ヶ原の合戦では東軍に加わって大活躍。
その軍功により伊予国(愛媛県)の松山20万石を与えられ、のちに会津(福島県)40万石の大大名となった人物です。
その嘉明が若い頃のお話です。
嘉明は、合戦の時を考えて倹約に励み、金銀を蓄えていました。
合戦となれば戦費が必要です。
金銀ばかりではなく、南京の陶器を好み、蒐集し秘蔵していまし