否定だけじゃない!?みんな大好きクジラ構文【高校生以上】
「クジラ構文」を否定で訳す理由と、肯定的に解釈する場合について解説しています。
A whale is no more a fish than a horse is.
「クジラ構文」として有名なこの構文
「A is no more B than C is D
=AがBでないことはCがDでないのと同じだ」
と習っていると思います。
ご存じのように
「クジラが魚でないのは馬が魚でないのと同じだ」
と訳します。
C is Dが否定の形でないのに、日本語訳が否定となることから、
多くの受験生を混乱の沼に引きずり込む悪魔の構文。
C is Dを否定的に解釈するものとして教わっているわけですが、
実はそうとも限らない、というお話。
まずは基本のおさらいから
なぜC is Dを否定で訳すのか
C is Dを否定で訳すのは、
"C is Dということはあり得ない"
という前提が話し手と聞き手の間で成立しているからです。
下の図を見てください。
「A is Bかもしれない」という想定に対して、
"C is D"という、常識や文脈上あり得ない話(可能性ゼロ)を持ち出して、
それとの比較によって、「C is D」から上の部分を打ち消すことで、
「A is B もあり得ないよ(可能性ゼロ)」と言っているのです。
しかし、この文をそのまま直訳するとチンプンカンプンな日本語になってしまう上に、
C is Dなワケがない、
というニュアンスもうまく表現できない
(✘ 直訳:クジラは馬がそうである以上に魚であるということはない 🤔)
ため、意訳する必要があります。
その結果のひとつとして、"no more than"が「同じだ」となり、A is B, C is Dが否定となって、
「クジラが魚でないのは、馬が魚でないのと同じだ」となるのです。
※”no more”が必ずしも「同じだ」とならないことについては別の機会に触れたいと思います。
※なお、クジラ構文のC is Dを否定で訳すのはそもそも間違いで、肯定で訳すのが正しい、という主張が一部ネットでなされていますが、その主張は否定で訳すのを断罪するほどの意味がある主張ではなく、どっちが正しいということもないと思います。「クジラが魚でないのは馬が魚でないのと同じだ」というのはそもそも意訳であり、直訳するとチンプンカンプンな日本語になるから意訳しているだけですし、肯定で訳す派もイメージギャップの否定であるno more thanを「同じだ」と意訳している点では変わらず、C is Dを肯定で訳そうとすると、「と言うのは・・・言っているのと・・・」みたいに原文に無い日本語を付け加えたりすることになるので、大差ないことです。問題があるとすると、どちらもno more thanを「同じだ」としか訳せていないところにあると思いますが、翻訳家になるとかでなければ気にしなくてもいいです。
C is Dが否定的意味とは限らない
勘のいい方なら既にお気づきかと思いますが、
これは"C is D"があり得ないという前提がある場合に限って成り立つ話です。
"C is D"がありそうな話なら、肯定的に解釈する場合もあり得ます。
たとえばこんな感じ
A: You should try reading Ranpo Edogawa.
(江戸川乱歩がおすすめだよ)
B: I heard Ranpo Edogawa is difficult.
(江戸川乱歩って難しいって聞いたんだけど)
A: Yeah, you're right, but it is no more difficult than Edgar Allan Poe.
(まぁね。でも難しいとは言ってもエドガー・アラン・ポーくらいのものだよ)
江戸川乱歩が難しいということは一旦肯定しつつも、Edgar Allan Poeの難しさとの比較で、
「同じくらいだから大丈夫!」と言っているわけです。
Bさんはたぶん、Edgar Allan Poeの作品を読み切ったことがあり、それをAさんも知っているのでしょう。
この文脈で「江戸川乱歩が難しくないのは、エドガー・アラン・ポーが難しくないのと同じだ」なんて訳したら減点ですよ。
難しいことは一旦肯定しているんですもの。
(今までそんな問題は見たことはありませんが、これから先無いとも限りません)
Q: 結局否定的に訳すの?肯定的に訳すの?
A: 目安はありますが、最終的には文脈依存です
C is Dが常識的に考えてあり得ないことだったり、
会話の流れや文脈上すでに否定されているようなものは、
「A is BでないのはC is Dでないのと同じだ」
「C is Dでないのと同じように、A is Bでない」
などと否定的に訳し、
C is Dが一般的に受け入れられているような常識だったり、
会話の流れや文脈上すでに肯定されているようなものは、
「A is Bだとしても、C is D くらいのものだ」
と肯定的に訳すと良いでしょう。
no 比較級 than の比較級が否定的な形容詞だと、
肯定的な解釈となる場合が多いようですが、
それもあくまで目安にすぎません。
大事なのは
「"A is B"である度合い」 > 「"C is D"である度合い」
という聞き手の予測を前提に、
C is Dより上の部分を否定している。
というイメージです。
そのイメージさえ間違わなければ、
文脈に応じて適切な日本語を考えればOKです。
いかがでしたか?
クジラ構文を否定で訳出する理由と、
必ずしも否定で訳すとは限らないことについてお話ししました。
「過去の問題でこうだった」だけではなく、
「なぜ」や将来の出題可能性まで含めた掘り下げた指導を行っています。