I脳神経外科病院でのリハビリが本番です! | 介護家族日記 〜脳梗塞→後遺症→障がい者生活〜

介護家族日記 〜脳梗塞→後遺症→障がい者生活〜

2015年クリスマスイブ前日に父が脳梗塞で倒れ、救急搬送され、緊急手術を行い、その後、後遺症に対抗するための出来る限りの治療方法について、現在に至るまでの約9年間の家族による介護や後遺症の治療について日記形式でしたためます。

I脳神経外科病院には、隣に

 

通所型リハビリテーション棟

 

があるため、

 

  • 理学療法士
  • 作業療法士
  • 言語聴覚士
  • 介護支援専門員(ケアマネ=ケアマネジャー)

 

の先生方の質が高い感じがしました。

 

といいますのも、父の症状と初期治療後の経過から、幾人からいる先生方の中から、父の症状、父の目標にあった先生方を人選していただけました。

 

ちなみに、これら専門医について、簡単に説明したいと思います。

 

  • 理学療法士
    日常生活の基本となる動作能力(起き上がる・座る・立つ・歩く・車いすをこぐ…など)の改善を目的に、運動療法・物理療法(温熱治療など)を行います。
     
  • 作業療法士
    毎日繰り返し行う活動(食事・排泄・更衣・整容・入浴…など)や家事動作訓練を行い、その方に適した方法・道具を検討し、快適な日常生活を送れるように援助します。
     
  • 言語聴覚士
    言いたい言葉が出てこない、相手の言葉が理解できない…といったことによるコミュニケーションの問題や飲み込めないといった問題に、適切な訓練・指導を行います。
     
  • ケアマネ=ケアマネージャー
    要支援・要介護認定を受けた人からの相談を受け、介護サービスの給付計画(ケアプラン)を作成し、他の介護サービス事業者との連絡、調整等を取りまとめを行います。
 
このようなことをする方々なんだそうです。
 
改めて、先生方の専門分野について調べてみましたが、リハビリの内容によっては、こういった方達がタッグを組んでリハビリにあたられるんですね。
 
さて、このような専門の先生方に助けていただいて、父の左半身の機能回復に取り組んでいるのですが、最終的な治療における病名は、
 
高次脳機能障がい
 
と呼ばれるものでした。
 
なんか、言葉としては、格好いい!なんて思ってしまったのですが、実のところ、それだけ、脳にダメージのある状態であるというものなんだそうです。
 
父の場合、たまたま実家の近くに十数年前に開院していたI脳神経外科病院があったので、寝たきりにならずに、リハビリをすることが出来ているのですが、実は、60歳、ちょうど定年退職して間もないときに、1度目の脳梗塞をしているんです。
 
その時も、私は近くに居なかったので、母に、状況を聞いたんですが、
 
突然、左目が見えなくなった!
 
と言い出したので、とっさに、母は、救急でI脳神経外科病院へ飛び込んだんだそうです。
 
そして、すぐに、検査をしてもらったようなのですが、検査の最中、先生も
 
あれ?血栓がないぞ?
 
と言いながら、先生が父に、
 
今、普通に見えていませんか?
 
と聞くと、
 
見えます
 
と父が答えたんです。
 
すると、先生が、
 
軽い血栓だったようで、流れたみたいですね
 
と説明し、
 
一応、また血栓があるかもしれないので、経過観察のために、2週間ほど、血をサラサラにする点滴をするために入院してください
 
とのことで、即日、入院した経緯があるんです。
 
今回の脳梗塞も、父は父なりに、1回目の脳梗塞のこともあったので、
 
マイルドセブンを1日2カートン吸っていたタバコをパッタリと辞め
毎日、瓶ビール2本と日本酒2合を、350ml缶ビール2本を週2回に控える
 
という生活に改善することもしてきたのですが、今までの不摂生によるものは、そうそう相殺されるのでもなく、2回目の脳梗塞になってしまったということのようです。
 
加えて、今回の脳梗塞になる前に、健康診断の機会があったようなのですが、父曰く、
 
年末年始は不摂生するから年明けに健康診断をするよ
 
ってことにしていたみたいなんです。
 
それも無駄になってしまったみたいです。
 
後日、母から、あのとき、健康診断を受けさせておけば、こうはならなかったのかもしれないね。って言われました。
 
でも、血栓だから、健康診断で発見できていたのかなぁ?とも思いました。
 
さて、話が大分それましたが、リハビリの状況ですが、12月31日の段階で、父が、看護師さん含め、専門医の先生に対して、結構わがままを言っているようなんです。
その介もあってか、
 
寝返りを打ちたいとき
トイレに行きたいとき
※まだ尿瓶での排泄みたいですが・・・。
 
その他、もろもろ、しっかりナースコールを鳴らして、呼び出しているみたいです。
 
それを聞いただけでも、少し、安心したんです。
 
昭和の頑固親父の面もある父なので、まぁまぁプライドが高いはずなんです、その父が、ナースコールを鳴らしているというからです。
 
プライドどころじゃないと父も悟ったのかもしれませんが、ナースコールを鳴らすことをするようになったころ、父の心の変化もあったのか、先生たちといろいろと話をするようになったようです。
 
例えば、今回、展示会に画が入選したこととかです。
 
父のお見舞いに行ったときに、入選したんですね。と言われ、父が話したんですね。と聞き返しちゃいました。
ちょっと、嬉しかったですね。
 
やっぱり、入選したことは、相当自慢だったみたいです。
 

ここでのリハビリの大半は、

 

寝返りが打てるようになる

 

とか、

 

手すりを掴んで起き上がれるようになる

 

とか、

 

一番問題のトイレに行けるようにする

 

とかだったようです。

 

左半身の麻痺が、やはり相当だったみたいで、これ以上、悪い方向へ進行しないように、最低限のリハビリやマッサージをして

 

回復期

 

に向けての準備をしておくというものだったようです。

 

それでも、父は、その先を望んでいたようだったので、母と話して、介護用品のお店で、ブツブツのボールを買って、父にリハビリ以外の時は、これ「にぎにぎ」してみたらとか、病院のリハビリ以外にも、先生に自分で出来るマッサージやリハビリの方法を聞いて、ベッドの上でやっていたみたいです。

 

こんな感じで、年末年始は、お見舞いに行くと父のリハビリを見学する。という日々だったんですが、年を明けて、間もなく、先生からリハビリ専門病院への転院の話が出てきました。

 

いよいよ、リハビリに本腰といった感じです。