松村雄策さんの「ハウリングの音が聴こえる」を読んで「All My Loving」についてあれこれ考える

この世に「完璧な2分間」というものが存在するならば、自分にとってはビートルズの「All My Loving」をイヤホンで集中して聴いているとき、あるいは「All My Loving」という曲そのものである。先日、松村雄策さんの11冊目の新著「ハウリングの音が聴こえる」が引っ越し間もない新居に届き、一週間ほどかけて少しずつ読み進めた。ひととおり読み終えてからも、夜中の就寝前に落ち着いて過ごせるわずかな時間にちょくちょく開いては、松村さんの文章を味わっている。どれだけハードな一日の夜になっても、松村さんの文章だけはどんなに疲れた脳にもスルスルと入ってくる。新刊が出て、本当に有り難いとしか言いようがない。「小説すばる」誌に4年間にわたって連載されたという、44回分のエッセイが収められた本。その1回目、「コージョライズ」と題された文章はもう何度も読んだ。コージョライズ、もちろん「All My Loving」の歌い出しのフレーズである。

この曲の歌い出しが「クローズ・ユア・アイズ」ではなくて「コージョライズ」と聴こえる、という気持ちは本当によくわかる。コージョライズ、と言われれば、頭の中には一瞬でそのフレーズがあのメロディーを伴って、ポールのダブルトラックヴォーカルで流れてくる。「クローズ・ユア・アイズ」では全然違う。20歳そこそこの4人が1963年に録音したオリジナルバージョンの歌い出しは、誰が何と言っても「コージョライズ」なのである。こういう感覚は頭の中で思っていても、なかなか言語化できない。この完璧な2分間を心の底から愛し、何千回も聴き倒して、初めて文字にすることができるのだと思う。この「コージョライズ」というフレーズは自分の心にドンピシャではまった。さすが、松村さんである。

「All My Loving」が初めて収録されたアルバムは、1963年11月にリリースされたビートルズの2作目「With The Beatles」。ビートルズの全作中でも聴いた回数は一番なんじゃないかと思うぐらい大好きなアルバムなのだけど、自分にとってかなり謎の深い作品集でもある。デビュー作「Please Please Me」に収められたオリジナル曲は、デビュー前からステージで練り上げてきたものばかりだというのはよくわかる。オリジナル曲で固めた3作目「A Hard Day’s Night」は、まさしくジョンの才能爆発、ホップ・ステップ・ジャンプでスーパーアイドルに駆け上がったバンドの勢いが生み出した文句なしの傑作であることも、よくわかる。しかし、その間に挟まれた「With The Beatles」については、よくわからない。デビュー作から間髪入れず制作された2枚目。普通なら前作の焼き直しで済ませるところだろうに、冒頭の「It Won’t Be Long」からして以前のオリジナル曲を軽々と凌駕するハイクオリティ、そしてポールの「All My Loving」である。これらのオリジナル曲は「Please Please Me」の後、一体どこからどうやって出てきたんだろう。しかもビートルズはこの2曲の録音を7月30日のたった一日のセッションでやっつけている。考えれば考えるほど、「Please Please Me」から数か月でいきなりこんなのが続けざまに出てくるなんておかしいじゃないか、となる。殺人的スケジュールの中で、ここまで完璧なオリジナル曲を作詞作曲して、アレンジして、演奏して……いま目の前にあるコーヒーカップから白い鳩を取り出されたような気持ち。「コージョライズ」とは、1963年7月30日の夜に何らかの魔法がかかってこの永遠の名曲が誕生した瞬間、ポールが発した第一声なのである。歌った本人ですら二度と再現できない類のものだろう。

……こんな風に初期ビートルズについて書き始めると収拾がつかなくなるのでこの辺にして、この曲と非常によく似た曲の話をする。よく似た、というかパロディである。そう、ラトルズの「Hold My Hand」。

ラトルズについては松村さんも1978年に「ゼイ・ケイム・イン・スルー・ザ・TV・スクリーン」という文章(「アビイ・ロードからの裏通り」に収録)で取り上げていて、この曲についても触れている。「最後のサビでウーウーとファルセットが入るところなんか、涙なしでは聞けない」という言葉が、昔から自分の頭にこびりついて離れない。本当にそうなのである。ラトルズはテレビ番組から生まれたお笑いパロディバンドではあるけれど、一回聴いて笑っておしまいというものではなく、本家ビートルズと同様、何千回聴いても飽きずに楽しめてしまう。ニール・イネスの才能とビートルズへの愛、それに尽きるのだけど、「Hold My Hand」はその中でも飛び抜けている。単なるパロディではないんだよな、何が違うんだろうな、とずっと思っていたところ、先ほどきわめて基本的なことに気付いた。元ネタの「All My Loving」はポールがリードヴォーカルなのだけど、「Hold My Hand」はジョン(役のニール・イネス)がリードを取り、ポールはコーラスに回っているのである。だからサビではジョンの上にポールそっくりの声と歌い方のハーモニーが入って、これが本当に涙が出るほど良いのだ。「All My Loving」のリードヴォーカルをジョンにして、さらに美味しくしてしまったのが「Hold My Hand」。こんなことができるなんて。ラトルズの音楽面でのポール役を務めたらしい、オリー・ハルソールの貢献もすばらしい。ラトルズもまた、永遠である。

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