インド日記2008年10月:オートのいない昼下がり

寒冷地への出戻り引っ越しをして、3月下旬なのに朝は氷点下6度まで下がったりしている。今朝は起きて窓の外を見るなり突然の雪景色にびっくり。お彼岸過ぎてこんなに冷え込む朝に「暑い暑い」が書き出しのインド日記を投稿するのだが、本当にヤドカリのように色々な土地を取っ替え引っ替えしながら暮らしたものである。どんな場所に行っても、そこで1か月も暮らせばそれが「日常」になることを知った。ムンバイでは4~5月が一番の酷暑期、10月には「第二の夏」が訪れてもう一度暑くなる。そんな時期に書いた、当時の日常。

暑い暑い。オクトーバー・ヒートともセカンド・サマーとも言うが、雨期が終わってまた思い切り暑い季節がやってきた。洗濯物がすぐ乾くのはいいが、暑さで胃の調子が悪くなってあんまり食欲はなくなるし、外に出るのがおっくうになる。そんな日々の中、昨日は比較的元気だったので、気温37度の炎天下、最近めっきり出番の少なくなったバイクのマチズモさんを昼食がてら走らせることにした。

当時乗っていたバイク、頑張って買ったロイヤルエンフィールド

新聞やニュースによると、この日はムンバイのオート・タクシー組合がストを構えており、たしかに窓の下を眺めるといつもはひっきりなしに行き来するオートリクシャもタクシーもまったく通りかからない。ちょこまか動き回るオートでいつもあふれかえっているムンバイの道、今日はどんな感じになっているんだろう。

一歩外に出るとサウナ並みの熱風にやられる。ひるまずバイクのエンジンを掛け、ハイウェイの交差点へ。延々信号待ち。暑い……ゆでだこになりそうだ。確かに世の中、オートがまったく走っていない。家に帰るまで、走っているオートはたったの1台しか見なかった。通り道にあるリーラヴァティ・ホスピタルの前は、インド映画界の大物中の大物、アミターブ・バッチャンが現在入院中とかで、報道陣が取材に来ていた。塀によじ登ってシャッター・チャンスを待ちかまえるカメラマン達。猛暑の中ご苦労なことだ。もっと大騒ぎかと思っていたがさほどでもなかった。

海辺の道に出てアラビア海沿いを少し走る。海が近い地域に住むのは生まれて初めてで、ちょっとバイクに乗っただけで海に出られるのが未だに不思議だ。わあ、海だ、と毎回思う。

こんなときに決まって行く半野外のレストランに入る。そこはインド料理と中華・タイ料理の店が2軒並んでいて、どちらも一緒にオーダーできるようになっている。中華の方ではモモという料理がおいしい。これはチベット料理の一種で、餃子や焼売や小籠包の仲間。ネパール旅行に行ったときにカトマンズやポカラでよく食べた。ムンバイでもときどき中華料理店のメニューに載っているが、今ひとつのものが多い。でもこの店のモモは気に入っている。もう一軒、小さなチベット料理店がアンデリにあって、そこのモモも絶品だったのだが、どうやらもう閉店してしまったらしい。残念だ。

メニューを見ると、タイ料理のところに、クリア・チキン・スープにライス・ヌードルというメニューがあるのを発見。これはもしかして透き通った鶏ガラスープのタイラーメンみたいなものか? と少しだけ期待する。まあ、こういう期待はこれまで何度も裏切られてきたのだが、ものは試しということで、敢えて詳細を聞かずにモモと一緒に注文してみる。出てきたのはこんなやつ。

どこがクリア・スープじゃい。真っ赤で中が見えないじゃないか。ライス・ヌードルというか、ぶつ切りのごく短い麺がちょっとだけ入っていて、なぜかライスそのものも混ざっている。意味不明。単に、辛くてちょっと酸っぱいトムヤムふうのスープだった。やっぱりインドでラーメンは無理だ。それなりにおいしかったけど。

ちょっとこれだけでは足りず、さらにムルグ・シーク・ロールというのを頼む。これは、スパイシーな鶏挽肉をタマネギと共にローティでくるんだもの。

市場に寄ってスパゲティやズッキーニなど、近所で買えない品物を入手した後、帰宅。普段幅をきかせているオートもタクシーもいない道はすっきりしていて快適だったが、安くて便利な庶民の足が消え失せてムンバイ市民はさぞかし困ったはずだ。自分たちも、のっぴきならない用事があったときにストになっていたら……と思うと他人事ではない。

帰った後、下痢になってしまった。暑さのせいか、それともあの真っ赤なヌードル・スープが辛すぎたのか。

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