plusnineのブログ

自分の趣味に関する話を書いていきます。メンエス体験をメインに他の話も。

またまた雑談〜サッカー談話



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ネタ切れw


なので...

今回は自分の趣味のサッカーの話を。



お前の趣味はメンエスじゃねーのかよ?と言われそうですがw

自分はメチャクチャ多趣味なのですw





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さて。






皆さんはドイツのサッカークラブ『ボルシア・ドルトムント』というチームをご存知でしょうか?





ドイツ西部の都市ドルトムントを本拠地とするドイツ・ブンデスリーガの強豪チームです。黄色と黒のカラーを基調とするユニフォームで、毎年代表チームにも多数の選手を送り込んでいます。日本人では香川真司選手が所属し、活躍したことが記憶に新しいのではないでしょうか?






そんなドルトムントのチーム、そして所属していたある選手にまつわる話です。






1990年代後半。ドルトムントは強豪の名に相応しい活躍を見せます。世界最強のクラブを決めるインターコンチネンタルカップ(当時はトヨタカップと言われていましたね。)も制すなど世界的にも名を轟かせていました。




その中のFWとして活躍した選手にハイコ・ヘルリッヒという選手がいました。






ヘルリッヒはボルシアMGでの活躍からドルトムントに引き抜かれ、その後主要メンバーとして活躍していました。インターコンチネンタルカップでも、ダメ押しの2点目を決めるなど彼のキャリアのピークを迎えていました。





そして迎えた2000年のシーズン中。体調不良を感じたヘルリッヒ。プレー中に視界がボヤけたり、ボールが二重に見えてしまう。プレーに支障が出るほどになった彼は病院へ診察に向かいます?





そこで下された診断は...まさかの脳腫瘍でした。しかもかなりの末期で生存確率はかなり低い、というものでした。





絶望するヘルリッヒ。もう生きられないということ以上に彼を落胆させる事情がありました。


それは彼の奥さんのお腹の中には、待望の第一子がいたのです。死への絶望以上に、産まれてくる子の顔を見る事が出来ない、その事実がいっそう彼を落胆させました。




しかし。可能性は低いとは言えゼロではない。幾多の強敵と戦ってきたヘルリッヒは、最大の敵とも言える自分の病魔に戦いを挑むことを決意します。





そんなある時。





放射線治療で体力を使い、ぐったりとベッドで横になっていたヘルリッヒの元へある訪問客が訪れます。それは所属チーム、ドルトムントの契約担当のディレクターとマネージャーでした。




その時ヘルリッヒは悟ります。あぁ...自分は契約を切られるんだな、と。



契約は今シーズン終了まで残っていましたが、万一病気が回復したとしてもプレー出来る状態にまで持っていけるのかどうかもわかりません。ましてやその確率も低いと。





マネージャーは言います。

「ヘルリッヒ、病気で辛いところ申し訳ないのだが。契約に関する書類なんだ。目を通して、了承してもらえるならサインをくれないか?」




ヘルリッヒは悲しい気持ちで書類を受け取ります。自分のサッカー人生もこれで終わりなんだな。そう思いながら書類を開きます。




そこにあったのは...




ドルトムントからの契約延長のオファーでした。




おどろいてマネージャーを見ると、微笑みながら言いました。




「君は今シーズンで契約が切れるだろう?でも多分、今シーズン中に復帰は無理だ。だから一年契約を延長する。必ず来年までに戻ってきてくれ。君はどうしてもウチに必要な選手なんだ!」




粋な形でのチームからのサプライズでした。





ヘルリッヒは号泣して崩れ落ちました。





絶対に自分は復帰する!ヘルリッヒはそう心に決めました。




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その数ヶ月後。





ドルトムントの本拠地、ヴァストファーレンスタディオにて。ドルトムントのホームゲーム、満員のサポーターの前にヘルリッヒは車椅子に乗ってピッチに姿を現します。引き続き闘病中で、以前に比べて髪は抜け落ち、痩せ細った身体でしたが、サポーターの前に姿を見せました。



ヘルリッヒの隣には奥さんと、その腕に抱かれた赤ちゃんがいました。そうです。ヘルリッヒは自らの子供を見ることができたのです。






家族の支え、またサポーターからの熱い声援を受けてヘルリッヒは病魔と戦い続けます。






そして2001年。





近隣地区のシャルケ04と戦うルールダービー。そこに一人の男がついにピッチに立ちます。



一年以上病気と戦い、家族やサポーターの励ましを受け、そしてチームからも期待された男がついに帰ってきたのです。ライバルチームのサポーターも含め、スタジアムの全員からスタンディングオベーションで迎えられたヘルリッヒ。ついに彼は病魔にも打ち勝つことが出来たのです。




ここからの活躍は凄くて...となればまさに映画のようなお話なのですが。残念ながら以前のトップフォームに戻ることは出来ず、2004年、怪我の影響もあり現役の引退を余儀なくされました。




その後は監督としてドルトムントのユースチームや、また他の強豪レヴァークーゼンの監督に就任したりと、ドイツサッカー界での活躍は続いています。



※レヴァークーゼン監督就任時のヘルリッヒ


残念ながら監督としてまだ際立った成績を残せていませんが、彼の病魔に打ち勝った経験はきっと同じような状況にある人々に勇気を与えていることでしょう。



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そして。復帰見込みがわからなかった選手に契約延長のオファーを出したドルトムント。その後経済的な面と主要メンバーの高齢化に伴いチームは低迷します。




一時期は経営破綻に陥いる寸前まで行ったものの、サポーターはチームを見放しませんでした。


21世紀に入った2002年から2006年あたりはドルトムントの暗黒期とも言える状態でしたが、観客動員数はブンデスリーガでは常に一位。ヨーロッパではレアルマドリーやマンチェスターユナイテッドに続く3位をキープしていました。





そしてサポーターの期待は徐々に身を結び始めます。


2008年には若手監督だったクロップを起用。そして2010年には香川真司やレヴァンドフスキを獲得。またチームの若手が一気に育ち、ギュンドアン、グロスクロイツ、ゲッツェなど、その後ドイツ代表を支える面々が頭角を現し始めます。




結果、2010-2011シーズン。ぶっちぎりの強さでリーグ戦を独走。9シーズンぶりの優勝を飾りました。その後の香川真司を伴うチームの活躍はサッカーが好きな方ならご存知と思います。




サッカークラブも会社と同じで利益を追求して経営をしていかなければなりません。そんな中で一人の所属選手のために契約を延長したチーム。経営的にはマイナスだったかもしれません。ただそんなチームだからこそ、サポーターに愛され、低迷期があったとしてもその後復活出来たのだと思います。




しかもこの話。ネットを探してもほとんど出てきません。こういう話はチームの広報とかがイメージアップのために美談として広めそうですが...。自分は当時のサッカー雑誌のスペイン人記者のコラムで知りました。もっと語り継がれても良いと思うんですけどね笑




長々とありがとうございました。



メンエスネタが無い時はこんな感じで別の話を書いていこうと思います。




よろしければお付き合いください。





ではまた。



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