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Yumetaroのブログ

日常や会社で思ったことや、趣味や好きな事また、商品紹介なども書いていこうと思ってます!

復活!!体調が良くなったのでお出かけしよう!!

おはようございます!!

4連休の3日目!

ということで、どこに行こうかなと…。

それもそのはず私は体調が悪かったのです。

 

yumetaro.hateblo.jp

 

しかし本日、頭痛も喉の痛みや吐き気も全部無くなったので復活しました!

特に病院などは行きませんでしたが、今現在問題無さそうなので何処か連休らしくお出かけしようかなと思います!

 

連休中はどこいっても混んでるし、Uターンラッシュで渋滞が読めないから常に調べながらお出かけするのがいいですね^^

 

私はGoogleマップを駆使して行こうと思います!

 

yumetaro.hateblo.jp

 

是非、参考にしてみて下さい!

それでは皆さん、良い休日を!!

 

 

 

 

 

 

【動画あり】ついに負けた!?無敗の女王、ぱんちゃん璃奈。5月3日巌流島にてルシア・アプデルガリムと対戦

 

 

こんにちは!

5月3日、格闘技団体「巌流島」が行われた。

そこに出場した「ぱんちゃん璃奈」。

 

ぱんちゃん璃奈と言えば、無敗の女王として女子キックボクシングで人気を誇るファイターである。

しかし、2022年、那須川天心vs武尊のサイン入りポスターを偽造しネットオークションにて10万円程で販売した詐欺容疑で兵庫県警に逮捕されていた。

その後、復帰戦を行うなどキックボクサーとしての実力は無くなっておらず、そのまま無敗記録を伸ばし今や17戦17勝でした。

 

その「ぱんちゃん璃奈」が5月3日に行われた試合でアルゼンチンのルシア・アプデルガリムと対戦。

なかなか相手のペースを崩すことが出来ずそのまま判定へ。

結果は、2-0の判定負け。

「ぱんちゃん璃奈」はプロ初黒星を喫した。

ただし、リングでは無い巌流島ではプロの戦績には反映されない為プロとしては無敗のまま。

しかし、「ぱんちゃん璃奈」は7年振りに負けたと大粒の涙を流した。

 

 

 

 

 

対戦相手のルシア・アプデルガリム(アルゼンチン)

アルゼンチン出身の2004年生まれ、現在20歳である。

美人格闘家として人気を誇り、

プロ戦績は12戦10勝2分とこちらも無敗である。

 

巌流島は日本の異種格闘技団体であり、今大会はバーチャルファイトとしYouTubeにて配信されている。このようにCGにて会場を演出。

リングは無く押し出すことも可能。

主審は角田信朗が務める。

今大会には「ドーピング陽性」で一躍有名になった木村フィリップミノルも出場している。

結果は、セネガルのアマドゥ・ディアを1R1分3秒でKOし勝利を収めている。

 


www.youtube.com

 

 

 

本当だった!KATーTUNの不仲説!上田竜也がダウンタウンDXで暴露!!

KAT-TUN上田竜也が2日放送の日本テレビ系「ダウンタウンDX」に出演。

KAT -TUNメンバーの「不仲説」について証言した。

 

 

この日は、「迷惑かけてごめんなさい芸能人の懺悔SP」として、振り返って謝りたい過去のことを明かし た。

 

当時は生意気だったと語る上田に、MCの浜田雅功が「KAT-TUNの仲はどうでした?」と質問。

すると上田はあっさり「最悪でしたね」と認めた。

 

KAT-TUNは2001年に6人組で結成し、2006年にシングル「Real Face」でデビュー。しかし、2010年に赤西仁、2013年に田中聖、2016年に田口 淳之介が脱退した。

 

浜田から 「えっ! いま何人や?」と聞かれ、「半分の3人です」 と苦笑い。

『SHOCK』の楽屋が6畳だったんですよ。メンバー が6人いたので、必然的に自分のスペースは一畳になるんです」と話し、ある日メンバーの一人が、上田の一畳分のスペース に、生クリームを落としたという。上田は「分かってっから、おめーだろ。拭けよ」と指示すると、そのメンバ ーはサッと払うように床を拭き「はい、拭いた」と言い放った。

上田は「なんだ、その拭き方は」とブチ切れ。

そこから「殴り合いの大げんかですよ」と証言し、「でも、男同士なんですぐに仲良くなるんです」と振り返った。

 

さらに「ただ、中丸くんだけはすげえ腹立って『いいから、殴って来いよ』って言ったら、「いや、ケンカしたら警察呼びますよ」と。

「それが逆にめちゃくちゃス トレスたまるんですよ」と、血気盛んなメンバーの中で、一人、独自の反応を示した中丸雄一の存在を語った。

 

 

 

 

 

マシュマロ 喉に詰まらせ 小学生 意識不明

沖縄県石垣市。市内の児童クラブに通う小学生4年生の男子児童がおやつに出されたマシュマロを喉に詰まらせ意識不明の重体になる事故が発生した。

4月22日、午後のおやつに市販のマシュマロが用意された。

しかし、この男児は元々飲み込む力が弱かったため別のおやつが用意されていたが、何らかの理由で別の男児のマシュマロを食べてしまった。

唇が青ざめているのに職員が気付き、救急隊へ連絡。

到着までの間にマシュマロを取り出したが意識が戻らず5月3日の現在でも意識は戻らず。

翌23日に県へ報告をした。

マシュマロは弾力があり、噛みにくさ、飲み込みにくさがあるため注意を促して欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最悪なゴールデンウィークを過ごします。

こんにちは!

皆さんいかがお過ごしですか?

 

私は本日から4連休です!

さぁ!遊びに行こうか!と思った矢先、

 

風邪ひいた💧

 

最悪です。

頭痛と喉の痛みが酷いです。

祝日ということで病院もやっていない💦

 

仕方が無いので家でゆっくりします。

何かいい記事でも書きたいのですが、その気力もありません。

 

少し寝て、体調が戻るのを祈ります。

 

是非、皆さんは楽しい休日を!!

 

 

 

甲本ヒロト(元THE BLUE HEARTS)がバンドを始めるキッカケとなった曲。

今週のお題「名作」

こんにちは!

あの伝説のバンド。THE BLUE HEARTS(ザ・ブルーハーツ)

ボーカル甲本ヒロト(現クロマニヨンズ)のバンドを始めるキッカケとなった曲を皆さんはご存知ですか?

 

早速ですがその曲がこちら⬇️


www.youtube.com

曲名 Doo Wah Diddy Diddy(ドゥ・ワー・ディディ・ディディ)

バンド Manfred Mann(マンフレッド・マン)

 

マンフレッド・マンはイギリスで1962年から1966年まで活動していたバンドです。

あの有名なザ・ビートルズと同じ時期に活動していました。

 

では、なぜこの曲を甲本ヒロトが…??

甲本ヒロトがまだ中学生の時にラジオから流れてきた音楽に自分でも分からないが何故か涙が出てきた。

「こんな曲で有名になれるなら自分にも出来る!」と思い、甲本ヒロト少年は音楽の道へ。

その時に流れてきたのがドゥ・ワー・ディディ・ディディである。

 

その後、ブルーハーツで一躍有名になった甲本ヒロトブルーハーツ解散後、期間限定で「ヒューストンズ」というバンドを結成している。

そのヒューストンズ時代にドゥ・ワー・ディディ・ディディを日本語でカバーしていたことがあった。

現在、YouTubeでの音源は削除されていましたが以前は確認出来ていました。

 

私は、このヒューストンズの「呼んでくれ」という曲が好きです。

「呼んでくれ呼んでくれ半人前で良かったら」といフレーズがなんとも甲本ヒロトの優しさが伝わります。


www.youtube.com

是非、聴いてみてください。

 

マンフレッド・マンの話に戻りますが、

私が好きなマンフレッド・マンの曲はこちらです。


www.youtube.com

曲 My Name Is Jack(マイネームイズジャック)

 

この曲はこの時代ならではの音作り。

まだエフェクターなどが出回っていなかった時代というのもありながら曲に盛り上がりをつけるため色々な音を入れて作成しています。

初めて聴いたのにどこか懐かしさを感じる曲です。

なんだか涙が出そうな気もします。

 

 

私のおすすめの曲になります。

是非ご視聴下さい。

 

 

 

私をたどる物語。【#2】

 

yumetaro.hateblo.jp

 

親父が入院。

親父は入院することになった。

 

診断の結果は「肝硬変」。

 

肝臓の病気です。

 

親父は居酒屋経営をしていたため、毎日のように営業後に従業員とお酒を飲んだり、他の経営者などとの会食などもあり毎日のようにお酒を飲んでいました。

 

それに、家系的にもお酒は強くありません。

 

よって肝臓を悪くしてしまったのです。

 

肝臓が弱って胃に傷が付き血を吐いたとのこと。

 

しばらくは入院です。

 

病院が家から近かったのが幸いです。

 

親父のいない生活が始まりました。

 

しかし、元々居酒屋経営をしていたのですが経営もギリギリで貯金もほとんどない状態だったのです。

 

仕方がなく母親はアルバイトを始めるのです。

 

朝早くから夜遅くまで。

 

来る日も来る日も働いてました。

 

朝は子供たちの通学時間より少し早く家を出て、遅くに帰ってきます。

 

次の日の子供たちのお弁当を作り、洗い物、洗濯物、掃除をして一日が終わる生活です。

 

当時の僕達はそれがどれだけ大変なことか気付いてはいなかった。

 

一方で僕達、兄弟は学校が終わると親父の入院先の病院に自転車で向かいます。

 

毎日のように親父の元へ行きました。

 

「早く良くなってね!」

 

「また、キャンプ行こうね!」

 

「治ったらキャッチボールしようね!」

 

親父の退院を楽しみにしていました。

 

しかし、夕方病院から家に帰っても母親はいません。

 

兄弟3人で夕食を食べ、お風呂に入り、学校の支度をして寝るのです。

 

夕食は近所の方からのおすそ分けや、自分たちでコンビニに行ったり、たまには自分たちで料理することもありました。

 

そんな生活が数ヶ月続いたあと親父が退院します。

 

しかし、

 

つづく…。