尾﨑まり江 自分史

まり江
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なりたい自分・理想の人生を叶える☆人生満足度100%にするための目標設定&達成をサポートしています、BEライフコーチ 尾﨑まり江です。


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自分史第5弾、今回は短大時代を振り返ってみました。これまでの自分史はこちらから

短大生時代は、正直あまり振り返りたくない時期。振り返ってみると、自己肯定感低かったな〜と思います。

しかし、この経験があるから、私みたいに悩んでいる女性を少しでもサポートできればという気持ちが強く、今の仕事に繋がっているのかもしれません。

花の女子大生

人生で初めて、女性しかいない学生生活。

別の学科にいたかもしれませんが、同じ高校からは、私が入学した英文学科には誰ひとりいなくて、全員が初めましての状態。

慣れてくると話もできるようになっていましたが、初めましての人に話しかける勇気はなく、どうやって友達になったのか?覚えていませんが、少しは友達ができました。

高校からの持ち上がりで入学している生徒は、やはりお金持ちが多く、ブランド品を持ち、派手目のメイクで華やかでした。

ですが、短大からの入学組も多く、だいたい半々くらいのイメージです。

持ち上がり組、短大からの入学組、それぞれグループは分かれていましたが、特に仲が悪いということもなく、平穏な学生生活でした。

バイト生活

短大入学後も母からは少しのお小遣いと毎日、学食代として500円をもらい、通学していたものの、高校生からバイトをしていたので、バイト生活が当たり前になっていました。

高校生最後の冬休みに、新神戸駅にあったOPA(オーパ)内の中華料理店でバイトをしたのですが、地下鉄沿線で育った私にとって、帰りは絶対座って帰れる新神戸はとても便利でした。

短期バイトだった中華料理店のバイトを、エロそうな店長に引き止められましたが、それを断り、同じ階にあった小さなオムライス店でバイトすることになりました。

そこで1年、アルバイトも増えてきて、私が入れる時間も少なくなったのを機に、数階上にあったアクセサリー店へ移りました。

短大生活のバイトは、ずっと新神戸でした(笑)

初めてできた彼氏

彼氏ができたのは、短大生の頃です。

同じバイト先といっても、同じ場所ではなく、系列が同じバイト先の人です。

店舗があるフロアは異なっていましたが、まかないは私の店舗で食べてもよかったり、夜間金庫の鍵を取りに彼の店舗に行くなど、何かと出会う機会はありました。

きっかけは、私が麻雀に誘われたことです。

我が家は、父が麻雀を教えてくれて、小学校の頃から家族で麻雀をしていました。めちゃくちゃ詳しいわけではないのですが、麻雀は好きです(笑)

麻雀ができるというだけで誘われました。

バイト先の寮でもある彼の部屋で、麻雀が定期的に行われていて、同じバイト先の先輩でもある女性もいたこともあり、私も参加することになりました。

勝ったのか負けたのか、何も覚えていませんが、後に、「ちょんぼ(失敗)しないことで、頭がいいと思った」と言われました(笑)

そのうち、頻繁に彼の部屋に行くことになり、付き合うことになるのですが、実は、二股でした。

隠されていたわけではなく、遠距離恋愛の彼女がいることは、公にも知られていることで、私も知っていました。

私が原因ではなく、その後、ふたりは別れることになるのですが。

振り返ると自己肯定感が低すぎた

そもそも二股と知っていて、付き合うという時点で、なんでそれを許してしまったのか。自己肯定感低かったんだな〜と思います。

付き合ってみると、彼はわりと「カ〜ッ」となるタイプで、嫉妬心で怒ることもあれば、ちょっと気に入らないことでも怒ってました。

ケンカするというよりは、言われっぱなしでした。

1度バイト先のみんなとスキー場に行ったことがありました。

教えてもらいながら滑っていたのですが、私が何度も転けていると、イライラし始め、先に滑って行ったことがありました。

転んでいる私を他の男性たちが心配して、声をかけてくれたのですが、またそれを見て嫉妬する始末…

怒られ、暴言吐かれて、今なら我慢できずに、さっさと別れていますが、この頃は、別れたらもう彼氏とかできないかもなどと思い込んでいて、別れられずにいました。

妊娠発覚

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短大2年の秋、生理が来なくなりました。まさかな〜と思いながらも、一応、彼とも話をしていて、もしものことがあったら堕そうと話してました。

2歳年上の彼も大学4年生で、就職先も決まっており、お互い4月からは新社会人だったのです。

生理が止まっただけでなく、胃もたれがひどくなってきました。

我が家は、父が留守のときは、母が手抜きしたくて、外食に行こうという家でした。

ある日の夜も「パパいないし、どっか食べに行こう」と母が言い出し、何を食べたいかを聞かれました。

胃もたれするけど、なぜかガッツリ食べたくて「串カツ」をリクエスト。近所の串カツ屋に行きました。

家に戻ってから胃もたれで「苦しい〜、気持ち悪い〜」ともがいていると、母が「月曜日。病院行く?」と聞いてきました。

その日は、確か金曜日か土曜日で、週明けに病院に行こうと提案してくれたのです。私が「うん」と言うと、「内科と婦人科、どっち行くの?」って(笑)

母親ってすごいですね(笑)

なんとなく予感していた私は「婦人科」と答えました。

母は週明けの月曜日、妹を出産した産婦人科を予約してくれました。学校帰りに待ち合わせて、検査に行きました。

そこで、妊娠が分かり、お腹の赤ちゃんの超音波写真を渡されました。明らかに結婚していない私に「どうしますか?」と。

そんなのいきなり答えが出せるわけもなく…私は何を考えていたのか、何も思い出せません。

ただ、待合室で検診に来ているお母さんたちが抱いている赤ちゃんを見て、簡単に堕したりできないとだけ思いました。

父の沈黙

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父はいつも私を信じてくれていたので、父だけには知られたくなかったんです。

しかし、黙っているわけにはいきません。

母は、最初から「堕してはいけない」と、産む方向で話を進めていました。

実家に戻っていて留守にしていた父は、その日帰ってくる日でした。母は「ママから話すから、それまで黙っときなさい」と言い、まずは近所の自営していたエステサロンへ。

すると、父が先に家に帰ってきたので、2階の部屋から母に電話をしました。それでも、まだ黙っておくように言われて、私は自室に閉じこもっていました。

その後だったか?実家に帰る予定だった彼も家の近くのバス停に着いたと連絡がありました。

携帯電話のない時代、家の電話だけで、やり取りしていたのも懐かしいですね。

私はこそっと家を出て、バス停近くに彼を迎えに行きました。しばらく立ち話をして、「堕すのは怖い」と話をしたら、産む方向で考えようという結論になったと思います。

その後、2人で家に着きました。

どんな話をしたのか?あまり記憶にありません。

おそらく母が一生懸命「産むこと」を前提に話をしていたと思います。母親というのはすごいですね。

自分の娘が大学卒業した頃、彼氏とも別れた後に、生理が来ないと言い出したことがあって、めちゃくちゃ焦りました。(結局、ただ遅れてただけでしたが)

それを思うと、母はどっしり構えていて、産むならどうするか?いろいろな提案をしてくれたと思います。

父はほとんど話をすることがなく、黙っていました。外泊しても、いつも信じてくれていた父には申し訳なく、何を思っているのかが、ずっと気になっていました。

私のやりたいことは?

その日だったか、翌日だったのか?

父は「自分のやりたいことはいいのか?」と聞いてくれました。

英文学科に通っていた私は、翻訳家になりたいと通信教育で翻訳の勉強を始めたところでした。

翻訳家を選ぶことでも、人付き合いを避けていた自分が思い出されます。

子供の頃から「進研ゼミ」とかの通信教育が続かず、翻訳家の勉強も母は反対したのですが、父だけは「やってみなさい」とお金を出してくれました。

なので、そのやりたいことが、結婚出産でできなくなるのを心配してくれていたのです(泣)

しかし、

子供の頃から自由奔放で、働く母を見ていたせいか、結婚して子供ができたからといって、自分のやりたいことができなくなるとは思えませんでした。

結局、翻訳家になることはありませんでしたが。

妊娠発覚〜卒業まで

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妊娠発覚からスムーズに結婚話に進んだわけではありません。

いろいろ一悶着ありましたが、結婚して、出産するということが決まりました。

母の強い要望で、結婚式も挙げることになり、結婚式、卒業式、そして、成人式とイベントが目白押しに。

その前に、卒業前の最後の試験がありましたが、つわりがひどく、朝の電車で吐きそうなったり、夜はつわりで勉強できなかったりで、大変でした。

もう時効だと思い告白しますが、ドイツ語だけはカンニングしました(笑)

妊娠が分かったのが、1992年11月。

1993年1月は、成人式でした。妊娠が分かる前に、着物を買ってもらっていたので、それを着て成人式へ。

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同級生との集まりには出ずに、早々と家に帰りました。

そして、2月は結婚式でウェディングドレス、3月は短大の卒業式で袴を着て、お腹が大きくなった卒業後はマタニティウェア。

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どうしても南野陽子の「はいからさんが通る」の衣装と同じ袴が着たかったんです(笑)

一生のうち、何年かかけて着る衣装を1年、いや数ヶ月ですべて着終わりました(笑)

まとめ

中学校、高校に比べて、2年という短い期間ですが、いろいろありました。

今回書けなかったのですが、友人関係でもいろいろありました。

今なら、もっと器用に問題解決できたのにと思いますが、まだまだ未熟で子供だったんでしょう。

そう思うと、少しは私も成長していると感じました(笑)