その日も美和は真尋の病室にいた。
カバンの中から、先ほどデパートで買ってきたハーバリウムを包んだ袋を取り出す。丁寧にテープを剥がしてその袋に入っている瓶を取り出すと、美和の目に鮮やかな黄色が映し出された。
イエローサルタンという黄色の花が入れられたハーバリウムだった。
デパートに行った際、デパートの若い女性店員から、
「矢車草の仲間で、早春の花なんですよ。気温が上がると生花でのお取り扱いがほぼなくなってしまいますので、ハーバリウムでの季節外のプレゼントにおすすめです」
と勧められた。早春の花らしく、明るい色合いが印象的な花だった。
そして彼女が口にした次の言葉が、美和の心を強く動かした。
「その花言葉は“強い意志、幸福”で、ご結婚祝いや、ご入学などのお祝いにもぴったりです」
強い意志、幸福。
病院で眠り続ける真尋のそばに置くためのものだった。何かを祝うためのものなんかではない。だけど、その二つの言葉は真尋にぴったりだと思った。
強い意志で運命と戦おうとした真尋。
誰よりも幸福を求めていた真尋。
美和は迷わず、店員に、
「これにします」
と告げていた。
袋から取り出したイエローサルタンは、オレンジのバラの横に並べて置いた。サイドボードの上は、ピンクのバラ、青いバラ、赤いバラ、オレンジのバラ、そしてイエローサルタンと鮮やかな色が並んでいた。
その日もよく晴れた穏やかな天気だった。
午後の日差しがカーテンの隙間から病室に差し込んでいる。そしてその五つの色を病室に照らし出していた。
美和は小さく一つ息を吐いて、視線を窓の外に移した。
閉め切られた窓の下で、今日も東京の街は慌ただしく動いていた。病院の前を通る幹線道路では多くの車が行き交っている。
ふと、美和の視界の中で、幹線道路の脇にある一本の街路樹が映った。真尋がこの病院に運び込まれた次の日の朝、病院までの道のりを一人歩く美和が目にした桜の木だった。
あの日は満開の桜が咲いていたのに、もうすっかり桜は散ってしまっている。
春が終わっていく。
その散った桜に、この二週間の時間の流れを感じた。
だけど、その散った花の後には、その代わりに緑の葉が芽吹き始めていた。その鮮やかな緑がその木の生命力を表しているかのようだった。美和はしばらくその鮮やかな緑を見つめていた。
その時だった。
美和の耳に何かが聞こえたような気がした。
耳を澄ます。何も聞こえない。気のせいだろうか。
「・・・なさい」
誰かの声だった。
美和は恐る恐る後ろを振り返った。
美和の後ろには、ベッドに横たわった真尋の顔があった。
「・・・なさい」
そしてその消え入りそうなくらい小さくて掠れた声は、目を瞑ったままベッドに横たわる、真尋の口から零れていた。