真尋は目を開けた。
見知らぬ白い天井が自分の上に広がっていた。
「ここは・・・」
ひどく掠れた声だった。
白い天井。
最近、同じような光景を見た気がする。
「真尋・・・」
すぐ横から声が聞こえた。
その白い天井の片隅に、誰かの顔がぼんやりと見えた。その顔になかなか目の焦点が合わなくて、ひどくぼやけている。
「真尋・・・」
真尋の目の焦点は、ゆっくりとその顔に合わされていく。
顔を少しだけ右に向ける。自分の顔のすぐ上には、母である美和の泣きそうな顔があった。
「・・・お母さん?」
声はまだ掠れたままで、自分でもよく聞き取れない。
その美和の後ろで、何かが色鮮やかに輝いているのが見えた。窓からの日の光を受けて、小さな瓶が色鮮やかに光っている。青、赤、オレンジ、黄色。その光景はあまりにも美しくて、真尋は、自分が今、天国にいるのかと思った。そして、目の前に浮かぶ美和の顔も、ただ幻を見ているだけなのかと思った。
何かが、自分の右手を強く握っていた。
何だろう。
真尋の目の焦点は、美和の顔から、その顔の前にあるものに移動する。それは自分の右手だった。そしてその右手を包むようにして握っている、美和の両手だった。
その手は暖かかった。そして力強かった。その暖かさと力強さは、幻なんかではなかった。一つの現実として、その右手を介して真尋の中に流れ込んできた。
この母の姿は、幻なんかではない。
自分は、助かったのだろうか。
「・・・ここは?」
「病院よ」
「・・・病院?」
「そう、病院よ」
真尋は部屋の中をゆっくりと視線を巡らせる。小さな部屋に幾つかのベッドが並んでいて、その一つに自分が寝ている。ベッドのシーツの色、壁紙の色、ベッドの間に引かれているカーテンの色。全てが白だった。
なぜ今、自分は病院にいるのか。
真尋の中の記憶はひどくぼやけていて、はっきりとしなかった。
「なぜ・・・病院に?」
美和は悲しそうな表情を浮かべたまま、その真尋の言葉には何も答えなかった。
ここで目覚める前に、何かひどく怖い思いをした気がする。
今、目の前に広がる白い天井と同じような天井を、絶望の中で見た気がする。
徐々に、真尋の胸の中で、閉じ込められた部屋の記憶が蘇っていく。
そうだ・・・。
小さな部屋に閉じ込められて、溺れそうになって、そしてやっとドアが開いてくれて、自分は助かった。母の声が自分をこの場所に導いてくれた。
その記憶の後ろで、もう一つの記憶が蘇っていく。
大学帰りのあの夜、自分が何に絶望したのか、そしてその絶望から逃げたい一心で何をしてしまったのか。その記憶が真尋の中で一つのイメージとして形を取り戻していく。
「お母さん・・・」
言葉と共に、真尋の目に涙が溢れる。涙は、ベッドに寝ている真尋の顔の横に、線を描いて流れ落ちた。
「怖かったよ・・・。本当に、怖かったよ・・・」
「・・・」
「でも、私は戦ったよ・・・。私はあきらめなかったよ・・・」
「・・・分かってる」
美和の声は、とても優しかった。
「戦いなさいって、お母さんの声は確かに聞こえたよ・・・。お母さんが、私を救ってくれたんだよ・・・・」
「・・・分かってるよ」
涙でにじむ視界の中で、美和の目にも涙が溢れているのが見えた。
「真尋・・・。おかえり」
真尋と美和は、二人して、いつまでも泣き続けていた。