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酔ったふりをして…

いつまでも若くひととき感動純愛
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 旅館の宴会場は、酒と笑い声で満ちていた。酔いが回り始めた社員たちは、上司だろうが後輩だろうがお構いなしに酒を注ぎ合い、誰もがいい具合に出来上がっている。

 河合太一は、そんな喧騒の中で少しだけ居心地の悪さを感じていた。営業成績上位者が招待される慰安旅行とはいえ、結局のところこうした宴会がメインになるのはいつものことだった。しかし、今夜はいつもと少し違う。

 テーブル越しに向かい合う女性──川北玲奈の存在が、その違和感の理由だった。九州支店のトップ営業ウーマン。社内でも抜群の成績を誇る彼女は、太一とは数年前の新人研修で同じグループになっていた。それ以来、会う機会は少なかったが、今でもはっきりと覚えている。あの頃の玲奈は、どこか遠慮がちな新人だった。しかし今は違う。自信に満ちた雰囲気、そして隙のない美しさを持つ大人の女性になっていた。その玲奈が、太一の盃に酒を注ぎながら、少し潤んだ目で見つめてくる。

「太一さんって、やっぱりカッコいいですよねぇ……」

「……は?」玲奈がふわりと体を寄せてくる。

 普段、クールで理知的な彼女が、こんなふうに甘えた仕草を見せるのは珍しい。いや、むしろ初めてだ。

「すみません、ちょっと飲みすぎちゃって……」玲奈の声は、少し掠れている。それだけで、妙に艶っぽく感じた。

「大丈夫か?」太一は戸惑いながらも、彼女の肩を支える。玲奈の髪からはほのかに甘い香りがした。

「うん……」玲奈が太一の腕にぎゅっとしがみつく。その熱がじわりと伝わってきた瞬間、太一の喉が、ごくりと鳴った。

 周囲はまだ宴会の騒ぎに夢中で、二人のやり取りに気付いている者はいない。

「部屋まで送ろうか?」

「……うん……お願い……」玲奈は頷き、しなだれるように太一にもたれかかる。その仕草に、太一の心拍数がわずかに上がるのを感じた。

 宴会場を出ると、急に静けさが戻ってきた。夜の涼しい風が酔いを冷ますように吹き抜ける。

 玲奈を支えながら、太一は彼女の部屋へと向かおうとした。

 ──が。ふと、玲奈がスッと体を起こし、けろっとした表情でこちらを見上げた。

「……あれ?」太一は、さっきまでの甘えた様子が嘘のように消えた玲奈を見て、思わず足を止めた。

「酔ったふり、してただけです」

「……は?」

「じゃないと、宴会場から抜け出せなかったので」玲奈は悪戯っぽく微笑んだ。

「お前な……」呆れる太一をよそに、玲奈は髪をかきあげながら、まるで何事もなかったかのように歩き出す。

「それより、貸切風呂、予約しておきましたよ」

「……は?」

「さっき旅館の案内見てたら、すごくいい感じの露天風呂があったんです。太一さん、今日ずっと疲れてるみたいだったし、ぜひ入ってほしくて」

「貸切風呂を……?」

「うん、すごくいいお風呂らしいですよ。せっかくだから、ゆっくり浸かってきてください」玲奈はにこっと微笑んだ。その笑顔には、少しも裏がなさそうに見えた。いや、見えるだけで、どう考えても怪しい。

「……お前は?」

「私は後で入りますから、先にどうぞ」玲奈は、すっと手を添えながら、太一を促す。結局、太一は玲奈の言葉に押し切られる形で、貸切風呂へと向かった。露天風呂は、確かに素晴らしかった。

 夜空に手が届きそうなほどの開放感。岩造りの湯舟には静かに湯気が立ち上り、月明かりが水面を淡く照らしている。

「……なるほど、確かにいい風呂だな」太一は、ゆっくりと湯に体を沈めた。温泉の熱がじんわりと肌を包み込み、肩の力が抜けていく。目を閉じ、しばしの静寂を楽しんでいると、カラリと脱衣所の扉が開く音がした。

「お待たせしました」玲奈の声。

「……なんで入ってきてんの!?」振り向いた太一の視線の先には、タオルを巻いただけの玲奈の姿があった。

「え?貸切ですよ?」

「いや、俺が入ってるの見えてただろ!?」

「だからですよ。二人で温泉、最高じゃないですか?」玲奈は何事もなかったかのように、するりと湯舟に足を沈めた。

「お前……これ、狙ってたな?」

「さあ、どうでしょう?」玲奈は、湯の中で伸びをしながら、くすっと笑う。

「太一さんって、そういうの、意識しちゃうんですね」

「……意識しねえ方がおかしいだろ」

「私は全然気にしてませんけど?」

「それが問題なんだよ!」湯気が立ち上る中、玲奈の白い肌がちらりと見える。そのたびに、太一は視線を彷徨わせた。

「そんなに意識しなくてもいいのに……」玲奈がゆっくりと太一の方へ体を寄せてきた。

 太一は、ごくりと唾を飲む。その瞬間、玲奈の濡れた髪から滴る湯が、太一の肩に落ちた。

「…本社に異動になったら、もっと一緒にいられますかね?」囁くような玲奈の声に、太一の鼓動が早まるのを感じた。

 玲奈の言葉が、湯気の中に溶けるように響いた。太一の心臓が、一瞬止まりかけた。

「……お前、本気で言ってるのか?」 太一は落ち着いた声を装おうとしたが、自分でも気づくほどにわずかに掠れていた。

「どう思います?」玲奈の唇が、かすかに弧を描く。その笑みには、いつものからかいの色が含まれているようで、けれど、どこか不安げな影も見えた。まるで、試すように。

「九州トップが、そんな簡単に異動できるのかよ」

「簡単じゃないですよ。でも、私……ずっと考えてました」玲奈は静かに湯の中で腕を組み、少し視線を落とす。

「新人研修のとき、太一さんと同じグループになって、いろんな話を聞いて……すごく憧れたんです」

「……そんな昔の話を」

「憧れだけじゃないです」玲奈はそっと顔を上げ、真正面から太一を見つめる。

「九州に戻ってからも、ずっと、太一さんのことを気にしてました」太一の喉が、ごくりと鳴る。玲奈の瞳が、ゆらりと揺れる。

 普段はあれほど自信に満ちた彼女が、こんなに弱気な表情を見せるのは初めてだった。

 太一は、知らず知らずのうちに拳を握りしめる。

「本気なのか?」 玲奈は少しだけ驚いた顔をして、それからふっと微笑んだ。

「もちろん本気ですよ」その笑顔が、なぜか妙に愛おしく思えた。その瞬間だった。視界がぐらりと揺れた。

「……あれ?」太一はぼんやりと呟く。温泉の熱が、急に身体に重くのしかかるような感覚。

 次の瞬間、ふっと全身の力が抜け、太一の意識は暗闇へと落ちていった。

「太一さん!大丈夫ですか!?」遠くで、玲奈の声が聞こえた。意識が戻ったとき、太一は脱衣所の床に寝かされていた。

「……俺、倒れた?」

「そうです!いきなりバタって倒れるんですから、びっくりしましたよ!」玲奈が心配そうに覗き込む。近い。顔の距離が、驚くほど近い。

「……お前、裸じゃねえか?」思わず呟くと、玲奈は「何言ってるんですか?」と笑った。

「太一さんだって、裸ですよ?」

「……いや、そりゃそうだけど」太一はそっとタオルを引き寄せる。

「とりあえず、水飲んでください」玲奈が手渡してくれたペットボトルを、一気に飲み干す。冷たい水が喉を潤し、ようやく思考がはっきりしてきた。

 玲奈は湯上がりのまま、浴衣の襟元を少しだけ直しながら、じっと太一を見ていた。

「……本当に驚いたんですからね」

「悪かったな……」

「でも、ちょっと可愛かったです」

「……は?」

「お風呂の中で必死に視線をそらしてる太一さん、面白かったです」玲奈がくすくすと笑う。太一は思わず顔を覆った。

「もう恥ずかしくて、消えたい……」

「そんなこと言わないでくださいよ。私たち、もう裸の付き合いをした仲じゃないですか?」

「お前、それ気に入ってるだろ」

「ふふっ」 玲奈は楽しそうに笑いながら、すっと立ち上がった。

「じゃあ、また明日。おやすみなさい、太一さん」その言葉を残し、玲奈は部屋へと戻っていった。

 翌朝、太一が朝食会場に向かうと、九州支店のメンバーはすでに出発していた。玲奈の姿は、もうなかった。

「……行っちまったか」昨夜の出来事が、まるで夢のように思えた。あの湯気の中で交わした言葉。彼女の、試すような瞳。

 太一は、モヤモヤとした気持ちを抱えながら、玲奈に何も言えずに終わってしまったことを悔やんだ。

 だが、それから数週間後、本社への異動が決まった玲奈がやってくる。着任初日、玲奈が本社で挨拶をしていた。

 数週間ぶりに見る玲奈は、あの日と変わらず堂々としていた。だが、太一が視線を向けると、玲奈はふっと柔らかく微笑んだ。

 まるで「ちゃんと、また会いにきましたよ」とでも言うように。太一は、もう迷わなかった。

「仕事終わったら、飯行こうか?」

「……やっと誘ってくれましたね」玲奈はワイングラスを傾けながら、ふっと笑った。

「結局、あの時の話、どういう意味だったんだ?」

「どう思います?」玲奈の目が、悪戯っぽく光る。

「もう一度、お風呂入りますか?」からかうように囁かれたその言葉に、太一は笑うしかなかった。

 二人の物語は、まだ始まったばかりだった。

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