【矢上城】やがみじょう
【別名】中田加賀守館
【構造】平山城
【築城者】不明
【築城年代】不明
【廃城年代】1590年(天正18年)
【指定史跡】ー
1954年(昭和29年)に中田氏の子孫が建てた「保福寺開基・中田加賀守累代墳墓之地供養塔」が残る
矢上城は、現在慶應義塾大学の施設が建設されている。
城主は中田氏と伝えられ、一族の中田加賀守は小机衆として後北条氏に仕え、
矢上付近に3万石相当の土地のほか井田城を領有したが、1590年(天正18年)の小田原城落城時に憤死し、
麓の保福寺に葬られたという。